15.持てる者の務め(後)―――リーユ

 リーユ・ベルデュークは朝から少々不満だった。休みの日だからずっと一緒にいられると思っていた最愛の兄、フラウは見送りこそ出来たものの早々に出かけてしまうし、父は武器の手入れ、母はレース編みに夢中でちっとも構ってくれないし。


(これは流行りのお菓子でも買ってきてくれないことには収まりませんわよ、お兄さま!)


 ふくれっ面で刺繍の練習をしていると、窓から庭に降り立つフラウの姿を認めた。雪明りを受けた翼が、自分たちの種である金翼種の名のままに金色に光って見える。青と白の特徴的な羽毛を持つコトカ鳥を持っているのが見えて、リーユの曇り気味の心は瞬く間に晴れていった。


(お兄さまと美味しいご飯をご一緒出来るかもしれませんわ!)


 しかし、フラウは出迎えに出た使用人にコトカ鳥だけを渡して踵を返してしまう。


(ああ……! お願い、立ち止まってお兄さま……!)


 屋敷の方さえ見てくれれば、その高い視力でリーユの姿や表情が見えるはず。そう思って念じてみたけれど、祈りが足りなかったらしい。フラウはそのまま、歩き去ってしまった。

 リーユはあまりの落胆に、床にくずおれる。リーユ付きの侍女が慌てて駆け寄ってきたから、「ちょっとがっかりしただけですわ……」と答え、心配しないようにと言葉と手振りで伝えた。

 今のもそうだが、リーユがまだ成人していないからといって、屋敷の者たちはいささか過保護が過ぎる気がする。


(わたくしだって、あと一年で成人ですのに!)


 成人になったら、『春呼びの乙女』を選ぶ抽選に参加する権利を得ることが出来る。もしかしたら、フラウと『来たる春の舞』を踊ることが出来るかもしれない、と否応なしに心が弾んだ。


(そういえば、今年冬の男役をなさるのは兎族領主名代のセアル・ペイルーズさまでしたわね。白髪のお美しい方だから、舞の衣装を纏えば本当に冬の男のように見えるのでしょうね)


 舞の衣装を纏い、白髪と白耳を翻らせて舞うセアルの姿を妄想する。その横に何故か、春の乙女の衣装を纏ったラウラが出てきて一緒に舞い始め、リーユは大いに焦った。


(何故ここでラウラお姉さまが出てきますのーーー!? 確かにセアルさまは素敵な殿方ではありますけれど、ラウラお姉さまはダメですわ! 『去り行く冬の舞』を共に舞った男女は結ばれるという言い伝えがあるのですから! きっとセアルさまにお似合いの女性が選ばれますわ! ラウラお姉さま以外の!)


 自分のした妄想の恐ろしさに蒼褪め否定し、急いで妄想を書き換え満足げに頷くリーユに、最早お付きの侍女は何をしていいのか分からなくなり、静かに見守ることに決める。先日自身の誕生日に、拙い刺繍の施された白リボンが巻かれたハンドクリームをもらったことを思い出して、改めてほっこりし直した。

 お付きの侍女がそんなことを考えているとは露知らず、春祭りの妄想を一通り楽しんだリーユは糸くずの散らばる机に向き直る。


(妄想をする前に、まずは立派なレディーにならなくてはなりませんのよ、リーユ。目指せ、ラウラお姉さまのような愛される女性! ですわ!)


 リーユの思考を正確に読み取りツッコミを入れられる者は、今この空間にはいなかった。

 早速針山の上で所在無さげに佇んでいた刺繍針を手に取るリーユだが、視界の端を掠めたものに針を放り出した。


(あれは、お兄さま!? 一緒にいらっしゃるのはセアルさまと、商人の方かしら。商人の方は怪我をしているようですわね。セアルさまも、少し様子が変ですわ)


