16.想いと思い(前)―――ケント

 ケントの朝は早い。いつも一番鶏が鳴く頃には目を覚まし、寝床から這い出す。そして居間に向かい。


「あら、おはようケント」


(また負けた……)


「……………おはよう」


 毎回自分よりも早く起きているラウラに晴れやかな笑顔で挨拶され、悔しさと欠伸を噛み殺しつつ応じるまでがワンセットになってしまっていた。


「朝ごはんは何がいい? 使ってしまわなければいけないものって特になかったはずだから、何でもいいわよ」

「………じゃ、オートミール」

「ソーセージも付けましょうか。出してきてくれる?」

「……ああ」


 一旦外に出て横方向に伸びる通路を歩き、雪を利用した食料貯蔵庫の中から幾つかのソーセージを取って足早に戻る。上着も羽織らず来てしまったからわりと寒いはずだが、寒冷地にも適応した狼族の体は大した寒さを伝えなかった。

 扉を開ける前に野菜も取ってくるべきだったと思い出し、キャベツやらトマトやらが入った籠を持ってもう一度部屋へと引き返す。オートミールを煮るラウラの背には、緩く結わえられた水晶じみた白く煌めく髪が這っていた。

 魔女の証である、宝石のような髪。いつも眼帯に隠された金色の左目も、今は照明の光を弾いて光っている。


「………なんで、家では外してるんだ?」

「逆に聞くわ。どうして家でも隠しているの?」


 何の気なしに放った質問は打ち返されて、心を抉って通り過ぎていく。

 オートミールが盛られた器をテーブルに置いてから、ラウラがケントの方に歩み寄ってくる。ケントは、後退りもせず伸びてくる手を受け入れた。

 絹のようにさらさらとした指が、手が、ケントの頬を撫でていく。頬をなぞりながらさらに後ろへと伸びた手は、ケントの長く伸ばした後ろ髪の、髪留めに触れた。


「あの姿だって、綺麗なのに」


 目立たぬように付けられた魔結石を指がつついて揺らし、戻ってきた手がケントの右目尻を撫でる。反射的に目を閉じると、眼球に負担などあろうはずもない優しさで瞼の上を指が滑っていく。


「……嫌か?」

「いいえ、別に?」


 瞼の上から手を放し、くるりと回ってテーブルに向き直る。オートミールやソーセージ、茹で野菜のサラダが並んだ食卓。あまりにもいつも通りなその光景。


「ケントの嫌がることを願うつもりはないわ。命じるのもね」


 身体を追いかけ揺れる、虹に煌めく白い髪。こちらをちらりと見やる、金色の瞳。あまりにも、いつも通りなその光景。


「なあ、ラウラ。……オレのこと、愛してるんだよな?」


 再び放った問いには、答えと笑顔が返ってくる。


「ええ、勿論。そこらへんの人間なんかより、ずっとずっと愛しているわ」


 とろりと溶けた金と翠の色違いの瞳オッドアイ。いつだってラウラは、その感情にだけは真摯だった。

 だって、ラウラは『白』の魔女。愛し、愛されることをこそ最大の愉悦とするのだから。


「……そっか」

「さ、食べましょう。早くしないと、冷めちゃうわ」

「そーだな」


 座り、感謝の言葉を呟いてから食べ始める。早起きのお陰で、朝の早い運び屋という仕事をしていてものんびりと食べられるのは純粋にありがたい。


「今日、カウルとトーヴァを使う用事は?」

「特にないわ。『影津波』のときに受けた花街からの注文も作り終わって、昨日届けたし。夕方にはまた警務隊に薬を配達しに行くけれど、いつも歩きだもの。だから、大丈夫よ」

「ああ、ありがとな」

「別にいいわよ。あの子たちがいた方が、大きな荷物を運べるのでしょう?」

「まあな」


 大きな荷物を運んだ方が儲かるのは確かだ。運び屋という職業は、多くが出来高制だから。だがそのために、ラウラに迷惑をかけるのは違うと思っている。


(そもそも、ラウラの方が収入多いしな……)


 悲しいことに、それが真実なのである。

 ラウラとほぼ同じぐらいに食べ終わって、食器をラウラに渡しケントは自分の部屋に戻って仕事の準備。本当はケントも後片付けを手伝いたいのだが、ラウラは基本的に家事を魔術や魔法で行っている。魔術がそう得意なわけではないケントは、邪魔にしかならないのだ。


(マジで、オレの存在意義って……)


