神楽坂)ひとつの借りの返し方(after30
俺は望月朔。術士をしている。
銀の蛇の一件が片付いてしばらく経った某日。貸しを返してほしいと神楽坂から電話が掛かってきて俺は一人夜会に来ていた。
「今回は何の用だ」
「よしよし、よく来たね」
神楽坂庵はいつもの飄々とした笑みを浮かべ手招きした。今日は邦子を連れず格好も男の姿だ。
服も華美で高そうなものではなく……いや、高いのだろうか。見た限り普通の着物だが着物の値段はよくわからない。
「お願いは簡単です。面倒なやつが来ているのでワタシと同席して全力で話をそらして欲しいんです。助けてください」
神楽坂は両手で俺の手を握りしめてきた。若干気持ち悪い。
「はぁ??」
「ワタシそいつの事が心から嫌いなんです。ホントのホントに無理なのアイツ。もう生理的に無理なんです」
神楽坂にそこまで言わしめるとはどんなゲテモノなのだろう。
前回遭遇した夜会ではサイン会や握手会モドキもやっていたらしいが、その時は嫌な顔ひとつしていなかったそうだが。
「ハーイ♡庵♡」
背後から声を掛けられ産毛が総毛立つ。
気配は一切無かった。
神楽坂に抱きつこうとして避けられた金髪にサングラスの男は軽く体勢を崩したもののコケはしなかった。
男の服装は白いYシャツに黒い線の細いパンツ、靴は革靴でウインドブレーカーのような透け感のある上着を羽織っている。
神楽坂もかなり大柄な方だが、更にデカい。俳優かモデルで通用しそうな整った容姿、無造作に纏めた金髪もシンプルな白シャツも妙に洒落て見える。ただサングラスを外す仕草さえモデル然としていた。
イケメンとしては神楽坂より万人ウケしそうだ。
「観光ビザしか取らせて貰えなかったケドちゃんと合法的に来たよ♡いっぱい褒めて♡」
ほぼ訛もない日本語に少し驚く。術などで翻訳していない、ネイティブスピーカーだ。
そいつは柔和な笑みで神楽坂に白薔薇ベースの花束を差し出した。
「はい、庵。これプレゼント♡」
「…………結構です。いりません」
「ミスタ、お受け取りクダサイ」
後ろについてきたスーツ姿のブロンド美女が咳払いをした。こちらは翻訳術特有の違和感を感じる。どうやら神楽坂はミスタと呼ばれているらしい。
神楽坂はものすごく嫌そうにしぶしぶ花束を受け取った。
「ウィリアム。ミスタ。ここではヨクナイです。小さな店を借りてあるのでそちらでお話しましょう」
俺はもう帰りたくなっていた。
・ ・ ・
「…………」
会場外には別な転送門が用意されており、
予想はしていたが、俺達が連れてこられた店は喫茶店等の入りやすい店ではなかった。
俺でも知っている都心の有名ホテルのバーラウンジ。恐らく会員制のものだろう、入り口にSPがいる。
「すみません、俺は何も聞いていないのですが」
俺の隣を歩く秘書っぽい例のブロンド美女に尋ねてみる。
「元よりミスタがふたりきりだけは絶対に嫌だと言っていたので貴方は問題ありません。ウィリアムも眼中になさそうなのでそのまま居ていただいてよりよろしいかと」
「ウィリアムさんは有名人なんですか?」
「ヤポンではNewHumanityだか新人類でしたか。そんな名前の新興宗教をご存知ですか?」
「ええ、まぁ……名前くらいは」
日本ではそこまで広がっていないが、米国では凄まじい人気で信者数全米2位に迫る勢いと聞いたことがある。流石にキリスト教には敵わないが人口比を考えるととんでもないモンスター新興宗教だ。
「彼はその教祖で最高司祭です。北米でのウィッチとしての序列も高いので監視もついています」
「…………帰っていいですか」
「だめだよ……帰さないから……」
先を歩く神楽坂が血走った流し目で俺を見る。
嫌だ、これ以上関わりたくない。
顔を隠したボーイと黒服に誘導され個室に案内された。座り心地は最高な革張りのソファがものすごく落ち着かない。
ボーイも震えている。かわいそうに。
