12.魔女は未だに(前)―――セアル

 原色の週(月の二週目)最後の日である黒の日は、死を司る『黒』の魔女の日。多くの人は『黒』の魔女がもたらす死を恐れ、仕事を休み家に引き籠ってしまう。

 そんな日にセアルはインクを切らしてしまい、人のいない街に出ていた。

 馴染みの店の店主は剛毅な人で、たとえ黒の日であろうとも店を閉めない。その馴染みの雑貨屋で首尾よくインクを手に入れたセアルは、足早に兎族領主の城館へ戻ろうとしていた。


(流石というかなんというか……全く人がいないな)


 歴史では、魔女狩り戦争で『白』の魔女を除く全ての魔女は滅んだとされている。しかし、実際には魔女はこんなにも人々の生活に影響を与えているのだ。


(何かの書物に書いてあったな。魔女は不死である、と)


 その書によれば、魔女は死んだように見えるだけであるという。どういう仕組みか、魔女は再び復活すると書かれていた。都ではこの説は眉唾ものとされているらしく、その本は絶版になっているようだ。

 セアルも古本屋でたまたま見つけなければ、きっと読むことすらなかった。アグリア王国最北の街には、都にいられなくなった人だけでなく本も流れ着くらしい。


(………もし魔女が不死だというのなら、かつて殺された恨みを晴らそうとは考えなかったのだろうか?)


 それとも魔女は本当に滅んでいて、人族や獣人族じぶんたちは魔女の影に怯えているだけなのだろうか。もしそうだとしたら、何と滑稽なことだろう。


(……自業自得、と言うべきか。魔女も、俺たちも)


 現在いまを生きるセアルに出来ることは、歴史かこに対して感想を述べることだけ。歴史を変えることなどできはしない。


(俺たちに出来ることは、歴史に学び、繰り返さないことだけ)


 それすらも出来ているか怪しいものだが。

 セアルは自嘲気味に笑って、詮無い思考を中断させた。

 雪にけぶる街を眺めながら屋敷に向かって歩いていると、アトーンドの東西を貫く大通り、「白亜の道」に面した宿屋から誰かが出てくるのが見えた。

 亜麻色の髪を外套に隠した、わりといい身なりの男だ。だが、その横顔はあまり男らしくない。中性的な顔立ち。


(………確か一昨日、ラウラのところに来ていた……)


 男の亜麻色の瞳と目が合う。驚きに見開かれたそれが喜びに細められるのに、そう時間はかからなかった。


「セアルくんだったっけ? こんなところで会うなんて、奇遇だね!」

「そうだな……もうここを発ったとばかり思っていたが、滞在していたのか?」

「まあね。ラウから買った魔具以外にも、ここのものも見て行きたいからさ」


 ラウ、と言うのはラウラの愛称だろうか。セアルはその存在を今、初めて知った。

 胸の奥が冷えていく。空気の冷たさが身に染みたのではない。そもそも肉体的な冷えですらない。


(………ああ、これは嫉妬だ)


『緑』の魔女が司る欲望。他者を嫉み、妬ませる怪物。


「……どうしたんだい?」

「……なんでもない」


 伝承に依れば、魔女は己の司る欲望のままに生きることが最大の愉悦らしい。だから魔女は、その欲望が渦巻く場所に現れるとされた。

 親から子に必ず言い聞かせられる、「過ぎた欲を持ってはいけません」という教訓。これは確か、「魔女がやってきますよ」と結ばれていたはず。


(魔女は未だに、俺たちを支配しているのかもな?)


