神楽坂庵
隕鉄刀
夏の暑い夜、庵は一番刀としている気に入りの底黒い刀身を磨いていた。
一番刀、隕鉄刀「清澄枝垂」
月の光を受けて黒い刀身は鈍く輝いていた。
ある刀鍛冶の話をする。
男は茂吉と言った。元は奉公人であったが頭領に腕を見込まれ異例の出世を果たし、刀を打つようになって半世紀、髪は白くなり随分くたびれたが未だに鉄に縋りついている。
時代は刀から鉄砲に移り変わり、侍は居なくなり、刀鍛冶はみるみる減っていった。
茂吉は障害を持っていたため赤紙を免れた。
戦争で鉄が使えなくなり、多くの刀が鋳潰された。終戦後、同じ門下の奴らは今では皆包丁を打っている。
しかし茂吉は刀を作りたかった。終生に、代表作となる一振りを、とそればかり考えていた。
やがて、世の中で刀を欲しがるのはお偉い金持ちの先生かやくざ者となっていった
茂吉は満足ゆく刀を打たせてくれるなら依頼者を選ばず、そのせいで2度投獄された。
網走から帰った茂吉を作業場である
庵は色々といかれた奴だった。
派手な容姿、金髪碧眼の異人ではあったが着物を着流し流暢な日本語を話した。茂吉より年若いが、やけに達観していた。
庵は茂吉に金に糸目をつけなければどれだけの刀を打てるか、と聞いた。茂吉には何よりの口説き文句であった。
庵は希少な鉄を手に入れたのでそれで刀を作りたいのだそうだ。
茂吉は興奮した。幾らしたかは聞かなかったが今までに触ったことのない手触りの、それは確かに玉鋼に似ていた。
庵の求める刀は少し妙だったが斬れ味と剛性について語り合うだけで一夜を費やした。
茂吉は魔術士というのが説明されてもよく分からなかったが庵がかなりの剣士であることは理解した。
「詰まる所その、……ニンゲンを仕込みてえと」
「ああ、出来るかい?」
刀身に穴を開ける……?否、駄目だ。
耐久を下げてやることではない。
「…………庵様……」
茂吉は微かに言葉を震わせながら、庵に血から鉄を取れないかと尋ねた。
以前人体には極わずか鉄が含まれると聞いたことがあった。
庵は少し考えてどれ程欲しいかと尋ね微かに唇を歪めた。
ここで行われたのがトクナガ狩り。後に吸血鬼事件などとも呼ばれた凶行であった。記録では庵は殺して構わないだろうと考えた人間・術士を分かる限りで数百人は殺したとされている
成人男性一人から採れる鉄は多くて3mg程度
一月後、庵は袋一杯の砂鉄を持ってきた。
品質も悪くはない
茂吉は本物か半信半疑になりつつ袋の口を締めた。
まず鉄と隕鉄と幾つかの金属を配合し合金を作る研究から始めた。鉄とかけてなまくらになっては意味がない
隕石は融点が非常に高く、茂吉の炉でもなかなか溶けない。
かと言って纏い畳む鉄は余り高温で弄れば落ちてしまうだろう。
悩んだ挙げ句に庵は金を出すから炉を増設していいかと訪ねた。
茂吉は目を輝かせ了承した。ある程度の工程までを高温の炉で、終いを低温の炉で仕上げればなんとかなるだろう。
庵は西洋の学問も齧っているらしく坩堝や特殊な炉の説明をし、茂吉に見せながら施工した。
庵がつききりで温度を管理し茂吉は時と寝食を忘れ刀を打った。
刀が完成し、庵は研ぎ師に黒い刀身を預けた。
黒曜石のように硬く鋭く、しかししなやかに、割れない刀。
茂吉の人生で最も強く、鈍ましく、妖しく、美しい刀が産まれた。
ひと月後研がれた刃を庵は茂吉に見せに訪れた。
「ああ……あ……」
きっとこの刃が衆目に晒されることはない。図録にも残らないだろう。それでも構わないと思える美しい姿だった。
茂吉は庵から預かった刀を恭しく掲げて
さくり と
自らの頸を、切り落とした。
庵は少し驚きながらその切れ味に目を細め、追加に包んできた礼金を茂吉の頸の前に置き、落ちた刀を拾い上げると荒屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます