18.願わくは(前)———セアル

 中央広場の中心には、いつもはない舞台が設営されている。そしてその周囲には、無数の町人たちが集っていた。中央広場に面する建物の窓や屋根にも人がいて、こちらを見ている辺り注目度の高さが窺えるというものだ。


(まあ、仕方がないだろう)


 今日は、濃緑の日。二月最後の日の一日前であり、春祭りの顔とも言える『春呼びの乙女』が発表される日だからである。


「例年通りとはいえ、凄まじい人出だな。舞台まで出てくるのも一苦労だろう」

「『春呼びの乙女』に選ばれるほど幸運な女性だ。周囲の人たちも道を開けてくれるさ」

「そう信じるしかないか……」

「ああ……」


 今年の春祭りで冬の男役を務めることになったセアルは、舞台下でまだ見ぬ『春呼びの乙女』の苦労を想像してアネスと揃って同情の溜息をついた。

 今日も雪はちらついており、準備のため(というよりは人混みに巻き込まれないため)朝の鐘が鳴る頃からここにいる二人は、もうすでに帰りたくなっている。いくら防寒着を着込んでいるとはいえ、寒いものは寒いのだ。


「お二人とも、これをどうぞ。屋台で買ったものですが」


 差し出された温葡萄酒グリューワインをありがたく受け取り、嚥下する。酒精が体の内側から熱を生み出してくれて、冷え切った指先と忍耐が息を吹き返した。


「感謝する、イェセリウス殿。こんな人混みの中買ってくるのは大変だったのではないか?」

「実は予め買っておいて、保温していたんです。だから大丈夫ですよ」


 そう言って微笑むのは、ここアトーンドでは一際珍しい蛇族の男性。名をイェセリウス・ゾフィドと言い、かつて春祭りで冬の男役を務めた縁で舞の指導をしてくれている人だ。そのまま彼は、セアルの隣に座った。アネスの隣でないのは、もしもの時邪魔をしないようにするためだろうか。


「誰になるのでしょうね、今年の『春呼びの乙女』は」

「きちんと舞の練習をしてくれる人なら誰でもいい」

「おや、夢は見ないんですか?」

「見たところで叶うはずもないだろう?」


 本音を言えば、ラウラと舞を舞えたらいいと思う。だが、それはありえない。ラウラはそもそもアトーンドに住んでいないのだから、くじを引いたかどうかすらも分からない。

 だから、願わくはあまり媚を売ってこない女性であればいいと思うだけ。

 だったのだが。


「そういえば二週間前、くじ引きの片付けをしているときにラウラ殿に会ったぞ。丁度片付けていない箱もあったことだし、くじを引いていただいた」

「………は?」


 毎週緑の日、ラウラが西広場で昼の鐘から夕の鐘まで営業していることは知っている。だが、その帰り道にたまたまくじを引いていたなど誰が想像できるだろうか。


「だが、ラウラはアトーンドの外に住んでいるだろう?」

「実はあの廃教会も王家直轄領の中だ。ほら、アトーンドの近くに大きな淡水湖があるだろう? それの東端と中央広場を結んで描いた円の中に入っていたからな」

「……そうだったのか」


 確かあの淡水湖は、豊富な水産資源を巡る争いの発生を防ぐため王家直轄領に含まれていたはずだ。


「ラウラさん、ですか? どのような方なのです?」


 興味津々といった風情でイェセリウスが顔を出してきた。縦長の瞳孔と真正面から視線がかち合い、思わず身を引いてしまう。


「イェセリウス殿は会ったことがなかったか? 優秀な薬師であり、魔術師でもある女性だ。貴殿もきっと気に入ると思うぞ」

「そうなのですね。……わたしたち蛇族が寒さに強ければ、冬の間も外に出られるのですが……」


 哀しげに眼を伏せるイェセリウスは、この三人の中では一番服を着込んでいる。蛇族が寒さに滅法弱いことを考えれば、雪ちらつくこの寒空の元にいるだけで大したものだ。

 手を擦り合わせ、小刻みに震えながらイェセリウスが微笑む。


「是非紹介してください。アネス殿が一目置くほどの方ならば、相当の実力を持った方なのでしょう」

「うむ。イェセリウス殿は博識だからな。きっとラウラ殿とも話が弾むだろう」


 それはそうだろうが、何だか面白くない。イェセリウスの顔を見なくて済むように中央広場を見回すと、とある建物の切妻屋根の上に金茶の翼を見つけた。


(フラウと、妹の……リーユだったか?)


 先日怪我をして鷹族の城館に厄介になったとき、出迎えてくれた。幼いながらも堂に入った所作と態度だったのだが、今はそれもない。

 何故なら、ラウラの腕を抱え込んで頬ずりしているからである。


(………一体何故)