「お母さまとお父さまに連絡……はお兄さまがもうしておられるでしょうから、怪我人の手当をする用意をしてくださいませ! 念のため、回復薬などもご用意して!」

「はい!」


 鷹族王種、金翼種は鷹族の中でも特に目がいい。だから、広い庭の中心部に降り立ったフラウが誰を連れているか、またその人物がどんな状態であるかを見分けるのも容易い。


 リーユはほとんど一息で指示を出すと、はしたなく見えないぎりぎりの速さで走り出す。とは言っても、鷹族は背中に大きな翼を背負っているため、足を使って移動するのははっきり言って苦手だ。そのため、リーユの「はしたなく見えないぎりぎりの速度での移動」は精々が早歩きと小走りの中間ぐらいの速度しか出ないのだった。

 身長差を生かして追い付きリーユの後ろに陣取ったお付きの侍女に、転んだらすぐ手を差し伸べる、というか受け止められるようにと目を光らせられながらリーユはホールの階段をほとんど滑空するように駆け下り、玄関の前で荒くなった息を整える。


 丁度その時、フラウを迎えに行った執事が玄関扉を開いた。

 リーユとお付きの侍女に、雪交じりの風が吹き付ける。リーユは雪から目を庇いつつ、扉の向こうから現れるであろうフラウと客人を待った。


「リーユ!?」


 すかさず、淑女の礼。


「お帰りなさいませ、お兄さま。そして、ようこそベルデューク家へ。セアル・ペイルーズさま、もうお一方も。あちらに手当の用意をさせておりますので、ついて来ていただけますか?」


 ぞろぞろとやって来た使用人たちが商人らしき人物をフラウから引き取り、セアルにも肩を貸そうとしたがフラウが断ったために引き下がる。

 リーユと使用人たちに案内され、フラウとセアルと、屋台のおじさんは一つの部屋に案内された。

 部屋には鷹族領主城館に常駐する医術師が待ち構えており、手早く屋台のおじさんの手当を指示してセアルの診察に入ったため、門外漢のリーユとフラウは邪魔にならないところで大人しくしているしかない。


「にしてもリーユ、よく先回りして準備できたな」

「お部屋の窓からお兄さまが様子のおかしいセアルさまと頬を腫らした商人らしき方を連れて庭に降りられたのが見えましたので」

「そうか。ありがとな、リーユ」

「褒められるようなことではありませんわ!」


 自身の顔に浮かぶ表情が完全にその言葉を裏切っていたのには気付いたが、リーユは気にしなかった。褒めて欲しいのは、本心だったから。


「……で、先生。どうですか、セアルの腕は」

「黄の魔術で一時的に麻痺しただけでしょう。手の平に火傷による水ぶくれが見られますが、そこまで重症ではありません。一、二週間はかかるでしょうが、治りますよ」

「そうですか……。よかったな、セアル」

「ああ……」


 セアルは静かに頷き、医術師が火傷に効く薬を塗り包帯を巻くのをじっと見ていた。


「……それにしても、魔術で生み出された雷でよかったですな。本物の雷であれば、最悪命を落としていたでしょう」

「魔術によって生み出される雷は、本物の雷とは違うんですの?」


 魔術はまだ勉強中だが、それがどれくらいの威力を持つのか知っておくための質問。医術師は、処置をしながらすらすらと答えてくれた。


「全く違います。魔術はあくまで魔法の真似事ですから、自然以上の力を操ると言われる魔法や自然現象には到底及びません。精々ちょっと痺れたり、威力が強ければセアル様のように火傷したりするぐらいですな」

「そうなんですのね……教えていただきありがとうございます、先生」

「いえ、どういたしまして」


 その後、事情聴取のため屋台のおじさんを探しに来た警務隊の隊員に連れられて屋台のおじさんは城館を出、セアルもすぐに去ろうとしたがフラウに引き留められ腕の痺れが取れるまで休んでいくことになった。

 フラウとセアルが何やら話している部屋を後にしたリーユは自室に戻り、半ば倒れ込むように座る。


(魔女の力も恐ろしいですが、人を助けるためにある魔術を、人を傷つけるために使う方がいるなんて)


 その恐ろしさに、残酷さに、リーユは身震いした。同時に、母の言葉を思い出す。


(高貴なる者には……持てる者には、義務がある。力持つ者は、その力を力無き者のために使わなくてはならないという義務が。……それはきっと、このような恐ろしいことを防ぐためにあるのですわね)


 リーユは改めて、刺繍針を手に取る。この一刺しが真の淑女への第一歩であると信じて、針を突き刺した。

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