第47話 最終回だったらよかったのに

「…………もう、最悪……」


 華乃は少し考えるように間を置いてから、モゾモゾと身を反転させ、こちらを向く。

 座っている僕の顔を見上げるような体制。その顔は真っ赤に染まっていて。大きな両目は今にも決壊しそうなほどに潤んでいて。


 そんな幼なじみの弱った姿が、どうしようもなく愛おしい。


「これだとお互い首疲れそうだし、僕も寝ていい? 隣に」

「~~~~っ!! もうっ、もう勝手にすれば! わたし知らないから何も!」


 お許しが出たので、僕もベッドに添い寝させてもらう。こんなの11年と8か月ぶりだ。


「抱き枕、いらないだろ、今は」

「……ほんっとに……後悔すんのは、あんたなんだからね……」


 これでやっと、僕らの間を隔てるものは何もない。


 17年間、ルサンチマンという鎧を纏って、僕は華乃と向き合っていた。

 17年間、いじめっ子という戦車に乗って、華乃は僕と対峙していた。

 この半年間、VTuberという仮面を被って、華乃は僕に語りかけていた。


 全部、弱い自分を守るための精いっぱいの強がりだった。とても遠回りで、カッコ悪くて――でもその時間もまた、尊いものだったと今の僕ならそう思える。


 こうやって、生身の自分で生身の華乃の髪を撫でられるのも、そんな時間があったからこそだと、分かっているから。


「今までの、17年間の君の酷い仕打ちも全部、僕の気を引くためだったって確信してるけど、何か訂正したい部分はあるか?」

「訂正したい部分はないけど死んでほしい。よくそんなこと真っすぐ目を見て言えんね。しね」

「そういう強がりところも可愛いな」

「言っとくけどたぶんわたしよりあんたのが顔真っ赤だかんね? 無理してんのそっちだから」


 やめろ。今の僕にそういう客観的な視線は天敵なんだ。せっかくの覚醒モードが揺らいじゃうだろ。

 このスターマリオ状態が終わる前に、ちゃんと全部聞いておかないと。言っておかないと。


「あのさ、もしかして、夏祭り一緒に行ったってのも僕が忘れてるだけ、とか……?」

「……別にいいよ、あんたの記憶にないんなら、なかったことと同じじゃん、だって」


 そう声をすぼめていく華乃は、何故かおもむろにショートパンツのポケットに手をやり――しかし、思い直したかのように首を横に振って、


「ホントにいいんだ、もう全部。後悔はあるけど、それでも好きな人を手に入れるために、わたしにできる最善の策をとったって今でも思ってる。だって、今までのわたしがあんたにさんざんなことしてきちゃったんだもん。もうあんな方法でしか、可能性なんてなかったじゃん」

「…………」


 でも確かに、こんなことがあったから、僕は今こうやって、自分の殻を破る決意が出来た。それは間違いない。


「だから、もう諦めた。やること全部やって、それでもダメだったんだから。いいよ、無理してわたしを好きになろうだとか……ほんともう、何も期待とかしてない」

「何でそんなこと……っ」


 言い返そうとして言葉に詰まる。華乃の目の光が消えていったからだ。


 華乃は本当にもう、言葉通り、本心で、全てを諦めてしまったのかもしれない。

 それを僕が否定して、考えを翻させることが出来るのか?


「本気だよ? もう全部終わりにするって。今度こそ、これで最後にしよ」

「それは、ズルいだろ。そんな一方的にさ……僕の気持ちはどうするんだよ」

「気持ちとか、だから無理しないでいいって。新しいVTuberでも、クラスの女子でも、好きな人見つければいいじゃん。わたしなんて、あんたにとって、いなくなってもいい存在だもん。付き合ったりとか……ありえない」

「だから何でそんな勝手に」

「だって」

「だって?」

「だって別にさ、処女とかってわけでもないし。どーせヤなんでしょ、処女じゃないと。きも」

「………………処女じゃないのかよ」


 頭が一瞬真っ白になって、無意識にこぼれ出てしまった僕の言葉に。華乃は一瞬歪んだ顔を、無理やり自嘲するように整えて、


「だって、いろいろあんたの気を引こうとしたりとかさ、いろいろ、いろいろあって、いろいろやって。迷走して、暴走して、失敗して、そのたびに何やってんだろって死にたくなって、とか。いろいろ。いろいろ、あったんだもん。わかんないよ、おしゃべりアニメなんかでシコってるオタクくんにはさ。……わたしにだってもう、わかんないんだから」

