長谷川寛斎
長谷川寛斎
長谷川寛斎は魔法使いである。
こんな名前だが、寛斎は産まれた時から女性であり特に改名はしていない
寛斎は未婚の術士だが四十から米寿も見えてきたこの歳まで可能な限り身寄りのない孤児を引き取り育ててきた。
流石にもう新規で引き取るつもりはないが、育てた子供は既に300人を越え、ほぼ全員社会に出て結婚したり活躍したりしている。
子供達は兄弟としてコミュニティを築き長谷川寛斎は子供達によって守られている。
気づけば茨城の寛斎さんといえばそれなりに名が通るようになってしまった。からかい半分だろうゴッドマザーだとか妙な渾名もある。
そんな寛斎にとって人生最大の汚点が今眼の前にいる。
両サイドに術士の息子が心配して待機してくれているが、正直なところ危険なので辞めてほしい。
寛斎が学生時代から四十歳までの二十数年本気で愛した犯罪者、神楽坂庵。
噂の千人切は嘘ではない。寛斎は知っている。こいつは本当に根から人殺しに抵抗がない。それでも好きだった。愛していた。
寛斎が子供を保護し始めたのはこいつと結婚したくて水商売で貯めた貯金を使い切りたかったからだ。育児はいくら時間があっても足りなかったし金もアホみたいにかかった。育てた子や匿名からの寄付が寄せられたせいで結局使い切れてはいないが、おかげで孤独とは縁遠い老後を送らせてもらっている。
「何の用ですか。神楽坂」
何をトチ狂ったか久しぶりに再会したロクデナシ爺はいいとこ25程度の若作りになっていた。
「貴女にお願いがあって参りました」
耳を疑った。
神楽坂庵が、かつて彼の太客でありストーカーだった自分になにを乞うというのか。
「ある子供を引き取っていただきたい」
「は?」
子供?
神楽坂は寛斎の前に封筒を出した。
中には写真や書類が入っている。写真を見る限り恐らくは少女だ。やけに目が暗い。
「……作ったのですか?」
声は震えていたかもしれない。それほどまでに寛斎にとって受け入れがたいことだった。
神楽坂は不特定多数と寝ていた生粋の尻軽だが寛斎の知る限り愛した女(男)は居なかったはずだ。誰が相手だろうとどれだけ乞われようと必ずこいつは避妊をしていた。当時盗聴に全力を傾けていたので間違いない。
容易に主義を曲げるような男では無かった。
生命探究には興味を持っていたし生命への冒涜的な研究の成果かも……
「ワタシの子ではありません。四鏡傍流の不義の子です」
そんな事はなかった。
「何故わたくしがそんなものに関わらねばならないと」
「これはワタシの個人的な願いです。籍をいただければ世話はワタシが見るつもりです」
再び耳を疑う。
育児?この男が??
「その子はあなたの何なのです」
親戚、獲物の忘れ形見、どれもしっくりこない
「婚約者です」
ああ、琥珀を溶かしたような双眸は昔と変わらず美しいですねだとか、相変わらず私服は着物なのですねだとか、後味の良い雑談の芽は根から枯れ果てた。
「…………そういった趣味だったのですか…………誘拐には賛同しかねます」
「誘拐でもありません。真っ当に育ててくれるなら貴女に託してもいい」
真っ当???どの面下げてまともを語る気なのか
神楽坂は正座のままゆっくり頭を下げた。
土下座である。
「な……な…………」
「ワタシの手は汚れすぎています。かと言って元の家に付け入る余地を残したくもないのです」
「そ、れはあなたの仕事に響くから……ですか」
寛斎は内心大いに狼狽しながら居住まいを正す。
「いいえ、ワタシが死んだあとのためです。彼女を託せる知人は貴女以外思いつきませんでした」
純愛か
丁寧な言葉遣いが崩れそうになるのを耐えながら寛斎は神楽坂を見遣る。
寛斎が神楽坂に入れあげたのは彼が三十を過ぎた頃。あの頃の面影の濃い容姿に胸が痛む。
そもそも慈善活動に傾倒したのもお前のせいなんだよと迫り上がる言葉を飲み込む。あまりにも見苦しく卑しい。勝手に恋して勝手に傷付いたのは寛斎だ。神楽坂は中途半端な情は掛けなかった。それだけはむしろ救いだった。
寛斎は神楽坂から目を背け、他の書類に目を落とす。
引き取る経緯、親の死、虐待の記録。
「…………どうして、ここに彼女本人を連れてこなかったのですか」
「同情に頼るのはアンフェアです」
「…………動けないのですか?」