 この命さえ、ラウラに与えられたものだというのに。

 人族に理不尽に奪われかけた命は、白く暖かな光によって救われた。今のケントがあるのは、全てラウラのお陰なのだ。

 髪に触れるのが好きなラウラのために長く伸ばした後ろ髪の根本、髪留めについた魔結石に触れる。偽りの姿を作り出す魔法が込められた魔結石。


(……だいぶ、輝きがなくなってきてるな)


 きらきらと光を弾いていたそれは、半分ほどが光を弾かず暗い色のまま。また新たに作ってもらわねばなるまい。

 部屋から出てその旨を伝えながら、靴を履く。


「じゃあ、行ってくるな。配達、気を付けろよ」

「ありがとう、ケント。あなたも気を付けてね」


 笑って応え、暗い通路を歩く。道の端の僅かな光源を頼りに小走りに駆け抜け、鉄扉を少しだけ開けて外の匂いを嗅ぐ。周囲に、魔獣や獣人族、ましてや人族の匂いなどがしないことを確かめてから素早く外に出、静かに鉄扉を閉めた。

 廃教会の礼拝堂から出て、別の部屋に置いているそりを引っ張り出して庭に置くと、仕事に行くと分かったのかカウルとトーヴァが寄って来た。


「今日はよろしくな。カウル、トーヴァ」


 おん、と行儀よくお座りして吠える彼らの首辺りを掻いてやり、この前セアルが持ってきたというクズ魔結石を手の平に乗せて差し出した。


「昼は美味い肉食わせてやるからな!」


 おん、とまた返事。さっきより尻尾の振り方が元気だった。全く、現金なやつらである。

 二頭にそりを引くためのハーネスを取り付け、ケントが乗り込んだのを確認するや否や二頭は走り出した。廃教会の庭から崩れた塀を出て、雪煙にけぶるアトーンドに向かう。裏門側から街中に入り、荷運び屋への道を真っ直ぐに駆け抜けた。


「ようケント。今日はお供連れか?」

「まーな」

「ほんと、いい犬だよな。吠えもしないし、鞭とか犬笛とか使わなくても言うこと聞くし」

「借りてるだけだからやらねーぞ」


 挨拶代わりの軽口を叩きながら、荷運び屋の親父に荷物と配達表をもらってそりに積み、途中で落ちないようにしっかりと固定する。暇していたらしい他の運び屋も手伝ってくれたので、早く済んだ。


「カウル、トーヴァ」


 おん、と頼もしい吠え声と同時に力強い加速。方向を指示して、配達表に書かれた商店に向かった。


「荷物を届けに来ました!」


 そう声をかけると、ぞろぞろと店員が出てくる。配達表にサインをもらって、荷物を引き渡した。


「いつもありがとう。」

「いえ、仕事なので。これからもご贔屓に。」

「そうさせてもらうよ。頑張ってね。」

「ありがとうございます!」


 会釈をしてからそりに乗り込み、カウルとトーヴァに声をかける。次は、中央広場を通った方が早いだろう。


「カウル、トーヴァ、中央広場を通って行こう。そっちの方が近い」


 返事に元気がない。本当に通るのか、とでも言いたげな目をしていた。


「指定の時間が近いんだよ。頼む」


 仕方がないなと言いたげに、二頭が角を曲がる。しばらく走って中央広場に出て見て、二頭が渋っていた理由が分かった。


(……なんだよこの人出は!?)


 少し伸び上がって中央広場の中心部を見ると、大きな箱が置いてあってそれに女性が手を突っ込んで何かを取り出している。何故か警務隊がその箱に張り付いていて、列を整えたりしていた。

 そりを一旦止め、近くにいた屋台のおばさんに聞いてみる。これが続くとなれば、荷運びの経路を考え直さなくてはならない。


「なあ、お姉さん。今日は何でこんなに人が多いんだ?」

「あらヤダ嬉しいこと言ってくれるね! ……男の人にはあんまり関係ないかもしれないけど、あれはくじ引きだよ。あと二ヶ月もしたら、春祭りがあるだろう? それの、春の乙女役をする子を決めるんだ。アタシはもう結婚しちゃったから無理だけど、薬屋のお嬢ちゃんなら引けるんじゃないかい?」

「ラウラが……?」


 そういえば、この場所にいる女性たちの多くが持っている木札には見覚えがあった。数日前にラウラが持って帰ってきた木札と同じものだ。


「……あれか」

「しばらく人が多くなるから、ここは通らない方がいいよ。夕の鐘が鳴る頃にはくじ引きが終わるから、通るんならそれより後にしな」

「ありがとな、お姉さん!」


 屋台のおばさんの言葉をきっかけに、配達の時間が迫っていることを思い出す。それ見たことかと言わんばかりのカウルとトーヴァに謝りながら、来た道を引き返すケントだった。

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