10.人から外れし者(前)―――幽霊
僕の名前は幽霊。主に魔具を扱う、しがない行商人だ。僕の名前の由来は僕が
まあ、僕の話はこれぐらいにしておこう。
まだ冬明けぬ頃、僕は友達(何故か本人からは「ただの顔見知り」と言われるけれど)のところへ向かった。その友達は、既に滅んだと言われる魔女だ。
何故それを知ったのかは僕の家の事情にも絡んでくるからナイショ。でも事実として彼女は『白』の魔女で、とても品質のいい魔具や魔法薬を作ることが出来る。
だから僕は彼女が魔女であることを黙っている代わりに、
そんなわけで僕は、商品の補充をしようと彼女のところへ行ったんだけど……。
何故か彼女は、兎族の男に襲われていた。
一般の種ならともかく、王種である赤眼種にだ。あまりにもびっくりして、「退散した方がいい?」とか口走ってしまった。
その後理性を取り戻したらしいその男は彼女ことラウラ(ちなみに僕はラウ、と呼んでいる)にすごく綺麗な土下座をしていて、僕はラウがどうするのか気になってその場に留まる。
ふわふわした顔をしていたラウも頭を軽く振ってふわふわを追い出したみたいで、ぐるりと周囲の状況を確認してから大きな大きなため息をついた。
「………とりあえずセアル、顔を上げて? セアルに非はないから」
「だが……俺は無体な真似を……」
「マーキングぐらいなら無体に入らないよ。それに、もとはと言えば私のせいだもの」
セアル? 兎族の王種で、セアルという名の男には心当たりがある。確か兎族領主の、妾腹の息子だ。優秀だけど正妻の産んだ弟がいるから、家督は継げないだろうっていう話を聞いた。
「今換気してるから、とりあえずお茶飲んでて。鎮静作用があるから」
「っああ。………その、本当にすまない」
「私の配慮不足だよ。本当に、気にしないで」
話を聞く限りラウがうっかり何かして、それが原因で件のセアルくんが理性を飛ばしてしまったらしい。一体何したんだろう。すごく、すごく気になる。
うずうずしながら調合室に消えたラウの帰りを待っていると、セアルくんから不審げな視線が。まあ、そうだよねー。
「どうしたの? 僕の顔に何かついてるかい?」
「いや、そういうわけではないが。………貴方はラウラの友人、なのか?」
「うん、まあそんな感じだね。僕は行商人なんだ。気軽に『幽霊』って呼んでよ。」
「『幽霊』……?」
不審げな視線が、そんな名前なわけないよな、みたいな、探るようなものに変わった。いつものことだから、もう慣れ切ってしまった。
僕はあえて歩かずに、ふわふわ空中を漂ってセアルくんの前に行く。セアルくんは、ありえないとでも言う風に目を見開いた。
正常な反応だ。やっぱり、僕のことを知らないんだろう。
「僕、あれなんだ。臨死者ってやつ。一回死んで、でも生き返ったの」
ほら、と履きっぱなしのブーツを脱ぎ、ゆったりした服の裾を捲り上げて見せた。
ひゅっ、と息を飲む音がする。まあ、それも当然の反応だよね。
僕の足、輪郭はあるけどほぼ透けてるもん。
「………さっき、空中を移動していたのは」
「僕が半分死人だから。条件が良ければ壁とかすり抜けられるし、こうやって空も飛べる」
ほらっ、と僕は、軽い調子で宙返りして見せた。
「……そうなのか」
僕の様子が全然深刻そうじゃないからだろう。セアルくんは、ちょっと茫然としていた。
調子に乗ってもう一回宙返りしていると、調合室と居間を隔てる扉が開かれた。
ラウは、ものすごく冷たい目を僕に突き刺す。
「何してるの、幽霊さん。いつにもまして不審だね」
「やあラウ、お帰り~」
「満月が近くて扉をすり抜けられるからって、突然来るのは止めてって前も言ったと思うんだけど。そんなに結界を張って欲しいの?」
「あっ、ごめんなさい。それだけは止めてください」
しおしおと崩れ落ちながら、クッションの上に座る。冗談みたいに聞こえるかもだけど、結界は本当に止めて欲しい。拒絶された感が半端なくて、地味にへこむんだよね。
「……ラウラ、知り合い、なんだよな?」
「たまに魔具とか魔法薬を買いに来るだけの、ただの顔見知り」
相変わらず冷たい。暑さ寒さに鈍い僕だけど、視線の冷たさで凍えそうだ。
「ああそうだ。聞きたかったんだけど、さっき何が起きてたのかな? 教えてくれない?」
