5.我に祝福を(後)———ラウラ

 市壁上の通路に立つラウラを、凍える雪混じりの風が嬲っていく。乱れる髪を整えもせず、ラウラは視線を下に落とした。

 市壁の下には警務隊の隊員たちや冒険者と思しき人々が蠢いており、上空にはフラウを含む鷹族の狩人たちが輪を描くように飛んでいる。


「ラウラさん、緊張してます?」


 気さくに声をかけてきたのは、豹族の女性警務隊員。髪色が淡い黄色で焦げ茶の斑点があることから、淡黄斑種だろう。


「ええ……少し」


 嘘だが。魔女であるラウラにとって、魔獣などこれっぽっちも恐ろしい存在ではない。


「私もです。今回は少ないみたいですけど、飛行型の魔獣には直接攻撃されることもありますし」

「そうですね……鷹族の狩人が守ってくれると信じましょう」

「ですね。……あ、そろそろ始まるみたいですよ。私たちも行きましょう」


 ラウラは無言で一つ頷き、呪文を唱える。


「『風、その色は緑。運ぶものにして壊すもの。我を包み、彼方へ運べ』」


 ふわりと風がラウラを包み込み、浮き上がった体を後ろから押される感覚。ラウラの体はセアルたちの頭上を越え、市壁から外壁へと降り立った。

 眼下に蠢く魔獣たちを一瞥し、ラウラは詠う。


「『雷、その色は黄。告げるものにして穿つもの。網となりて敵を包め』」


 ラウラの手から迸った雷が、魔獣に絡みつき焦げ臭い匂いを放つ。それは魔獣の苦鳴と共に、外壁上のラウラたちのところまで届いた。

 周りの魔術師たちが媒体つえを持っていない方の手や服の袖で鼻を覆ったり、顔をしかめたりしている。だが、ラウラは。


(ああ、やっぱり……


 魔女は、利己的なるもの。己が欲のために生き、己が欲を満たすためならば世界をも滅ぼすもの。

 故にラウラは、何とも思わない。思えない。そして、そのことを寂しいとすら思わない。

 そんな己の有様を、ラウラは誰にも見えぬように薄く嘲笑う。


(やはり、私も『魔女』ね)


 手を伸ばす。憐れで愚かな異形の獣たちへ向けて。嘲笑と、慈悲を持て。


「『風、その色は緑。運ぶものにして壊すもの。壁となりて我を守れ』」


 ラウラの言葉に従って、風が躍る。外壁を囲むように風が吹き上がり、魔獣たちを遮る壁となる。


「皆さん、壁の向こうにありったけの赤の魔術を撃ち込んでください」


 返事を待たず、ラウラは詠う。


「『火、その色は赤。暖めるものにして焦すもの。我が敵を焼き尽くせ』」


 風の壁の向こうで、赤々と炎が燃え上がった。

 他の魔術師からも次々と赤の魔術が放たれてさらに炎は大きさを増し、そこはまるで、どこかの伝承にある地獄のような光景が広がる。死を知らぬ自分にとっては縁遠い場所だ。


(これはこれで、結構綺麗ね。……さて、集中しないと)


「『火、その色は赤。暖めるものにして焦すもの。我が敵を焼き尽くせ』」


 ごうごうと、雪混じりの風にも負けず炎は燃え盛る。それに見惚れて、我に返ってまた魔術を撃ち込んで。それを何度繰り返した頃だろうか。


「ラウラ!!」


 はっ、と我に返れば、隣にフラウが立っていた。心配そうに、ラウラの顔を覗き込んでいる。


「大丈夫か? 魔力切れ起こしかけたりしてないよな?」

「大丈夫。少しぼうっとしていただけだから。……そういうフラウこそ、魔力切れは起こしてないよね? 見てたんだよ、何度も魔術を使っていたところ」


 そう返してみると、案の定フラウは目を泳がせた。


「……ちょっと体がだるい」

「やっぱり! 魔力切れの初期症状じゃない。もう魔術は使わないようにしてね」

「あー、ほら、おれは媒体つえ使ってるから後一、二回ぐらいなら」「フ・ラ・ウ?」

「………すいません」

「もう、魔術は、使わないようにしてね?」

「ハイ……」


 とびっきりの笑顔を添えて言い聞かせ、ラウラはフラウから一歩離れた。相手を威圧するには至近距離から睨み付ける方がいいので、少し近付いていたのだ。


「で? 何か用があるんじゃないの?」

「ああ、そうだった。魔獣の生き残りがいないか確認したいから、火を消してほしいんだ。他の魔術師にも頼んだんだけど、皆魔力がもう心もとないって言ってるんだよな……」

「アトーンドに人族は少ないものね」

「そういう問題か?」

「そういう問題でしょ? 魔力量で悩んでいるんだから」


 ラウラは、燃え盛る炎の方へ手を差し伸べた。


「『水、その色は青。潤すものにして攫うもの。雨となりて降り注げ』」


 炎の上で緩くもやが生まれ、雲となり雨が降り始める。でもその雨は、寒さのせいで雪に変わってしまった。


「……雪になっちゃった」

「雪の方が普通に雨降らすより早く消えるだろ」

「言われてみれば、そうだね」

「………で、本当に魔力大丈夫か?」

「うん。本当に大丈夫。心配しすぎだよ、フラウ」

「……ならいいんだが」


 何度も何度も過剰と言えるほどに心配してくれたフラウには悪いのだが、魔女たるラウラにとって魔術程度、数百回発動してもまだ余裕な代物だ。

 何せラウラの魔力量は、人族など足元にも及ばないほどあるのだから。

 ラウラの降らせた雪と、自然が降らせた雪が炎を次第に鎮めていく。後に残るのは、焼け焦げた魔獣の死骸のみ。


「……あれじゃあ、毛や皮は無理だよね」

「魔結石は問題ないだろうけどな。……素材を採ろうとして無理をするのが一番よくないし、それにほら、ラウラのお陰で怪我するやつが減ったんだ。誇ってくれよ」

「ありがとう、フラウ。ところで、呼ばれてるみたいだけど?」

「げ」


 先ほどから上空で鷹族の狩人が、「若ーーーー! さぼってないで手伝ってくださーーい!」と怒鳴っていたのだった。


「……じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい。私はこれからアトーンドに戻るね」

「はぐれ魔獣がいるかもしれないから、気をつけろよ」

「本当、フラウって過保護」


 最後の一言は、フラウの耳に届かなかったらしい。フラウは軽く手を振って、その金茶の翼を翻し空へと舞い上がっていった。

 ラウラは魔力切れでへたり込んでいる魔術師たちを尻目に、緑の魔術を発動させる。


「『風、その色は緑。運ぶものにして壊すもの。我を包み、彼方へ運べ』」


 外壁から市壁に飛び移り、そのまま市壁を蹴ってアトーンドの中へと舞い降りた。


(避難所、どこだったかしら)


 住民たちに後片付けの助力を求めるべく、ラウラは中心部に向かって歩き出すのだった。

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