14.持てる者の務め(前)———フラウ

「お兄さま、どこへ行くんですの?」


 玄関を出ようとしたフラウに、後ろから声がかけられた。そこには、まだ眠そうな様子の妹、リーユが立っている。


「おはよう、リーユ。まだ寝てていいんだぞ?」

「お兄さまをお見送りしたくて。……で、今日は鮮白の日だといいますのに、どこへ行くおつもりですの?」

「『影の森』の様子を見に行こうと思ってな。この前『影津波』があったばかりだから大丈夫だと思うが、万が一ってこともあるし」

「折角のお休みですのに、こんなときでもお仕事なのですね。……そんなお兄さまは素敵ですけれど、休む時間もちゃんと確保してくださいませ」

「大丈夫だ。午後には帰ってくるさ」


 リーユの頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。もうすぐ成人だからと大人ぶっているが、中身はまだまだ子供だ。


「じゃ、行ってくるな」

「いってらっしゃいませ、お兄さま。どうかお気を付けて」


 リーユに手を振り、中途半端に開いていた扉を開ける。吹き込む雪混じりの風に身が竦むが、扉はしっかり開けないと背中の翼が引っかかって痛い思いをすることになることは体験済み。後ろの妹のためにも、さっさと出て扉を閉めてやることにした。

 灰色の空からは雪が降り続けている。今日も、一日中降っているのだろう。


(今日も冷えるな……。血行促進の薬、飲んでおくか)


 腰のポーチからラウラの薬屋で買った血行促進の薬を取り出し、コルク栓を抜く。始めこそこのぴりっとした味に驚いたが、慣れるとだんだん癖になってくるから不思議だ。

 飲んでしばらく待つと、手や足先が温かくなってくる。手袋をしっかり嵌めて風除けの風防眼鏡ゴーグルをし、マフラーを鼻先までずり上げてから翼に力を込めた。

 翼が風を掴めば、身体が持ち上がる。何度か羽ばたいて民家の屋根の高さを越えたところで、横移動に移行。たまにすれ違う鷹族の狩人たちと挨拶を交わしながら、一直線に『影の森』に向かった。

『影の森』は上空を飛んでいるだけでも魔力酔いを起こすことがあるから、木々の真上には行かないようにしながら縁をなぞるように飛ぶ。

 このパトロールのお陰で、前回の『影津波』のときも早めに民を避難させることはできたのだが。


「あーあ、帰って寝たい……」


 残念ながらフラウは、優等生なセアルとは違ってまだまだ遊んでいたい性質たちだった。


(そういえば、最近セアルと話してないな……)


 最近のセアルは、兎族領主名代としての仕事に忙殺されている気しかしない。たまに街で見かけても、大体はラウラと一緒にいたりアネスと一緒にいたり、外に出ようとしていたりと話しかけるのを憚る状況ばかりだ。


(……っていうか、最近セアル、ラウラと一緒にいること多くないか……?)


 この前ラウラと立ち話したときも、セアルが家まで『影津波』の報酬を届けに来てくれたとかいう話をしていた気がする。


(そういえばおれって外でラウラと喋ったりはするけど、家に呼ばれたことはないな……。まあ、そう男をほいほい家に上げるもんじゃないからいいんだけどな、別に?)


 『影の森』からひょっこり顔を出した、狐に似た姿の魔獣は得意な赤の魔術で威嚇。『影の森』の中に強制送還した。

 とりあえず、鷹族領内の『影の森』の縁を二周ぐらいしてからアトーンドに戻る。その途中、コトカ鳥を見つけたので狩っておいた。上空からも地上からも見つけにくい野鳥だが、同じ高度にいればそんなことはない。使用人に渡しておけば、今日の夕食にでもなるだろう。


(昼は、外の屋台でなんか食うか。……いや、リーユが拗ねるか? 『休みの日ぐらいご一緒してくださいませ!』って言われそうだな)


