19.願わくは(後)———ラウラ

(どうしてこうなったのかしら……?)


 ラウラは舞台上で微笑みながら、遠い目をした。今日はアトーンドに着いて、妙に人のいない西広場で営業準備をしていたらフラウとリーユに『春呼びの乙女』の発表を見に行こうと誘われて、中央広場に面した建物の屋根に座ってお喋りして。


(そのまま祝福の拍手だけして西広場に戻って、お店をやる予定だったのだけど……)


 何故自分は舞台上にいるのだろうか。

 諸悪の根源たるあの日の自分と当たりのくじを軽めに呪っておいて、ラウラは改めて中央広場を見回した。先ほど『春呼びの乙女』であるという証のブローチをもらって、現在はくじの回収が始まっているところだ。


(あ……メイルテ姐さん。くじ引き、来ていたのね)


 自身の所属する娼館になぞらえて黒い毛皮を纏い、片手には煙がくゆる煙管。ぽったりとした唇と、迫力のあり過ぎる胸で周囲の男性たちどころか女性の視線をも集めていた。その堂々たる風格は、女王様と言っても通用しそうなほど。


(実際、この街の娼妓の女王様と言っても差し支えないけれど……)


「ラウ」


 女性にしては少し低めの声に呼ばれ、そちらを向くとメイルテが自分を手招いている。舞台から降りて傍に行くと、微笑みと共に香草煙草の香りと色気が立ち上った。


「『春呼びの乙女』当選、おめでとう。今度アタシの部屋においで。お祝いに、いいお菓子食べさせてあげる」

「本当!?」


 メイルテのくれるお菓子の大半はお客さんがメイルテに貢いだものだ。そしてメイルテは高級娼妓の中でもさらに値が張るため、必然的に客は富裕層になる。よって、貢がれるお菓子も相応に高級品になるのだ。


「………ラウラ」


(あ、セアルたちの存在忘れてたわ)


 言い訳するか、言いくるめるかと悩んでいると肩に重みがかかる。メイルテの手だった。


「兎の名代殿もおいでよ。お祝いに、遊ぼうじゃないか」


 流し目をくらって、周囲の男性たちまで顔を赤らめていた。セアルとメイルテに挟まれたラウラは、とりあえず自分越しに火花を飛ばすのやめてほしいなと思いつつ、攻防の結果を見守らんと二人の顔を交互に見る。


「……領主名代としての務めに加え、舞の稽古をしなくてはならないからな。丁重にお断りさせていただこう」

「残念。ラウだけでも来るんだよ。昼間にね」

「言われなくても夜には行かないよ……」

「それでいいよ。いつでもおいで。待ってるからね」


 くじを返し終わったらしい他の娼妓たちと連れ立って、メイルテは花街に帰って行った。

 ラウラの背には、セアルとかアネスとかセアルとかフラウとかの視線が集中しており、ハリネズミにでもなった気分だ。


「………ラウラ?」


 説明を求めると言いたげな三人の視線に屈した。


「メイルテ姐さんは、お友達なの。黒夢館の店主が私を贔屓にしてくれてて、その縁で。後はメイルテ姐さんの香草煙草をときどき作ってるってだけ。……本当に、それだけだよ?」


 それでもなお、視線は疑わしげ。こちらを案じてくれているのだろうが、いささか過保護ではないだろうか。


(そうよ、何でセアルたちにここまで責められなきゃいけないの? どこを顧客にしようが、私の勝手じゃない)


 少し苛ついて、それを口にしようとしたとき。ぽん、とセアルとアネスの肩を誰かが叩いた。


「セアル殿、アネス殿、フラウ殿も。心配なのは分かりますが、それくらいにしてあげてください。彼女も仕事で行っているのでしょう? その邪魔をしてはいけませんよ」


 穏やかで、耳に心地よい声。三人が振り向いた拍子に、たしなめに入ってくれた人物の顔が見えた。

 赤い虎目石タイガーアイを思わせる、縦長の瞳孔が走る真紅の瞳。三つ編みにして前に垂らした髪は白く、色合いはセアルたち兎族赤眼種によく似ていた。だが彼らと明確に違う。具体的には、頭から兎耳が伸びていないのとその人の肌にところどころ鱗が生えているところが。


