17.想いと思い(後)―――アネス

 二月濃青の日。アトーンド警務隊隊長、アネス・ナイアートは今日も今日とて耐えていた。


(………………何故私はここにいるのだろう………)


 足は肩幅、手は腰の高さで後ろに組み、目線は雪のちらつく鉛色の空へと向けたまま、そんなことを思う。女性と顔を合わせるだけで赤面してしまう、自他共に認める照れ屋の自分にこの任務は向いていないのではないかと自問自答した回数など、とうに忘れてしまった。


「あの……アネス様」


 アネスを呼ぶ声に目線を下げると女性と目が合いそうになり、慌ててその人の鼻に注目する。最近知り合いに教えてもらった技だが、これがなかなかいい。一つのパーツに注目すれば全体がぼやけるので、何とか赤面せずに済むのだ。


(そういえば、この技を教えていただいてから赤面しない回数も女性と会話出来る時間も増えたな……もしや、それがこの任務を監督する羽目になった原因か!?)


 便利な技だが、思わぬ落とし穴があったようだ。これは素直に赤面しておいた方がよかったのかもしれない。だがしかしこの赤面癖を治したいのもまた事実であり─────


「あ、あの……アネス様?」

「すまない! なんだろうか!」


 話しかけてきた女性の存在を、綺麗さっぱり忘れて物思いに耽ってしまっていたようだ。反省しなければ。

 寄り目にならないよう気を付けながら、女性を見る。細部がぼやけているので自信はないが、おそらく兎族白種だろう。何か問題でもあったのだろうか。


「その、ずっと立っていてお寒くはありませんか? よろしければあちらで温かい飲み物でも……」


 申し出はありがたいが、わりとさっき休憩が終わったところだ。適度な休息は大切だが、過ぎればそれはさぼりとなってしまう。


「お気持ちだけありがたく受け取っておこう。実は先ほど交代したばかりなのでな」

「あ……そうでしたか。申し訳ありません」

「いや! その心遣いで十分温まった。どうもありがとう!」


 何か小さな声で言いながら、女性が離れていく。「そんな」とか「でも」など言葉は断片的で、思わず口から出てしまったものなのだろうと推測できた。


「相変わらずのたらしですね、隊長……」

「私は口下手だと思うのだがな。お世辞の一つも言えやしない」

「言葉が素直だからこそ、威力上がるんですよこの隠れモテ男……!」

「モテても困るのだが……」


 女性と面と向かって話せないのだから、本当に困るのだ。いつかラウラが言っていたように恋人でも作ればなにか変わるのだろうか。

 ふう、とため息をついて、警備に意識を戻す。あえて焦点をずらしてぼやけさせた視界には、様々な色を纏う女性がひしめいている。少しでもスムーズに進む様にきちんと並ばせながらも、焦点を合わせることは決してしない。すれば最後、また顔が赤くなってしまうからだ。


(ああ本当に……何でこの任務をやることになってしまったんだ……?)


 明日こそは別の者にやらせようと決意を固めるも、数日前まで監督していた者が体調不良で休んだからここの警備を監督することになったのだということを思い出し、監督するに向いた人間を探すべく脳内の警務隊員名簿を繰り続ける。

 そんなわけで、昼の鐘が鳴る頃にはアネスの目は死んだ魚のようになっていたのだった。

 休んで隊長と追い立てられるように休憩に入るが、周囲は女性、女性、女性である。気の休まるところがない。


(一度警務隊本部に戻るか……?)


 いくらアトーンドが大きな街であっても、兎族の足をもってすればそう時間はかからない。そう結論付けたアネスが中央広場から出ようとしたとき、見覚えのある人物を見付けた。


「ラウラ殿」

「アネス?」


 深緑色のローブを着たその人は、アネスが赤面しないよう剣の柄を見つめてくれている。


「お疲れ様、アネス。お店やりながら見てたけど、死んだお魚みたいな目になってたよ?」

「む……本当か?」

「うん。くじを引きに来る人は、大体若い女の人だものね。アネスには結構辛いんじゃない?」

「うむ……正直、かなり」


 横に並んで、お互い目を合わせることなく会話が続く。傍から見れば奇妙なのだろうが、何も言わずに気遣ってくれるその優しさが消耗した心には何よりの薬だった。


「アネスは貴族だし、強いし、顔もいいものね。声をかけてくる女の人もいたよね?」

「うむ……。皆示し合わせたように声をかけてくるので、列もなかなか捌けなくてな……」

「仕事なんでしょ? 頑張って」


 ラウラと話しているときは、セアルや家族といった、近しい人たちと話しているような気持ちになる。だからつい、話さなくてもいいことや弱音を吐いてしまうのかもしれない。


(ラウラ殿なら……目を見て普通に、話せるのだろうか)


 試してみたいような気もするが、酷く恐ろしいことのようにも感じる。それに、どんなに「大丈夫」と思っても結局は赤面してしまうのだ。


(情けないな……私は)


 こんな風に思ってしまうのはきっと、ラウラならば笑って許してくれるという奇妙な確信があるからだろう。どんなに失礼なことをしても、結局は慈しむような笑顔で許してくれるという、不思議な信頼。


(やはり、ラウラ殿は不思議な女性ひとだ)


 だからセアルやフラウ、多くの人が惹かれるのだろうか。


「──ねえ、聞いてる?」

「……っ、すまない! 考え事をしていて……」

「そんな気がしたけど、やっぱり聞いてなかったんだ」

「すまない……」

「いいよ、別に。大したことじゃないもの」


(ああほら、やっぱり)


 包み込むような、慈しむような、穏やかな微笑み。荒んだ心を癒してくれるようだ。


「さっき私が言ってたのは、娼妓のお姉さんたちが今日あたりくじ引きに来ようかって話を聞いたこと」

「娼妓……ラウラ殿、まさかまた一人で花街に……」

「大丈夫だよ。男衆が護衛してくれるし、私は魔術も使えるしね。……それより、大丈夫なの?」


 高級娼妓ならともかく、一夜娼妓(いわゆる街娼)ならばお誘いをかけてくる可能性も大いにあるぞと言外に言っていることは明白だった。


「代わってもらった方がいいだろうか……」

「お姉さんたち曰く、『警務隊員は体力も金もあるからお客としては最高なのよねぇ』だって」


 娼妓の口調を真似たのだろう、婀娜っぽい声と言葉にラウラの持つ女性としての色香が立ち上る。普段は隠されているそれを思わぬところで浴びてしまい、目も合わせていないというのに顔が赤くなってきた。


「じゃあ私、そろそろ戻るね。お店開けなきゃ」

「え、あ、ああ」


 離れてくれたのだと気付かぬほど、アネスは鈍くなかった。何だか負けた気分になって、隊員たちの元へ戻る。


「あ、隊長! 休めました?」

「ああ。ラウラ殿と話して、少し落ち着けた」

「実はかなり美人ですよね、ラウラさん! あの眼帯はもったいないけど、それもまたいいっていうか」

「ふざけていないで配置につけ。そろそろ人が増えてくるのではないか?」

「へえーい」

「返事は簡潔に、はっきりと」

「はい! ……でいいですか?」

「よし」


 アネスはまた、くじ引きの箱の横に立つ。

 足は肩幅、手は腰の高さで後ろに組み、目線は焦点をずらしながらもひしめく女性たちへと向ける。

 不思議ともう大丈夫のような気がして、アネスはしっかりと前を見据えた。

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