13.魔女は未だに(後)―――ラウラ
週の最後の日である黒の日は、人族や獣人族は死を司る『黒』の魔女を連想し勝手に恐れているらしく、外に出る者は滅多にいない。つまり、人の目がぐっと減る日でもある。
ラウラはそのことを逆手に取り、誰にも邪魔されず『影の森』へ行く準備を進めていた。
「ラウラ、本当に一人で行くのか?」
「カウルもトーヴァもいるし、一人じゃないわよ。ケントは毎日働いているんだから、今日ぐらいは休んでなくちゃ」
「それは分かってるんだけどな……」
「ちゃんと魔獣避けの香も焚くし、
「それでも心配はするぞ。……しないわけがないだろ?」
「ふふ。気持ちだけ頂いておくわね」
ラウラは心配性な同居人の頭を軽く撫で、採取用バスケットを持つ。必要なものがすべて入っているかを確認したラウラは、扉の前で振り返った。
「じゃあいってきます、ケント」
「いってらっしゃい。早めに帰ってこいよ」
「ええ」
扉のすぐ傍に置いてある魔術式ランタンを灯し、暗い地下道を進む。しばらく歩くと見えてくる階段に魔術式ランタンを置き、鉄扉を開ける前に髪留めと眼帯を確認した。
(色変えの魔法はきちんと作用してるわね。眼帯も、結び目に緩みなし、と)
こういった細かいことに気を使うか否かが、ラウラが魔女であることがばれるかばれないかに関わってくると言うのは、これまでの魔女生で経験済みだ。だから丁寧に確認し、重い鉄扉を持ち上げる。
始めに細く開いて周囲の様子を確認してから、ゆっくりと扉を持ち上げていく。魔術式ランタンを消し、顔を上げたところで、礼拝堂の中に佇む人物が目に入った。
(何でここにセアルがいるのよ……! どうやって誤魔化そう)
「こんにちは、ラウラ。どこに行くのか聞いてもいいか?」
滅多に動かないセアルの顔が、ゆっくりと薄い笑みを作る。被食者たる兎を元とする獣人であるはずなのに、獲物を追い詰めた肉食獣のような微笑みだった。
「セアル………」
(うん。目的地ばれているわね。漏らしたのは幽霊さんかしら。お仕置き、あれだけじゃ足りなかったかしら?)
今度会ったときには身に着けている魔具を全て破壊してやろうと心に決めつつ、セアルには急場凌ぎの微笑みを向けておく。が、今日は誤魔化されてくれる気はなさそうだった。
(仕方ないわね……まあ、魔術師であるとはいえ人族の娘が一人で『影の森』に入るなんて、一般的に考えれば正気の沙汰ではないものね)
ラウラは心の中で大きな溜息をつき、急場凌ぎの笑顔のままで小首を傾げる。
「………これから『影の森』に行くんだけど、一緒に来る?」
「ああ」
間髪入れずにぶっきらぼうな応えが返って来た。セアルの雄弁な瞳は、怒りと言うよりかは哀しみを抱いているように見える。
廃教会の外に出て、『影の森』に向かう道行。ようやくセアルが口を開いた。
「いつも、一人で採集に行っているのか?」
「うん。カウルやトーヴァと一緒に行くようにはしてるけど……」
真紅の瞳を哀しげに伏せて、セアルはじっとこちらを見ている。
「頼ってくれ………頼むから」
哀しませたくはないけれど、応じることもできなかった。人目がある以上、ラウラはか弱い人族の娘を演じなくてはならない。ラウラを守らせなければならない以上、複数人で採集に向かう方が危険なのだ。
「私にも色々事情があるの。……でも、善処するね」
「ハァ………まあ、それでいいか………」
不承不承といった様子ではあるものの、納得してくれた。思った通り、「事情」を薬のレシピ的なことだと解釈してくれたようだ。
「そう言えば、セアルは『影の森』に行ったことはある?」
空気を変えるための、わざとらしく明るい声。正確に意図を汲み取ったセアルはいつも通りの声音で応じてくれた。
「一応は、ある。兎族は狩りを生業にしているわけではないから、本当に数えるほどしか行ったことはないが」
「普段は狩人の人たちが魔獣を狩ってるんだっけ?」
「ああ。狩人だけでなく、冒険者もな。各
「その辺りはフラウの方が詳しいかな?」
「そうかもな。今度聞いてみるといい」
そんなこんなで雑談しながら歩いていくと、『影の森』に着く。ラウラの住む廃教会はアトーンドより『影の森』に近い位置にあるから、わりと早く着けるのだ。
「セアル、無炎香炉は持ってる?」
「いや……急いで来たから、準備していない」
「予備があるから、それ持ってて」
「わかった」
『影の森』に入る前に、魔具の無炎香炉を発動させる。しばらく待つと、魔獣避けの香の甘い香りが漂った。
くしゅん、と小さなくしゃみが聞こえたので横を見やると、少し恥ずかしそうな様子のセアルがいた。人族よりも鼻のいい獣人族にとっては、香は刺激が強いのだろう。薬を作っているときも、よくケントがくしゃみをしている覚えがあった。
「必要だから、慣れてね」
「ああ……」
セアルがベルトに無炎香炉を吊るしたのを確認して、『影の森』に踏み込む。必要な薬草たちが生えている場所は把握済みだから、迷う心配もない。
「ここには、何を採りに来ているんだ?」
「主にカリアの樹皮だね。『影の森』にしか生えてないから。……あとは、普通に生えている薬草とかかな」
「そこらの森のものでは駄目なのか?」
「『影の森』のものの方が、薬効が高いから。私が売ってる回復薬とかに入れてるの」
「そうなのか……」
影絵のように黒い木に、灰色の部分が見える。浅い皿のような形のそれは、お目当てのものの一つだ。
「周り、見ててくれる? 採取するから」
「任せておけ」
採集用の小さなナイフで、黒変したユキシロタケを削ぎ落す。次のために全て採らないようにして、幾つかの木から採取した。傷の治りを早めるエクーテは根に薬効があるので、十分に育ったものを引っこ抜いて根を切り落とし、他の薬草に土が付かないように布袋に放り込む。ごわごわした産毛に覆われたイクノス草は、元気に茂っているものを選んで刈り取った。
カウルやトーヴァだけでなく、耳のいいセアルが傍にいるからか。いつもより安心して採集がすることが出来た。人なんか連れてくると気疲れすると思っていたけれど、案外悪くないかもしれない。
「ラウラ。あそこにカリアがあるぞ」
セアルに指差された方を眺めやる。影絵のような木々に紛れて分かりづらいが、確かにそれらしきものがある。
「……近付いて見てもいい?」
「ああ」
セアルと並んで、その木へと近付いていく。まだ若木のようだが、木に顔を寄せて匂いを嗅ぐと、微かにカリア特有の甘い匂いがした。
「……うん。確かにカリアだね。見つけてくれてありがとう、セアル」
「お安い御用だ」
落ちた枝があったので、それから樹皮を剥ぐ。香にするにはまだ足りなかったので、直接木からも頂いた。
(あとは……エクーテとユキシロタケは結構使うから、まだもう少し集めておかないと。ポルティとフェラヒムも見つけなきゃいけないわね。他に必要なものは普通の森で採れるから気にしなくていいし……)
「ラウラ?」
「ん、なんでもない。あと何が必要かなって、考えてただけだから」
そう言いながら振り返ると、そこにあったセアルの顔が僅かに青いことに気付いた。
(……迂闊だったわね。私たち魔女は問題ないけれど、人族や獣人族は長時間この場所にいると魔力酔いを起こすんだったわ)
魔力酔いは、魔力に対する感受性が高い者、つまり魔術を使える者ほど起こしやすいと聞く。そして、セアルは魔術を使うことが出来るのだ。
「セアル、魔力酔いを起こしてるでしょう」
「……気付かれてしまったか」
「無理はしないで。もし倒れられたら、そっちの方が大変なんだから」
「………すまない」
よほど辛かったらしく、セアルはカリアに背中を預けて座り込んでしまう。どうやら気付かぬうちに、そこそこの時間が経っていたようだった。
「付き合わせちゃってごめんなさい。大丈夫?」
「……だいぶ、辛い」
ばれてしまったことで素直になったセアルは、正直に白状した。既に吐き気や眩暈といった症状が現れているのだろう。
(……仕方がないわね)
「……セアル。私が今からすることは秘密にしててくれる?」
セアルが何か言う前に、ラウラはセアルに手をかざし、詠う。
「『光、その色は白。照らすものにして灼くもの。積もりし穢れを清めよ』」
ラウラは『白』の魔女だから、本当は詠唱など必要としない。しかし、それをすれば魔女であることがばれる可能性が高まるため、魔術に偽装する必要があるのだ。面倒ではあるが、平穏な生活を維持するためには仕方がない。
驚いたようにラウラを見上げるセアルに、少しだけ微笑みかけた。
「大丈夫?」
「ああ………。ラウラは、白の魔術が使えたんだな」
「まあね。使える人が珍しいらしいから、教えてくれた人に隠しておいた方がいいって言われたの」
「正しい判断だな。白の魔術は『白』の魔女に由来するものとして特別視されているから、囲おうとする貴族が出てきてもおかしくない。……このことは、胸の内に留めておく」
「ありがとう。……セアル。今日はもう、帰ろうか」
「だが、薬の材料を採りに来たんだろう? 足りるのか?」
「うん。一応補充は出来たから、もう大丈夫」
やや訝しげな眼を向けてきたセアルだったが、この言葉が自分のために発されたものだということは理解しているようで、静かに頷いた。
「……すまない。迷惑をかけた」
「
「……ああ」
そんなことを言っておきながらラウラは、セアルが帰った後でもう一度薬草を採りに行くのだった。ケントに呆れた目を向けられたのは、言うまでもない。
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