 ラウラはフラウとリーユに挟まれて屋根に腰掛け、やたら幸せそうなリーユを諦めと慈しみの籠もった表情で見ていた。

 ついそちらに耳を向け、何を話しているのか聞いてしまう。セアルの鋭敏な聴覚にかかれば、ざわめきの中からたった一組の会話を聞き分けることなど容易い。


「ラウラお姉さま、楽しみですわね!」

「そうだね。リーユは来年から参加出来るんだったっけ?」

「そうですわ! 『春呼びの乙女』は冬の男役と違ってくじで選ばれますから、当たるかはわかりませんけれど……」

「そういえば、今年の冬の男役はセアルだったな。ほら、今舞台のところに……」


 素早く耳を別の方向に向けた。三人が気付かなかったことは幸いだったが、やはり盗み聞きなどするものではない。


「あそこにいるのがラウラ殿だ。鷹族金翼種の兄妹に挟まれている、人族の女性がいるだろう?」

「ああ、あの方ですか。両手に花、ですね」

「一人は男だぞ?」

「でも、そんな雰囲気でしょう?」

「ふむ。確かに」


 アネスとイェセリウスの無駄話を聞き流しているうちに、昼の鐘が鳴る。祭礼を取り纏める祭祀官の長が、こちらに歩み寄ってきた。


「セアル様、アネス様、そろそろ……」

「では行くか、セアル」

「ああ」


 立ち上がり、手を振って見送るイェセリウスに軽く一礼してから祭祀官長に続いて檀上に上がった。ざわめきが一層大きくなり、耳を塞ぎたい衝動に駆られてしまう。


(耐えろ)


「それではこれより、今年の『春呼びの乙女』を発表させていただきます!」


 増幅の魔具により、祭祀官長の声はアトーンドの隅々まで響き渡る。セアルは厳粛な面持ちのまま、祭祀官長の指示に従い目の前に置かれた箱に手を入れた。


(願わくは、ラウラでありますように)


 そんな願いは期待の視線に押し流され、心の中からあっと言う間に失せていく。

 セアルは初めに手に触れた板を摘み、札に書かれた数字を見もせず祭祀官長に渡した。


「今年、この街に春を呼ぶ乙女は………」


 興奮を煽るためか、あえて間が空けられた言葉。セアルはそれをどこか、ぼんやりと聞く。


「749番の札を持つ方!!」


 ぐるり、と中央広場中を見回した。落胆、落胆、失望、消沈。歓喜の表情は、どこにも見られない。

 ふと気になって、ラウラたちの方に目をやった。ラウラはきょとんとした光を目に浮かべて数字が書かれているはずの木の札を見つめ、何度も何度も瞬きを繰り返している。

 中央広場にすし詰めの女性たちの、どれとも違った表情。


(……まさか)


 そんなことが、あり得るのだろうか。

 セアルは思いついてしまった「もしも」が本当か確かめたくて、じっとラウラを見つめる。

 それとは対照的に、中央広場は『春呼びの乙女』に選ばれた女性が中々現れないことでそわそわとした空気が広がり始めている。


 ラウラの両側から、フラウとリーユが木の札を覗き込み。

 フラウは驚愕、そしてリーユは何故か絶望の表情を浮かべた。

 ラウラを急かしながら、フラウが手を差し伸べる。ラウラはそれを断って切妻屋根の上に立ち上がり、高々と手に持つ札を掲げた。

 それには黒々と、「749」の数字が書き込まれていて。


「私です!」


 ラウラの精一杯の大声に、この場にいる兎族の幾人かが気付いて指差す。それに気付いた周りの人々も次々とラウラの方へと視線を移した。


「薬屋のラウラだ」「ラウラさんだ!」「ラウラが今年の『春呼びの乙女』だ!」


 わっと上がった歓声は、大地を揺るがすかのようだ。屋根の上でラウラは、静かに目を伏せている。鋭敏な聴覚はこんなときでも、三人の会話を拾ってしまう。


「舞台まで送っていこうか?」

「大丈夫……。『風、その色は緑。運ぶものにして壊すもの。我を包み、彼方へ運べ』」


 芯の強さを感じさせるようなソプラノが、中央広場に染み渡る。ふと、その呪文を聞いて嫌な予感がした。


(まさか……)


 大勢の視線の先、ラウラは切妻屋根を軽く蹴り。ぽん、と体を宙に投げ出した。

 歓声が悲鳴に変わる。ラウラのいる建物の下にいる男たちが受け止めるものはないかときょろきょろして、女性たちは目を覆い、子供は状況を把握できずに立ち尽くす。

 祭祀官長もあり得ないというような表情で口を大きく開けて固まっており、慌てて助けるように指示を出そうとしていた。


「待ってください、祭祀官長殿」

「何故止めるのですか、セアル様! 『春呼びの乙女』を助けねば……!」

「大丈夫ですよ。よく見てください」


 そう。ラウラは墜落することなく、ゆっくりと舞台に向かって飛んできているのだ。

 飛び出す前に唱えた魔術の効果だろうが、セアルも聞こえていなければ心臓が一瞬止まっていたところだ。

 中央広場の上空を通って舞台に近付いてくるラウラに、舞台上のセアルは手を伸ばした。

 手を引いて舞台上、セアルの横に下ろしてやる。


「祭祀官長殿?」

「………っ、はっ!! ご、ごほん!」


 咳払いと共に動揺を吐き出したのか、祭祀官長は声を張り上げた。


「今年『春呼びの乙女』を務めるは、薬屋のラウラ! 冬の男役を務めるは、兎族領主名代のセアル・ペイルーズ! 皆様、祝福の拍手を!」


 戸惑うような空気の中に、ぽつぽつと手を叩く音が生まれて。それにつられるように、拍手が広がっていく。大気を揺るがす万雷の拍手に包まれながら、セアルは横を見る。

 セアルの視線に気付いたラウラがはにかむように微笑んで、セアルは一瞬忘我となって。

 幸せそうに、微笑んだ。

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