ラウは自分もクッションに座って、一口お茶を飲んでから再び口を開いた。
「花街から受けた注文の品を作って、ひと段落したから換気し始めたぐらいに彼、セアルが来て媚薬の匂いに当てられたの。それだけ」
「当てられるほどの匂いが漂ってたのに、君は影響ないの?」
「私、薬が効きにくいの」
「なるほどね」
「……ラウラ、また一人で花街に行ったのか?」
「一人じゃないよ」
「カウルやトーヴァが賢いのは知っているが、人数には含めないぞ」
「残念」
セアルくんの心配はごもっともだけど、たぶん心配いらないと思う。花街はお世辞にも安全とは言えない場所だけど、その外界から隔絶されたコミュニティの中は案外ちゃんとした秩序があるものだ。
ラウは花街から認められてるみたいだから、ラウに手を出すような奴は翌日には氷像になってると思う。
セアルくんは、それを知らないのだろう。もしくは知ってるけど心配って感じかな? まあ確かにラウは年齢の割に小柄だから、仕方がないよね。
「……とにかく! セアルの要件は何? 何か用があって来たんでしょう?」
「ああ。俺はアネスに頼まれて、この前の『影津波』の報酬を渡しに来たんだ。お望みどおり、クズ魔結石だ」
セアルくんが傍らに置いていた箱をラウの方へ押しやる。ラウと一緒に中を覗きこんだけど、本当に小さい欠片が多い。こんな小さいもの、魔術を込めても数回で使い切っちゃいそうだ。
「ありがとう。これでしばらく困らないで済むよ」
「……もう少し大きいものじゃなくてよかったのか? 本当にクズ石だぞ、それ……」
「魔結石の使い道は、魔術を込めるだけじゃないんだよ?」
セアルくんは困惑しているようだ。僕もだけどね! 何に使うつもりなのか、さっぱりわかんない。
「本当にありがとう、セアル。嬉しい」
「……喜んでくれたなら、持ってきたかいがあった」
セアルくんは自分のカップに注がれたお茶を一息で飲み干し、音もなくカップをテーブルに置く。
「もう帰るの?」
「ああ。急ぎではないが、仕事が少し残ってるんだ」
「大変なんだね、領主名代のお仕事」
「慣れればそうでもないさ。……それより俺は、ラウラの方に尊敬の念を覚えるが」
「そうなの? 例えばどこに?」
「………色々だ」
「答えになってないよ?」
「話が長くなるから、またの機会に。……そうだな。春祭りのときにでも」
「先過ぎ!」
「そう言うな。……じゃあ、また」
「うん。またね」
僕にも軽く頭を下げて、セアルくんは帰っていった。ラウには軽く微笑んだだけだったから、対応の差にちょっとドキッとするんだけど。……僕の正体、ばれてないよね?
うん。きっと知り合ったばかりだからに違いない! まだ他人行儀なだけだよね!
からら、と乾いた音が鳴ってようやく、ラウはカップを置いた。
するりと左目を覆う眼帯を外し、髪留めを外す。
平凡な娘が、煌びやかな色彩纏う魔女へと変貌する。
「───迂闊なことを、してくれたわね」
只人には到底出せぬ殺気と圧。魔女の持つ甚大な魔力を少し向けられただけで、僕は動けなくなった。
朗らかで暖かだった
「人に聞かれかねないから、私を魔女と呼ぶなとあれほど言ったでしょう?」
「……それについては、ごめんね」
尊大に足を組み、顎に手を当て『白』の魔女たるラウラは僕を眺めている。その気になれば、人から外れた存在の僕をも一瞬で雲散霧消させられる存在が。
「………まあ、いいわ。貴方を殺すと、面倒なことになるもの」
華奢な身体から発せられる魔力にたなびいていた白く煌めく髪が静まった。す、と音もなく立ち上がる。
命の危機は脱したかな、と安堵していたから、次の瞬間、何が起きたか分からなかった。
「───だから、これで許してあげる」
ぱき、と胸元で小さな音がする。慌てて首から下げた
………例え『影津波』に会ったとしても、完璧に身を守ってくれるはずの魔具が。
つう、と背中を冷や汗が滑り落ちていく。
「さて、今回は何が欲しいのかしら? 幽霊さん」
視線の先には、さっきまでと全く変わらぬ柔らかな笑みを浮かべる
暑さ寒さを感じにくいはずの僕が───ぶるり、と身震いした。
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