第48話 生後三か月の時点で終わってた

 夜が明け、星々はその姿を隠し、窓から差し込むのは、眩しい朝日になっていた。


 短いながらも眠りについたことで、僕もある程度の冷静さを取り戻している。


 それでも、昨夜の自分を客観視してしまっても。僕は自分の行いに、言葉に、恥じるところは一つもないと思えている。絶対に取り消したりしないと断言出来る。

 ……いや、やっぱ恥ずかしさは普通にあるけど、うん。


 こんな日は、隣で寝息を立てている恋人の背中を眺め、柔らかい金髪を撫でながら穏やかなまどろみを楽しみ――というわけにもいかない。


「起きてるよな、華乃」

「…………なに」


 ビクッと肩を震わせ、背を向けたまま不満げな声を上げる華乃。そして、「はぁ……」とため息をつき、


「もうさー、空気読もーよ、こんなときくらい。初体験後の朝とかさー、わたしはゆっくりこの余韻を味わいたかったわけ。そーゆー乙女心をわかんないからあんたは童貞なんだよ」

「童貞じゃねーし」


 今まで幾度となくリアルでもネットでも言ってきたこの言葉が、嘘じゃなくなる日が来るとは思ってもみなかった。


「ていうか僕だって同じ気持ちだけどさ、だって仕方ないだろ平日なんだから」


 そう、僕らは高校生で。だから今日も普通に学校に通わなければならない。

 華乃のお母さんも彩乃もそろそろ起きてくる頃だろう。交際を始めたことをちゃんと報告しなければ。


「はぁ……普通にダルいんだけど。よりによってバイトまであるし」

「まぁ僕もだけどさ」


 でも、一緒にしちゃいけないよな。男と女じゃ、全然事情が違う。


「痛かった、よな……?」


 僕の問いかけに、華乃はわずかに身をよじらせる。やはり今でも痛みがあるのかもしれない。


「そりゃ、痛かったけど。めちゃくちゃ。血も出るし。でも、だいじょぶ。今はそんなでもないし。それに……ちゃんと気持ちかったから」

「本当に?」

「何で嘘つくの、こんなこと。これからずっと純と……そーゆーことしてくのに、気とか使ってたら大変じゃん。嫌なことは嫌ってちゃんと言うし。あんたもね」

「でもけっこう声押し殺してたし……我慢させちゃったかなって」

「そりゃ、わたしだってまだ恥ずかしいし……って、え? もしかしてだけど、わたしがAVみたいにアンアン喘ぐとでも思ってたの? うぷぷ! 結局、発想は童貞のままじゃーん! よかったー、純が変わってなくて!」

「い、いや、だって。ティアラのそういう声とか聞いてたからさ、僕は」


 僕のそんな言い訳に、華乃は「――ふ――」と噴き出し。そして、お腹を抱えて爆笑し始めてしまった。

 ええー……雰囲気……初体験翌朝の余韻はどうしたんだよ……。


「あはっ、あはっ、あはっ…………っ! あははははっ! ティアラの喘ぎ声って……! あんなのそーゆーネタじゃん! 実際のエッチのときあんな声出すわけ、ってか出せるわけないっしょ! うぷぷ!」

「いや、それは、まぁ、そうだけどさ」


 嘘だ。正直普通に女性はそういう声を出すものだと割と本気で思ってた。くそぉ、ティアラめ、僕の純情な心を弄んだんだな。絶対に許さない。


「うぷぷ! センシティブボイス出して『やべぇ女』を楽しんでもらうのなんて、もうVTuber界の文化じゃんね。視聴者さんもネタだとわかって楽しんでんだから。ライバーとリスナーで作り上げるそーゆーコント空間がVTuberの魅力だって、ティアラはそう考えてたんだけどなー?」


