6.雪の招く記憶(前)―――ケント

 アトーンドの中心部にある避難所は、人でごった返していた。

 魔獣の攻撃や魔術による攻撃も防げるような作りであるが故、どうしても避難所内の空気は籠もりやすい。鋭い嗅覚を誇る狼族のケントにとって、この空間にいることは苦痛でしかなかった。


(あーーーー、早く出てぇ……)


 薄い青のマフラーを鼻先まで引っ張り上げ、少しでも匂いを遮断しようと試みるも、無駄だった。

 仮にケントがこっそり避難所を出たとしても、おそらくばれないだろう。だが、問題は出てからだ。ケントは戦士ではない。自分に出来るのは喧嘩が精いっぱいで、命を懸けた戦いなんか向いてもないしやる気もない。魔獣になど出会った日には、その日がケントの命日になるだろう。


(どうせラウラはまた、前線にいるんだろうな)


 あのお人好しの魔女は今頃、冷たい瞳で魔獣を殲滅しているのだろうか。どうせあの兎族の奴らは彼女を止められないのだから。

 ぼんやりと座り込み、虚空を眺めているとごんごんごごごん、とリズミカルに扉を叩く音がした。魔獣な訳がないと思いつつも一応警戒してしばらく待っていると、全く同じリズムのノックが三回続いた。

 金属の閂を引き抜き扉を開ける。冷たい風が吹き込んできた。


「あらケント。ここにいたの」

「まぁな。仕事で近くにいたから」

「そういうこと……あ、ちょっと待っててね」


 ラウラはすう、と大きく息を吸い、精一杯声を張る。


「『影津波』の鎮圧は完了しました!! 片付け、手当等手伝っていただける方はご助力お願い致します!!」


 凛としたソプラノは、避難所の湿っぽい空気の中にぴんと響く。ラウラが踵を返したのに釣られるようにして、避難していた住民たちも動き出した。ケントも、自分がいる場所にはこれから人が殺到することは分かり切っていたのでラウラに続いて地下道を歩き、さっさと地上に出る。

 地上の雪舞う冷たい空気を肺いっぱいに吸い込むと、爽快感が全身を駆け抜けた。


「そんなに避難所、嫌だったの?」

「当たり前だろ? なんか、暖かいというよりぬるいというべきあの空気」

「人が沢山いたんだもの。仕方ないでしょう?」


 外で待っていたカウルとトーヴァが寄ってきて、主人であるラウラとおまけでケントの横に付く。そり引き犬は賢く忠実であるが、こいつらは別格だと運び屋仲間が言っていたのを思い出した。


「ケント、行政府に行きましょう。お薬を届けて回らないと」

「そうだな。……ラウラは先に花街か?」

「ええ。花街は市壁に近いから、ときどき壁を越えて魔獣が入り込んだりしているし。あそこは遊びに行く以外で近付きたがる人、多くないでしょう」

「……そうだろうな」


 中央広場から見て北西の市壁付近にある享楽の園、花街。その性質上治安がいいとは言い難いし、油断したり下手なことをしたりすれば次の朝には身ぐるみ剥がれて路上に放り出されているような場所だ。そんな場所にほいほい出かけていくような奴はなかなか頭が蕩けているか、花街に認められた奴ぐらいのもの(当然ラウラは後者である)。