 リーユが拗ねると、たまに酷く悪化して口を利いてくれなくなることがある。そうなると自分は勿論親父や母上、使用人にまでダメージが波及するので、ご機嫌取りはしておかねばなるまい。


(………アトーンドで最近人気の菓子とか買って帰るか……)


 見えてきた六角形の二重壁。フラウたち一家が冬を過ごす、春焦がれの街アトーンド。その中に建つ鷹族領主の城館には屋根に鷹族であることを示す紋様が記されているから、上空からだとよく目立つ。

 庭に降り、出迎えてくれた使用人にコトカ鳥を渡してから、とんぼ返りにアトーンドの中心部へ向かう。今日は街で、何が見られるのだろうか。そんなことを考えながら、またリーユのためのお土産菓子を何にするか考えながら歩いていたら、中央広場の方で何やら騒ぐ声が聞こえた。

 人だかりの向こうを伸び上がって覗き込むと、頬を腫らした屋台の親父の胸ぐらを掴む後ろ姿が見える。髪は白く、その中から伸びるはひょろりと長い兎耳。フラウの友人と、見間違えるほどによく似た後ろ姿。


「な」「何をしている、ヴィアス!」


 怒気に尖った鋭い声。真紅の瞳は普段より一層凄みを増して、異母弟を睨み付けている。


「なァんだ、兄貴かよ。今日はあの薬師は連れてねえんだな」

「……ラウラは関係ないだろう。俺は何をしている、と聞いているんだ」


 チッ、とヴィアスはつまらなさそうに舌打ちし、胸ぐらを掴んでいた屋台の親父を軽々と引きずり出した。そして、何気ない様子でセアルに向かって投げつける。


「っ、『風、受け止めろ!』」


 ふわりと風が動いてぶん投げられた屋台の親父が減速し、セアルがそっと地面に誘導して座らせる。その間にセアルに肉薄したヴィアスが、その頬に向かって勢いよく拳を振り抜いて。

 バシッ、と大きな音がした。ヴィアスの拳はセアルの手に止められていて、よく見れば微妙に色合いの異なる真紅の瞳が、ごく近い距離で睨み合う。


「………ほんっとつまんねぇ。……興醒めだぜ。じゃーな、兄貴」


 ひらひら手を振って、ヴィアスが歩き去っていく。隠しポケットに片手を突っ込みやや猫背気味に歩く姿は、セアルとは似ても似つかなかった。

 それよりも。


「セアル! 大丈夫か?」

「……ああ」


 嘘だということは、フラウにでも分かった。黄の魔術でも纏わせていたのか、ヴィアスの拳を受け止めた手は小さく痙攣していて、自由に動きそうもない。


(人を嫌がらせることに関しては天才だなあいつ!)


「手当しよう。兎族領主の城館は遠いだろ? うちのとこに来い」

「……いや、いい。しばらくすれば勝手に治る」

「放置するのが一番よくねえの、分かってるんだろ!? いいからうち来い!」

「………だが」「いいから行くぞ!」


 セアルの自由が利く方の腕を掴み、座り込んだままの屋台の親父の腹に腕を回して翼を広げる。雪明りに照らされて、自慢の翼は金色に光って見えた。

 自分も含めて三人分の体重を支えるのはかなり辛いが、こうでもしないとセアルは手を放置するに決まっている。ここが無理のしどきと翼に力を込めた。


「………『風、その色は緑。運ぶものにして壊すもの。我が意のままに吹け』」


 セアルが囁くように呟いた呪文により、向かい風が吹き始める。セアルは、フラウたち鷹族が向かい風の方が飛びやすいと知っていたらしい。


「さんきゅ」

「……手当の礼の、前渡しだ」

「そういうことにしといてやるよ」


 素直じゃないというか、頼ることが下手くそというか。ついつい、構いたくなってしまう。


(こういうところ、ラウラとちょっと似てるよな)


 二人に言えば、きっと揃って否定するのだろうけれど。

 そんなことを思ってついつい笑ってしまいながら、鷹族領主の城館へと舞い降りるフラウだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る