 華乃は、どこか他人事のようにそう言う。

 まぁ実際、他人事なんだけどな。華乃はもう、ティアラじゃないし、僕ももうティアラのファンじゃない。


「君の言う通りだな。はいはい、そうだよ。僕はVTuberのセンシティブボイスも真に受けてしまうような厄介オタクだったよ。思う存分バカにすればいいよ」


 投げやりにそう言いながら僕はスマホに手を伸ばし――そして、闇猫のアカウントを削除した。

 ためらいなんて一瞬もなかった。未練なんて露ほどもなかった。

 あ、でも、心配してくれたフォロワーさんに向けて生存報告くらいはしておくべきだったかな。……いや、それもいらないか。


 優しい彼らも。そしてアンチ連中すらも。僕のことなんて五日で忘れる。ティアラへの思いも五か月で消える。

 尊い好意も、醜い悪意も、それを向ける相手は日に日に更新され。明日にも、来週にも、来月にも、来年にも、新しいネットスターやネットアイドル、そしてネットのおもちゃが次々と誕生する。

 ティアラや闇猫が生きてきたバーチャル空間とは、そういう世界なのだ。


 僕は一足先にそんな世界から足を洗って、一人の女性を、永遠に変わることのないリアルな気持ちで、愛し続ける。


「てかさ」


 華乃はやっぱり顔を背けたまま言う。その耳はやっぱり真っ赤だけど。


「聞かせるわけないじゃん、ホントのそーゆー声なんて。言ったでしょ。純以外に、わたしの大切なもの、ぜったいあげたくないんだもん」


 朝の日差しが本格的に眩しくなってきた。階下から、彩乃がドタバタと走る音がする。朝練かな? いずれにせよ、もうそういう時間だ。

 今日のこの日を大切な思い出にしつつ、でも今にこだわり過ぎる必要なんて、もうない。というか暇がない。僕らの時間はまだまだこれからも続いていく。


 僕は、華乃を後ろから優しく抱擁し。そういえば朝の挨拶もまだだったな、なんて、冷静な頭で考えて。昨夜の勢い任せの告白を思い返して苦笑しつつ。

 穏やかな口調で、これから毎朝伝えることになる、日常的で平凡な挨拶を告げる。


「今日もやっぱり「可愛い」ね、華乃。「大好き」だよ。ところでこれから学校に行くわけだけど「絶対」僕以外の男と話すなよ。言われるまでもなく「理解」してるはずだけど、これから「一生」な。もちろん僕も女子に話しかけられても「無視」するからね。今までは僕が女子に話しかけられる姿を君に見せて悲しい思いをさせてしまって本当にごめん。これからは周りにも僕の「婚約者」だって君を紹介していくからね。ああ、そうだ。バイトも辞めろよ。今電話して。店員にも客にも「男」がいるだろう? あ、丈太さんとだけは話してもいいよ。あの人だけは「信頼」出来るし、こうやって君と真面目な「交際」を始められたのも彼のおかげだからね。そうだ、僕も丈太さんに習って体を鍛えるよ。君を「一生」守るから。僕以外の男に「指一本」だって触れさせはしない。バイトは続けるよ、僕は。お金を稼いで、君へのプレゼント以外は全部自分への「投資」に回すんだ。君と、君と僕の「子ども」「12人」をしっかり養っていかないといけないからね。好きだよ。キスマークつけておくね。なぁ、何歳で「籍」入れるかちゃんと考えておいてね。僕は出来るだけ早くがいいな。古風な考えだけど「順番」はちゃんと守りたいと思うし。お義母さんもそっちの方が安心してくれるだろうしさ。今夜もバイト終わったら来るから。これから「毎晩」一緒に寝ような。好きだよ、華乃。なぁ、分かった? 分かってるよな、僕の「気持ち」。信じてるからな。「絶対」裏切るなよ華乃。心配なんてしてないけどね。愛してる。一生僕だけのものだよ、華乃。好きだよ、大好きだ。あ、おはよう」


「あはっ♪ うん、わかった♪ おはよ、純♪ 大好き♪」




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ここまでが第四章です! あとは第五章と最終章の計3話で完結です。最後までお付き合いいただけたら幸いです!

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