「ほらケント、早く行きましょう。運び屋は速度と信頼っていつも言ってるじゃない」

「へいへい」


 ラウラはカウルに、ケントはトーヴァに跨り王の道を走る。急いだお陰か、役所が混む前に辿り着くことが出来た。


「こんにちは」「こんちは」


 ラウラの馴染みらしい役人が顔を出し、少しばかり挙動不審に駆け寄ってくる。


「こんにちは、ラウラさん。ケントくんも。どうしたんだい?」

「備蓄庫の薬を取りに。荷運び用のそりも貸して頂けるとありがたいのですが」

「ああ、うん、はい。薬と、そりね」


 慌てて準備を始める役人を見て、ラウラにこっそり耳打ちした。


『………なあラウラ、あいつ……』

『対象外よ』

『だろうな』

『当たり前でしょう』


 しばらくすると役人は戻ってきて、薬の入った箱をそりに積んでくれたのだが、ちょっぴり気落ちした雰囲気だったので聞こえていたのかもしれない。


「行きましょう、ケント」

「そうだな」


 そのことにかなりの確率で気付いていたであろうラウラは完全に無視していた。流石、利己的なる魔女と言うべきか。

 それはさておき。


「じゃあね、ケント。たぶん大丈夫だとは思うけど、気を付けて」

「おう。ラウラも」


 ラウラと別れ、ケントは一番急を要する患者がいるであろう場所、すなわち防衛線である裏門に向かうことにした。

 そりに立ち、薄く雪の残る王の道を裏門方面へ向かって走らせる。以前街中にまで魔獣が入り込んできたときは街の至る所が魔獣の血でターコイズブルーに染色されたものだが、今回はそれもない。


「平和っていいよなあ、トーヴァ」


 おん、と返事が返ってきた。そんなこんなしている間に、開かれた裏門が見えてくる。裏門横に警務隊員が立っていたので、一応手綱を引いてトーヴァを止めた。


「よう。薬の配達に来たぜ」

「君、運び屋の……何だっけ」

「ケントだよ、ケント!」

「ああ、それだそれだ。で、持ってきたのは薬か。助かるよ。入ってすぐのところに救護テントがあるから、そこに持って行ってくれ」

「りょーかい」


 トーヴァの名前を呼べば、察してすぐに駆け足を始める。普通そり引き犬への指示は犬笛で行うから、珍しいものを見たような目で見送られた。


(ま、いいけど)


 本当に入ってすぐのところに救護テントがあったので、そこにそりを横付けして入り口に付いた鈴を鳴らす。

 怪我人が来たと思ったのか、医術師がすごい勢いで飛び出してきた。


「どうした─────って、怪我人じゃない?」

「薬届けに来た。とりあえず、回復薬」

「ああ……!! ありがとう、本当に助かったよ……!!」

「毒食らったやつとかは?」

「ああ、それなら手持ちの解毒薬で何とかなったから大丈夫。それより、火傷の薬とかないかな」

「ちょっと待ってろ」


 一旦そりに戻って探していると、トーヴァが一つの木箱に足を置いて、おんと吠えてくる。

 箱を開けてみると、見覚えのある火傷の薬が入っていた。


(ラウラの薬……備蓄されてたのか)


 ちょっと感慨深さを感じながら火傷の薬入り木箱を抱えてテント入り口に戻る。が、そこにさっきまでいたはずの医術師の姿はなかった。

 忙しいんだなーと思いつつ勝手に中に入り、さっきの医術師の姿を探す。だがその過程で、別の奴の姿を見つけてしまった。


「……セアル」

「ケント。配達か」

「まーな」

「お前が探している医術師は、向こうの白布がぶら下げてある区画にいる。あそこにいるのは比較的軽症の者たちだから、お前が行っても問題はないだろう」

「……で、お前は?」

「まだ軽症だ」

「嘘つけ。結構血の匂いすんぞ」

「ここは血の匂いが充満しているからな」

「誤魔化すんじゃねーよ。狼族の鼻、舐めるな」


 降参だと言わんばかりに、セアルはいささか低すぎる位置で組んでいた腕を解いた。腕で隠されていた脇腹には魔獣の爪に引っかかれたと思しき破れがあり、そこから白い包帯が覗いている。薄い包帯の白に、ガーゼの赤が透けて見えた。


「結構重症じゃねえか。何が『まだ軽症』だよ」

「筋肉で止まった。内臓に傷もついていない。十分軽症だ」

「ふざけんな。オレはお前のことこれっぽっちも心配しないけどな、お前が怪我してるとラウラが悲しむんだよ」


 念のためとさっきくすねておいた回復薬をセアルに放る。失った血は戻らないが、あの程度の傷なら一日二日あれば塞がるだろう。


「………助かる」

「お前のためじゃなくて、ラウラのためだからな」

「分かっている」


 背中から追いかけてくる声が聞こえなかったふりをして、テント内の、白布がぶら下げてある区画に向かった。さっき出迎えてくれた医術師に火傷の薬が入った木箱を丸ごと渡し、ケントはそのまま外に出る。