「初めまして。蛇族領主名代、イェセリウス・ゾフィドと申します。どうぞ、イェセルと呼んでください」

「初めまして、イェセル。私はラウラ。薬屋をしています」

「……ああ、貴女が『ラウラさん』でしたか。当選、おめでとうございます」

「ありがとう」


 誰かが自分のことをイェセルに紹介していてくれたらしい。どう紹介されたのかが気になるところだが、この雰囲気からするに妙なことは言われてなさそうだ。


「わたしはかつて冬の男役を務めた縁と、祭祀官でもあることから舞の指導を務めておりまして。今ご挨拶できてよかった」


 蛇族は、祭祀に関わることが多いと聞く。だから彼も領主名代を務めながら祭祀官もしているのだろう。


「そうなんですね。じゃあ、これからよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 差し出された手を握り、握手を交わす。男性のものにしては綺麗だと思った手も、握ってみると剣だこが出来ていた。


(ちゃんと鍛えているみたいね)


 当のイェセルは、何故かまじまじとラウラを見ている。少し驚いているようだ。


「どうかした?」

「いえ……何の躊躇いもなしに握手に応じてくださった方は、久しぶりだったもので」

「イェセリウス殿は冬でなくともほぼ毎日引き籠っているからだろう。多くの人と会わねば、そうでない人も見つからんぞ」

「それを貴方が言いますか、アネス殿。女性が来たときは必ず逃げてしまうのだと隊員の方々がぼやいていましたよ?」


 気安い口調から察するに、アネスとは親交があるようだ。


(どうやら長くこの街にいるようだけど、初対面よね。そんなに引き籠っていたのかしら)


「イェセリウス殿は、冬の間は基本的に蛇族領主の城館から出ない。ラウラもそこまで行事に参加しているわけでもなかったし、単純にすれ違っていたんだろう」

「そっか、蛇族って寒さに弱いものね」

「それなのに早くから出てきてくださって、本当に頭が下がる」


 と、言われた傍から当人がくしゃみをして、慌てて襟元を掻き合わせていたけれど。


「ラウラさん」

「何……じゃなかった。はい」

「いつも話しているような口調で構いませんよ」

「そう……? じゃあ、そうさせてもらうね」

「ええ、是非そうしてください。わたしのは癖なので、お気になさらず。」

「で、どうしたの?」

「予定のすり合わせをしたいので、ラウラさんの都合の良い日を伺いたいんです。いつならば来れそうですか?」

「………そうだね。毎週赤の日は夕の鐘が鳴る頃に警務隊に配達があって、毎週青の日は朝の鐘から昼二つ目の鐘までお店、毎週緑の日は昼の鐘から夕の鐘まで………って、お店!」

「あ、もしかして今お店をやっているべき時間でしたか?」

「そうなの! 忘れてた!!」


 折角稼げる日だというのに、忘れるとは何たる失態。待ちぼうけを食らったカウルとトーヴァも拗ねているかもしれない。


「戻らないと……!」「落ち着いてください、ラウラさん。周りをよく見て?」


 イェセルの柔らかい声に、焦りが薄れた。一つ深呼吸して辺りを見回すと、まだまだ人はたくさんいる。


「まだ中央広場に大勢の人がいます。今からお店に戻っても、人通りはそう多くないでしょう。だから、もう少しだけ待ちませんか? それからの方が、移動も容易だと思いますよ」

「………そうだね。イェセルの言う通りかも。止めてくれてありがとう」

「どういたしまして」


 お互い微笑みあった後で、改めて予定の確認に戻る。


「ではラウラさんの予定は、毎週赤の日、青の日、緑の日ということでよろしいですか?」

「うん。それ以外にも注文が入ることがあるけど、絞ることもできるから」

「俺は執務が終わればいつでも」

「わたしは今の時期、舞の指導が最も優先すべき仕事になりますからね。ではお二方、都合のつく時間になったら蛇族の城館に来てくださいませんか?」

「わかった」「了解!」


 予定のすり合わせを終えて辺りを見回すと、それなりに人が減りつつある。そろそろ、西広場に行ってもいいころだろう。


「じゃあ私、そろそろ行くね」

「送って行こうか?」

「大丈夫、人もたくさんいるから!」


 セアルたちに手を振って、白亜の道に向かって駆け出す。途中で小さな横道に入り、ふ、と息を吐き出した。


(……念のため、放出する魔力を抑える魔法を仕込んでおいてよかったわ。蛇族、しかも王種がいるなんて)


 蛇族は、魔力を見る特殊な瞳を持つことがある。かつての生で蛇族の魔眼のせいで正体がばれたことがあるため、対策しておいたのが功を奏した。


(………気をつけないと)


 まだこの街から離れる気はないのだから。

 ラウラは何食わぬ顔で横道から出て、西広場へ向かって歩き出した。

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