秘書っぽい女性はメニューとボーイ、そして俺達を置いて去っていく。
薄弱なまとも成分が減るので行かないで欲しい。
「庵はお酒が好きだと聞いたから借りてみたよ。何でも好きなだけ頼んで良いからね♡」
メニューを手に取り開いてみる。値段が書いてない。怖い店だ。
「ワタシはどぶろくとスピリタスとウォッカ銘柄は適当に、あとチェイサー」
度数が高けりゃ何でも良いのだろうかこの男。
「僕はイーグルを開けてもらおうかな、チョコレートとローストしたクルミ、あとブラックオリーブも」
自由な注文スタイルに広義の同業種として同情を禁じ得ない。ちなみにウィリアムの注文したドリンクもつまみもメニューにひとつも無い。
「朔君も何か呑みなさい。どうせ全部
「……ミネラルウォーターください」
「どうせすぐ呑まないとやってられなくなりますよ」
「あとこのフルーツの盛り合わせ(大)」
「食べてやり過ごす作戦ですか……ふふ、そうはさせませんよ」
顔を隠した店員が入れ替わるように飲み物とつまみを運んでくる。こちらも手が少し震えていた。
生きた心地がしないだろうな。気持ちは分かるよ。
酒と水のボトルに加え注文外のカナッペやサンドイッチなどつまみや軽食が並んでいく。
というか、どう見ても注文したものよりめちゃくちゃ多い。サービスなのか。食べて良いのだろうか。
「庵♡もっと顔を見せて欲しい♡」
「顔を寄せるな。キモい」
横では神楽坂が未だかつて見たことがないほど萎れている。やる気がないキャバクラ嬢を見ている気分になってきた。帰りたいよ、俺も。
「ところでそこの人は誰だい、庵♡」
「……こちら望月朔君、ワタシの友人です」
やめてほしいのだが。
認知されたくないのだが。
何より友ではないのだが。
視線が今日だけだからと強めに訴えかけてくる。勘弁して欲しい。
俺は誤魔化しがてら手近なカナッペを噛じる。なんだこれうっま。
「初めまして、今日は久しぶりに愛しい人に会えて舞い上がってしまってね。見苦しい姿をお見せシて申し訳ないです。えっと……」
ウィリアムは恭しく頭を下げた。
「……おもちサクサク……?」
ひょっとして喧嘩を売られているのだろうか?
「朔くん、こいつは気にしなくていいので無視してください。ワタシも頑張って全力で居ないものと思い込むので」
「エッ!それって僕が何をしても気づかないフリをしてくれるってコト!?透明モノ的な??」
透明ものってなんだろう。
「特にそういう所が嫌いです。するわけ無ェだろボケカス尻に触るな」
「そうか、
手を払い除けられ正面から嫌いと言われても気にしないらしい。メンタルが強いな。
あと、言ったら怒りそうだから言わないがこいつらちょっと似てるな。
「朔くん、邦子はどうだい?しっかりやれてる?」
「長谷川さんはちゃんとやってるよ。コーヒーが美味いと……俺より評判で……」
自分で口に出して少し落ち込む。俺が調理中はありがたいが数日前わざわざ長谷川に淹れてほしいと名指しされて少しショックを受けた。
「……この話題通知表感が強いですね」
「会話を強要して文句言うなよ……」
「今度仕事着の写真をください。相応の額は払うので」
「嫌だよ。自分で頼んでくれ」
長谷川には興味がないのだろう。ウィリアムは瞬きして神楽坂の顔を凝視している。怖い。
「カジュアルな話題にしようか、庵はシャワーでどこから洗う派?」
滅茶苦茶真正面からセクハラしてくるなウィリアム。
「回答を拒否します」
「ウィリアムさんは神楽坂とどんなご関係で……?」
「朔くん、話しかけないほうが良いですよ。変態が感染るし脳が腐る」
「伝染らないよ~♡」
「はぁ……」
フルーツ盛りが届いた。あまり大きくはないが流石に高そうなフルーツを使っていてカットも華やかだ。勉強になる。やはりこの立地ともなると◯疋屋辺りと契約してるのだろうか。
「最初は庵が、僕が13の頃にパパを殺しに来ててねぇ♡僕が部屋に行ったらパパは殺されてて」
なんて???