「……む。お前は」

「げ……白兎野郎」


 待ちぼうけを食らうハメになって微妙にむくれたトーヴァを宥めていると、天敵である警務隊の白兎野郎アネスに出会ってしまった。


「言っとくが、ここには頼まれて来てるんだからな」

「分かっている。こんなところまで来て盗みを働く馬鹿はいるまい?」

「なんだとっ……!」

「なんだ、心当たりでも?」


 ちらりとこちらを見やる、どこか傲慢な瞳。の、それ。

 ずき、と脚に痛みが走る。上げかけた悲鳴を噛み殺し、わざといつも通りの不敵な笑みを浮かべて見せた。


「あるわけないだろばーか。目ん玉やられたのかよ白兎野郎」

「……なんだと?」


 白兎野郎アネスが見せた怒りに慄く自身の心をねじ伏せ、そりに飛び乗る。


「行くぞトーヴァ! こんな野郎に構っちゃいられない!」

「待て、逃げる気か!」

「仕事に行くんだよ! あと体ぐらい洗え青兎野郎!」

「おい止まれ!」


 ケントを追いかけようとした白兎野郎アネスが指示を求める警務隊員たちにとっ捕まったのを見て、ケントは爆笑しながら裏門をくぐるのだった。

 ただその笑いも、門をくぐってすぐに引っ込んでしまう。


(オレも懲りねぇな)


 白兎野郎アネスはまともな方ではあるが、兎族の王種。つまり、貴族だ。

 ざざ、と音を立てて、記憶の濁流がケントを呑み込もうとする。



 ───痛む足。もう感覚もなくなってきた。



(違う、ここはアトーンド。春焦がれの街。じゃない)



 ───何か大切なものが失われていく感覚。



(さむい)



 ───吹き荒ぶ吹雪。



(あぁ……寒い)


 気付けばケントは、薄く雪の積もる道に倒れていた。赤子のように体を丸めて、荒く息を繰り返して、そのくせ瞳は虚ろに開いたまま。

 頬に雪が落ちて、儚く溶ける。

 ここアトーンドに住まうといわれる冬の男は、冬になるとその手に持つショールを地上に投げかけるという。投げかけられたショールは雪として、地上のあらゆるものを白く染めるのだ。

 優しく降り積もる雪に導かれるように、ケントの瞼が落ちていく。

 呼吸は次第に穏やかで深くなり、だんだん間隔が長くなっていって────


 ケントのすぐ傍で、雪が蹴散らされた。墜落でもしてきたかのような勢いで。


「──ト、─ン─!」


(うるさいな……眠いって言ってるだろ……)


「ケン─! おい起きろ!!」


(……誰の声だったか………聞いたことがある……)


「ケント! いい加減に起きろバカ!!!」


 ばしんと頬が張られて、一気に意識が覚醒した。


「………………ふらう」

「やっと起きたな……! 何で道のど真ん中で凍死しかけてるんだ!?」

「……悪い。意識飛んでた」


 はっとしたようにフラウは口をつぐむ。ここアトーンドは都から最も離れた街の一つ。それゆえ都にいられなくなった者たちの吹き溜まりでもあるのだ。流れ者に詮索はご法度であると思い出したらしい。


「……とりあえず飲め。ラウラのだから、効果は知ってるだろ」


 自分こそ鼻の頭を真っ赤にしているくせに、ケントに血行促進の薬を渡してきた。どれだけお人好しなのやら。


「お前、今絶対お人好しとか思っただろ」

「まーな」


 ジンジャーと、他幾つかの内容物の風味が舌の上を滑っていった。少しすれば効果も現れてくるはずだ。

 フラウは自分の分を口にしながら、何やらモゴモゴ言っている。意味が分からん。


「ぷはっ。薬の配達ならもう十分のはずだぞ。今回は魔術師連中のお陰で怪我人は少なかったからな」

「まじか」

「それより解体手伝ってくれよ。相変わらず数が多いんだ」

「そり返してからな。これ役所からの借りもんだし」

「んじゃおれも行く。さっきまでさんざん働かされたから疲れたんだよな」

「ラウラにばれたら」「怒られるけどな」


 はははと声を上げて笑って、ケントはあちこちに積もった雪を払い落とした。


「行こうぜ、フラウ」

「ああ」


 雑談しながら歩いていると、思い出されるのはここにはいない彼女のこと。


(……ラウラの報酬、せしめてこないとな)


 思い浮かんだ記憶に蓋をして、わざとそんなどうでもいいことを思った。

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