「まだ上手く歩けなくて。足の建を切られていたので……傷は治しましたが…………ワタシの治療は……下手なので……」
初めて神楽坂が言葉を詰まらせた。
日常的に暴行を受けてきた少女。
薬やレイプ、解体はされていないだけおそらくマシな部類の犠牲者。界隈では然程珍しくもない。
寛斎とて分かる。神楽坂が運良く生き延びた弱い生き物を飼うリスク。
神楽坂は日常的に命を狙われていたし、ねぐらにしていたホテルを爆破されたこともある。酷い時には水道に毒物が流され一帯に被害を出した。
「初恋ですか」
「………………ええ」
はにかんだ笑顔は初めて見るものだった。
慈しみ、他人の幸福を願っている表情。
愛しているのだ。
このひとでなしが、おそらく産まれて初めて。
本当に、ほんの少しだけ、妬ましい。
「わたくしが断ったら、どうするつもりですか?」
「戸籍を捨てて海外に行こうかと。どこかで城を買うのもいいですね」
本気だ。寛斎は確信した。この男には金もコネも力もある。
「言いたいことは分かりました。返事をする前に……この子に直接会わせてください。仮にも親子になるのですから、良いでしょう?」
「構いません。感謝します」
断らない事は分かっていたのだろう。そんなところも、寛斎は……憎らしく愛おしいと思ってしまう。
「……大人の女性を怖がるようなら、あなたも同伴で構いません」
神楽坂はもう一度頭を下げた。
二月後
長谷川寛斎の屋敷は山の中にある。家に残った二人、その家族と子孫と同居しながら寛斎が作り上げた中庭の庭園は近隣でもちょっと有名だったりする。ただし今日は寛斎と神楽坂、邦子の3人だけで貸し切りだ。
「はじめ、まして」
その子は想像の10倍ただの子供だった。
そりゃそうだ。七つの女児に何を期待していたのかと寛斎は内省する。
片腕に抱かれたまま神楽坂の着物を握り、俯く目は写真通り黒い。メラミズムで瞳孔が真っ黒く、そのためか強い光が苦手らしい。
「初めまして邦子さん」
「こちらが長谷川寛斎さん、あなたの新しい親になる方です」
寛斎は昔の自分なら神楽坂と書類の上だけとはいえ疑似家庭を築くなど聞いただけで卒倒しただろうなと思いを馳せる。
「わた…………庵さま、捨て……られ……の?」
「そんなわけ無いでしょう。あと様はやめなさい」
言語発声に障害でもあるのか、少女の答えはたどたどしい。
「…………」
ただの子供ながら確かに不思議な少女だ。目を合わせているとどこか不安になる儚さを感じる。
「わたくしと貴女が養子縁組をするのは、貴女が元いた家に連れ戻されないようにするためです」
邦子はきゅ、と目を瞑った。
「わたし……おばあさま……暮らすの?」
「そうしたいですか?」
寛斎が尋ねると邦子は神楽坂と寛斎を交互に見てからふるふると首を横に振った。
「ごめん、なさ…………」
「庵……あなた洗脳とかはしていませんよね?」
思わず昔の呼び方に戻ってしまう。
「していませんよ。なんなら解呪もかけていただいて構いません」
元よりこの場には術阻害の結界が展開されている。神楽坂が気付かない筈もないが。
神楽坂の外見が崩れていないのも手術をしているせいか、強靭な術をかけているのか、正直なところ完全には分からない。勿論ここまで執着しているのだから少女が洗脳を受けている可能性も無くはないが、寛斎の知る神楽坂はそういった小細工は嫌うタイプだった。
「生活はどうするつもりです」
「最寄りの小学校に通わせます」
神楽坂は答えながら邦子の頭を撫でている。
「本当にちゃんと面倒を見られるのですか」
「今もちゃんと生活していますよ。不安なら一月ほど椿を貸しますから覗き見て下さい」
なんという……なんという……。
公認で!?盗撮を!?あの庵が!!??
質問がどうでも良くなってきた。
幼女と佇む元推しは大変絵になっている。
「っ……」
「くす」
神楽坂が着物の裾で口を抑えた。
「なんです。人の顔を見て失礼な」
「貴女も変わりませんね」
「…………」
駄目だ。
もう駄目だ。
長谷川寛斎は自覚する。いくら自分を騙そうと、いくつになろうと、未だに自分はこのクソ野郎に惚れているのだと。
そしてこいつはそれを理解してここに来ている。
「精々いい姑になってやりますから、精進なさい」
おしまい
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