「で、僕もオマケで殺されそうになったんだけど、庵ったらそれは失敗しちゃってー。詰めが甘いところもかわいいよね♡」
「煩い」
「その時に一目惚れしちゃったんだけど、僕の独力じゃ探すのはキツそうだったから、人を集めて団体を作ってみたんだぁ♡ほら、今日みたいにちょっと偉くなると色々融通を利かせてもらえるんだ♡」
父親の仇に一目惚れするのも作った団体が宗教法人なのも動機が復讐じゃなくて一目惚れなのも何もかもたちが悪過ぎる。信者は全員洗脳されてるのか?
「神楽坂……」
「何も言わないでください、こいつはワタシの人生の汚点です」
「それで、庵が日本にいることを知ってからちゃんと日本語を勉強して、遊びに来たの♡やっぱり好きな人の言葉は直に浴びたいからね♡」
「へ、へぇ……」
なるほど、翻訳術など使わずに日本語ペラペラなのはそのせいか……。
ああ、フルーツ美味いな。糖度が高いのは勿論香りも食感も良い。
「モチ。僕は庵のファンクラブの会員番号名誉2番なんだよ♡」
なんか得意気にトレカの如くNO2と刻印された沢山のカードを見せびらかされているが全く羨ましくないし神楽坂の表情が更に曇る。
あとそれ俺のあだ名のつもりなのか?嫌なんだが。
「あ……また新しいのがある……潰さなきゃ……」
「あれ、まだナイショだったのか。なるべく殺さないであげてね♡」
ひょっとしてこいつがパトロンなのではと思い至り、少し背筋が冷たくなった。
神楽坂はファンクラブ潰しが趣味と噂になっているのは言わないでおこう。流石に哀れだ。
「それでウィリアムさんは今回は何をしに日本に……」
「本当に、庵とお話をしに来ただけだよ♡」
術士というのは大概頭のネジが多かったり少なかったりするがこいつは更に嫌な感じしかしない。神楽坂から申し訳程度の人間性を漂白した印象だ。
「神楽坂には婚約者が……」
「知ってるよ♡」
ウィリアムの笑顔はミリも崩れない。
「最初庵の娘かと思って僕もパパになろうかと思ったら、庵がロリコンに目覚めてたらしくて泣いちゃった」
発想が特殊な病気か何か?
「くたばれ」
「でもメスガキちゃんのお陰で庵がイイ感じに若づくりしてくれたしビーチでイチャイチャできたからまぁいいかなって♡」
めすがき?……雌ガキ??
「殴り合いをイチャイチャって言わないでください、ゴミクズ」
いつの間にか神楽坂の前に置かれたスピリタスの瓶が空になっていた。鋼の肝臓だな。
「あ、ファンって感じの……?」
「いや、僕は重婚でも気にしないから」
「あ…………あー……?えぇ……」
「ホントはね?最初は邪魔だから殺しちゃおうって思ったんだけど、庵がこの歳で初恋だって聞いたから。かわいそうデショ?それに庵の子供を見たいからちょうどいいかなって」
「だから言ったでしょう、こいつはこういう奴なんですよ。会話しようとするだけ無駄です。不快騒音二酸化炭素排出型糞生産機だと思ってください」
神楽坂の目には光がない。
こんなに嫌いなのに何故来ているのだろう。
「ただ楽しく遊んだせいで僕と庵は正面切って遊べなくなっちゃったんだ。折角勝ったのに、酷いよホント」
神楽坂の表情が引き攣る。
勝ったとウィリアムは言い、神楽坂はそれ自体を否定はしない。
仮にも国内三位が敗北していた。なるほど、武力で脅せる立場なのか。
ウィリアムは優雅にワイングラスを傾ける。その左手薬指の指輪が鈍く光る。
北米三位。どれくらい強いのか、ほんの少しだけ気になった。
「僕はどんな手を使っても庵を手に入れるんだ……ふふ、同性重婚だからちょっと大変そうだよね♡でも障害は大きいほど愛を燃え上がらせるから♡」
本人の前でよく言う……。
どんな手を使っても、は額面通りなのだろうか。
神楽坂は過去の罪を理由に国外に出られないと以前聞いた。つまり手に入れるというのが実行的、及び社会的婚姻関係だと定義するなら日本の法律を変えるつもりか本人を洗脳するつもりか。
せめて当人たちの間で完結させて欲しい。
「ああ、そういえば僕と庵の関係だったね。僕にとって庵は愛しのハニーで一夜を伴にした仲。だよ♡」
「……」
なんとかべらぼうに美味いぶどうを吐き出さず呑み込む。
ひ、品種はナンダロウナー。聞いたら教えてくれるカナー。
「一晩中戦ってたとかそういう比喩で「寝たよ♡」
神楽坂に目をやるとガラステーブルにガンガンと額を打っていた。
テーブルの天板にヒビが入っている。弁償かなぁ。
「一夜の過ちとかそういう……」
「ううん、庵が男娼してくれたから、買ったの♡」
「……そうかぁ……」
気を持たせた神楽坂の自業自得なのでは。
話を聞く限りここまでこのモンスターを育てたようなものだし責任を取るべきなような気すらしてきた。
「く、邦子の……」
呻くように絞り出された声。
俺は桃にフォークを刺しながら神楽坂を見る。
「こいつが来る度暴れるから……、暴れないように、邦子の身の安全と引き換えに寝たんですよ。もう随分仕事として陰間はやってません……なんなら今日のこれもこいつのガス抜きのための妥協です……。寝るよりは……マシ……」
一応こいつも社会平和なんかを考えるのか。いや、長谷川がいなければ放置していそうな気もする。
「ふふふ、そうだね♡庵ったら♡ムキになってかーわいい♡」
「それにこいつの恋人モトを入れたら三桁いますよ?愛とか語られたくないですよ」
「庵だって昔は誰彼構わず寝てたんだからおあいこデショ?」
とんでもない奴らだな。俺には彼女もいないしどっちの気持ちもわからんよ。
フルーツは美味い。空気は不味い。
俺は徐々に飛び交うセクハラとインモラルの応酬も聞き流せるようになってきた。慣れってすごいな。
と、無造作に神楽坂が腕時計を指し立ち上がった。
「もう時間か、楽しい時間はあっという間だ」
ウィリアムも立ち上がる。いつの間にか美人秘書が戻っていた。
俺も慌てて立ち上がる。残った料理だけが名残惜しい。
「またね、庵。愛してるよ♡」
「死ね」
ウィリアムは蠱惑的に微笑み投げキスをして去っていく。
長い、長い、とても長い三時間だった。
転送門を通り夜会の会場近くに出た。
疲れた……あとカロリーを摂り過ぎた気がする。何キロか走って帰るか。
「神楽坂。次これを頼まれても断るからな」
「ええっ、貸しが足りないならちゃんと報酬払うからさぁ……」
「確定申告が面倒になるからいらない。呼ぶな。ちゃんと友達を作れ」
「そんなぁ」
命がいくつあっても足りないし早めに禿げそうだからもう嫌だ。
おしまい
備考
ウィリアムが頼んだお酒はスクリーミング・イーグルという実在するワインです。呑んでみたい方は海外旅行のついでに探されるのをお勧めします。
魔法使いと弟子 番外置き場 ね子だるま @pontaro-san
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