11.人から外れし者―――ラウラ

 幽霊がやって来た翌日、緑の日。

 春焦がれの街、アトーンドにはラウラの姿があった。街は『影津波』によってもたらされた資源を売る商人たちが呼び込みの声を張り上げ、大変賑やかだ。


(………賑わってるって騒ぎじゃないわね)


 道は、同じく賑わっていた数日前よりさらに人が増えていた。多少避けてくれるとはいえ、カウルとトーヴァは荷車をとても引きにくそうにしている。

 早く着き過ぎたようだから散歩に連れて行こうと思ったのに、ただでさえ大きいそり引き犬を二頭も連れて歩くのはちょっと厳しそうだ。


「……時間まで一緒に待っていましょうか」


 おん、と二頭から返答が返ってきたので、道端に薬屋の屋台を止めて、結界縄で囲んで人混みを眺めて待つことにした。


(女の人はみんな木の札を持ってるけど……。何かしら、あれ)


 ちなみに木の札を持っている女性たちは、妙にウキウキドキドキしている。ただの木の札のようだし、心を弾ませるようなものには見えないのだが。

 そんなこんなでぼんやりしていると、昼の鐘が鳴り響いた。反射的に時告げの塔を振り仰いでしまって、まだ止む気配のない雪が目に落ちる。


「冷たっ」


 瞼を閉じるのは間に合ったが、やっぱり冷たかった。マフラーで目を擦りながら、カウルとトーヴァを促し西広場に向かう。白亜の道はいつにも増して人が多かったから、横道に逸れて。


(急がないと)


 アトーンドの東側は貴族や裕福な商人たちが暮らし、西側は町人たちの住まいが並ぶ。アトーンドに住まう町人たちは他の小さな町の町人たちよりは豊かであろうが、精々たまの贅沢が許される程度。ついでに言うと、アグリア王国最北のアトーンドでは薬の原材料である薬草が高いから、自然と薬も高くなる。

 そんな町人行き交う西広場に、比較的安価なラウラの薬屋が出店すればどうなるか? 飛ぶように売れるに決まっているではないか。


(早く開店したら、それだけ沢山売れるもの……大儲けしたいわけではないけど、お金には困りたくないのよね)


 お金がない生活は、かつての生で体験した。魔法と魔術で何とかなるし、最悪食べなくても何とかなるので辛くはなかった。が、ものすごく惨めな気持ちになるのだ。


(あれはちょっともう体験したくないわ……)


 カウルとトーヴァにもその気持ちが伝わったのか、少しばかり歩みが早くなる。それと横道に人が控えめだったお陰で、思ったより早く西広場に着くことが出来た。

 使用許可を取ったスペースに荷車が動かないようストッパーで固定する。留め金を外してカウンターになる側の反対側面を開き、そこに付いたステップで荷車の上に上がって引出から出した金の房飾りがついた布をカウンターにかけて。

 カウンターの端に置いた魔術式カンテラ、正確にはその中の白の魔術を仕込んだ魔結石に魔力を流して光を灯した。

 開店合図に気付いたお客さんがぞろぞろと店に足を向けるのを見て、ラウラは営業用の笑顔を浮かべる。


「いらっしゃいませ!」


 傷薬をちょうだい。こっちには火傷のお薬ね。血行促進のお薬売って。媚薬ください。回復薬を。魔物避けの香を注文させてください。保湿クリーム、香りなしで。傷薬と火傷の薬と疲労回復薬をそれぞれ一個ずつ。瓶を持ってきたよ。

 次々やってくるお客さんをてきぱきと捌いていく。足元に置いた箱から必要な薬を出して渡してお金を貰って金庫代わりの箱にしまう。用意のない薬を買いに来たお客さんには手早く注文書を書いてサインをしてもらい控えを渡す。

 夕方になるにつれ仕事終わりに寄るお客さんやこれから仕事のお客さんが増えていき、営業終了時間、夕の鐘が鳴ったときにはラウラはくたびれ果てていた。


(片付けしないと……)