 そんなことばかり考えていたからだろうか。セアルの口から、ぽろりと出すはずもなかった言葉が零れ落ちる。


「魔女は……本当にもう、いないのだろうか」


 幽霊が立ち止まる。それに釣られてか、セアルの足も止まった。


「セアルくんは、魔女に会いたいのかい?」


 柔らかく細められた瞳は、どこか得体が知れない。背筋を怖気が撫でていく。


「……そういうわけではないが、ただ、気になっただけだ」

「ふうん、そっか」


 幽霊が歩き出す。しかしその歩いた道に、足跡は刻まれない。ふわりふわりと浮いていた。

 雪が積もった道には、セアルの足跡だけが刻まれていく。

 気付けば目の前に、幽霊の顔が逆さまで浮かんでいた。その目はしかと、こちらを見ている。


「魔女は生きている。世界中に散らばって、人族と獣人族にんげんに紛れ込みながら」

「………なぜそれを知っている」

「僕は幽霊。人から外れた存在だから」

「………なぜそれを俺に話す」

「君が、魔女を畏れていないように見えたから」


 自分が魔女を畏れていない。その言葉は、妙にすとんと腑に落ちた。


「俺が魔女を畏れていない、か……そうかもしれないな」

「君も魔女の伝承や逸話は知っているんだろう? 怖いと思わないのかい?」

「確かに、魔女は怖い。でも、畏ろしいとは思わない。……魔女も所詮、人だろう?」

「魔女も、人………」


 ひっくり返ったその顔は、きょと、と目を瞬かせた。そして次の瞬間。


「あははははははははははははははははははは!!」

「っ………!?」


 目の前でいきなり笑い転げられたセアルは、思わず耳を押さえた。大音量で、そのうえ距離が近かったから耳が痛い。


「……耳元で叫ばないでくれ」

「さ、叫んでないよ笑ってるんだよ……ああ、面白い」


 失礼なことをのたまうその男を、セアルは冷やかな目で見下ろした。


「いつまでも転がっていると、誰かに蹴られるぞ」

「それ遠回しに蹴るぞって言ってない?」

「蹴る者が誰かは別に指定していないからな」

「ねえやっぱり蹴るぞって言ってるよね?」

「蹴るぞ」「ほんとに言った!? 本気だね!?」


 ごろごろ転がり回って笑っていたそいつは、笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を長い指で拭いながら起き上った。


「僕を楽しい気持ちにさせてくれたお礼に、一ついいことを教えてあげよう」

「………何だ?」


 この男の言動は予想がつかなさ過ぎて、少し疲れてきた。


「今日、ラウラは『影の森』に行くらしいよ」

「………………は?」

「今日、ラウラ、『影の森』、行く」

「………………なんだと!?」

「一人で行くみたいだよ。午後から行くって言ってたから、今から急いでラウラのところに行けば捕まえられるんじゃないかなあ」

「………そうか」


 ラウラが頑なにこいつを「友人」だと言わない理由が分かった気がした。

 いってらっしゃ~~~~~いと手を振るそいつに背を向けて、セアルは久しぶりに本気で走った。

 今日もいつものように雪が降っているが、走るのには少し不便だ。


「『風、その色は緑。運ぶものにして壊すもの。繭となりて我を包め』」


 首から提げた小さな媒体つえが、魔術の行使を助けてくれる。ふわりと優しく風が揺れ、セアルに容赦なく叩きつけられていた雪と向かい風が遮られた。これで、走るのはだいぶん楽になるはず。

 昨日までとはうって変わって人のいない王の道を駆け抜け、裏門方向から門番の警務隊員に驚かれつつもラウラの住まう廃教会へ向けて雪を掻き分ける。今日はラウラがアトーンドに来ていないから、道がない。新たに作っていくのが大層面倒だった。


(朝五つ目の鐘が鳴ったのは、出かける前だった。つまりいつ昼の鐘が鳴っても、おかしくない時間だろう)


 いくらラウラが腕の良い魔術師だとしても、忠実なそり引き犬を二頭も連れているとしても、『影の森』に一人で行くなど無謀が過ぎる。もしも魔獣に襲われて、怪我でもしたらと考えると、心が底の方から冷えていくような気がした。


「間に合え………!」


 見えてきた廃教会の、崩れた塀の前で盛大に雪を舞わせながら止まる。何事かと様子を見に来たらしい、カウルとトーヴァが顔を出した。


「カウル、トーヴァ……お前たちがここにいるということは、お前の主人はまだ中にいるんだな?」


 おん、と二頭が揃って吠える。賢い二頭の頭を撫でてやってから、セアルは廃教会に踏み込んだ。天井のない礼拝堂に入ると目に入る、色の抜けたステンドグラス。その下から鉄扉を開き、セアルの探し人が顔を出した。

 セアルの耳が、遠くアトーンドで鳴る昼の鐘を捉える。どうやら、間に合ったらしい。


「こんにちは、ラウラ。どこに行くのか聞いてもいいか?」

「セアル………」


 ラウラは曖昧な表情で笑って見せたが、セアルの微笑みを見て観念したらしい。


「………これから『影の森』に行くんだけど、一緒に来る?」

「ああ」


 こうしてセアルは、ラウラの無謀を止めることが出来たのだった。

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