 金の房飾りがついた深緑色の布に積もった雪を払い、元通り引出にしまう。金庫代わりの箱に鍵をかけていると、「すみません」という声がした。


「薬屋、まだやってますか?」


 いつもは初めにカウンターに置いた魔術式カンテラを消すのだが、忘れていた。予想以上に疲れているようだ。


「ごめんなさい、もう閉店なんです。すぐ済むのでしたら、要件をお伺いいたしますけど」

「あ、では傷薬を貰えますか?」

「はい、どうぞ。大銅貨五枚になります」


 小さな素焼きの壺に入った傷薬を渡し、代わりに大銅貨を受け取る。そのお客さんを見送った後で、すぐに魔術式カンテラを消した。

 辺りはもう真っ暗だから、少し手元が暗くなる。一応携行用の魔術式ランタンも積んではいるが、荷車に付けている魔術式カンテラの灯りだけでも十分に見えたから今は点けないことにした。

 さっき受け取ったばかりの、まだ体温の残る硬貨を金庫代わりにしている箱へとしまって、開けっ放しになっていた薬の木箱の蓋を閉めて綺麗に並べ直す。もう忘れていることはないか一つ一つ指差して確認、片付けが全て終わっていることを確認してカウンターの反対側面から降りた。そこも上げて、留め金を止めてしまえば薬屋の屋台はただの荷車へと戻る。

 周りを見回せば、だいぶん人が少なくなっていた。人も少なくなったことだし、安全な大通りを通って帰った方がいいだろう。


「カウル。トーヴァ。中央広場を通って、裏門から帰りましょうか」


 おん! と元気よく返事をした二頭の首回りを撫で、歩き出す。何も言わなくても速さを合わせてくれるので、二頭のことは気にしなくていい。

 滑らないように気を付けながら、雪降る道を進む。

 中央広場に差し掛かったとき、警務隊の面々が何やら片付けをしているのが見えた。


「アネス、何してるの?」

「ラウラ殿っ!? こんな時間に何をしているんだ!?」

「今日は西広場が夕の鐘が鳴るまで使える日だから。ついさっき、お店が終わったところだよ」

「そ、そうか……。私たちは、春祭りのくじ引きの警備をしていたんだ」

「くじ引きに警備がいるの?」


 春祭りについては当然知っている。アトーンドで行われる大祭で、祭り騒ぎになると怪我する人が増えたり、飲み過ぎの人が出たりと何かと薬が入用なので、前日に頑張って薬を作っていた覚えがある。


「………ラウラ殿は参加していなかったのか?」

「何に?」

「……春祭りでは春の乙女に扮した女性が舞を舞うことは知っているか?」

「聞いたことはあるよ」

「その春の乙女役を務める女性を『春呼びの乙女』と呼ぶのだが、それを選ぶくじ引きだ。発表はもう少し先だが、いつも人出が凄まじいことになるので警備に当たっているというわけだ」

「ふうん」

「ラウラ殿はその、成人している、よな……?」

「うん」


 魔女の身体は人族や獣人族のそれとは異なるため、この肉体が構築されてからの年数と肉体の成長が見合っていない。この肉体が構築されてからの年数だけなら三十年以上経過しているし、(年齢こそ十九歳としているものの)成長具合から類推するに実際の肉体の年齢は十六歳の少女と同じくらいだろう。アネスが勘違いするのも致し方ないことだ。


「そして、未婚」

「そうだね」

「ラウラ殿の住まう廃教会は王家直轄領に入っていたはず……つまり、アトーンドに属していることにはなるか」


 なにやらぶつぶつ呟いていたアネスは、がばっ、と顔を上げてラウラを直視してしまい、赤面して目線を逸らしつつ言った。


「ラウラ殿もくじを引いてみないか?」

「え?」


 突然の提案に、きょとんとなる。だが、ラウラは魔女。その正体がばれるのは色々な意味でよろしくない。


(この肉体が構築されてから、私が魔女であると知った者は幽霊さんとケントだけ。髪と目は……魔法で変えれば問題ないわよね? ………なんだ、案外大丈夫そうじゃない。それに、参加資格のある人がどれだけいるのよ。倍率はものすごいことになってるはずだわ。当たるわけないし、記念に引いてみるぐらい、いいわよね)


 というわけで。


「そうだね、引かせてもらおうかな」


 まだ片付けていない箱があるとのことで、それに手を突っ込んで最初に触れたものを取る。

 ラウラの手に握られていたのは、昼間に街の女性たちが持っていた木の札と同じものだった。


「発表は十六日後、濃緑の日だ。ぜひ確認しに来てくれ」

「ええ。それじゃあ」

「気を付けて!」


 アネスのばかでっかい声に手を振って応え、予定調和のごとく赤くなった彼に背を向けケントの待つ廃教会へ急ぐ。

 手にした札には、「749」と書かれていた。

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