「…………っ」


 ああ、そうだ。


 確信した。


 やっぱりこいつが言ってることは間違ってる。少なくとも、僕は無理なんてしていない。


「わたし、もう全部失くしちゃった」

「わたし自身の手でさ。あんなに好きだった美夜もさ、ティアラもさ、壊しちゃって」

「憧れだった京子さんからも、せっかく仲良くなれた丈太さんからも見放されて。合わせる顔なんてなくて」

「あんたまで失くしちゃって」

「わたしが一番わたしのこと、大っ嫌いで、殺したくて」

「ぜーんぶ、自業自得」


 ――華乃が笑いながら溢す涙に胸が締め付けられるのは、こいつを抱きしめたいからで。

 ――華乃が他の誰かに抱かれていたという過去を脳が拒絶するのは、こいつを抱きしめたまま離したくないからで。


 ティアラ以外に興味がないだとか嘯きながら、思えば僕はずっと前から、華乃が他の男と親しくしているだろうことが、嫌で嫌で仕方なかった。仕方なかったのに、酸っぱい葡萄を見るかのように、どうせビッチだからとこいつを貶めて、自分の気持ちに蓋をしてきた。


 でも、そんな鎧は捨てるってもう僕は決めただろ。


 僕は、華乃が好きだ。


 過去なんてどうでも……よくは全然ないけど、正直めちゃくちゃショックで、たぶん一生後悔し続けるけど――それでも全部受け止める。


 華乃が自分を見失って、自信も希望も失くして迷子になってるっていうなら。大好きな女の子のために、僕が出来ることは「ただ一つ」。


 ――独りぼっちで生きてきたStrey catを――今夜は僕が見つけ出す。


「ねぇ、純」


 華乃が、か細い声と共に 僕の手にそっと白い指を添えてくる。


「それでもわたしに同情してくれるってゆーんなら、さ。最後に思い出だけ、ちょうだいよ。……純で全部、上書きしてほしい、みたいな? あはっ……」


 そんな風におちゃらけてみせたって、無駄だ。

 君が君の心をどれだけ深くに隠そうとしたって、僕が絶対見つけ出してやる。


「嫌だよ」

「……そっか。うん、ごめん。忘れて、全部」

「そんな気持ちで君を抱きしめたりなんてしない。僕は華乃が好きだ」

「――――」

「華乃を一生守っていくって覚悟は出来てる。だから、君にその覚悟が出来るまで待つし、それまで絶対君を見失わない。もう二度と逃がしたりなんかしてやらない」

「純……っ」


 目を見開いて、涙をこらえるように口を押さえる華乃。そんな彼女を、僕は両腕できつく抱きしめる。


「純……ありがとう……」

「――――」


 さんざんカッコつけてきたのに、胸の中で華乃がこぼす言葉にドキっとさせれらてしまう。

 ティアラの最後の言葉と同じ五文字。

 当たり前だけど、それはやっぱり僕が恋したティアラの声で。これからも愛し続ける華乃の声で。


 でも、今度こそは、絶対にこれを最後の言葉なんかにはしない。何度だってこの声を聞き続けてやるし、僕も何度だって華乃に伝えてやる。


「好きだ、華乃」

「~~~~っ!」


 腕の中で、愛しの女の子がクネクネと身を悶えさせる。だから、決して逃がさぬように、僕もさらにギュッと抱きしめる。


「好きだ、華乃」

「~~~~っ! あんま……っ、あんま、言うなって、死んじゃうから! もうっ、お返し!」


 やけを起こしたように僕を抱きしめ返してきた華乃は、その勢いのまま僕の頬にキスをし、しかしやっぱり羞恥心に耐え切れなくなったのだろう。その真っ赤な顔を隠すように僕の耳に口を寄せ、


「わたしは、あんたみたいに安くないんだから。だから、だから……一回しか言わないから。ちゃんと聞いて。絶対ぜったい、聞き逃したりしちゃ、ダメなんだかんね……?」

「聞き逃すわけないだろ。一回しか言わないっていうなら、脳内に永久保存してやる」

「約束だかんね? じゃあ、言うけど、さ……」


 そうして華乃は、僕の耳元で長く長く深呼吸をし、そしてどこまで甘く蕩けるような声で、



「うぷぷぷ! あはっ♪ なーんてっ♪ 全部うっそー! だーまさーれーたー♪」



「…………は…………?」


 心臓が、止まる。


 小悪魔が、歌うような、囁き。


「うぷぷ! 調子乗っちゃってさ。あんたなんかにやられっぱなしになんてならないんだから。今回も華乃ちゃんの大勝利ー♪ うぷぷ! 見事に騙されちゃって♪ このわたしが、あんたを諦めるわけなんてないじゃん」

「…………え…………?」


 呆ける僕の唇に、熱く柔らかな感触が乗せられる。


 僕の、ファーストキスだった。


 唇を離した華乃は、今にも泣き出しそうな目で僕を真っすぐと見つめ、今にも泣き出しそうな震え声で、それでも、真っすぐと。



「あはっ♪ ほんとは、処女でしたー……っ♪」



「――――」


「ドッキリ大成功ー♪ あはっ、あはっ♪ あはっ…………っ……あんた以外に、なんて……っ、ぜったいぜったいぜったい、ぜったい! ぜったいあげたくなかったんだから……っ!」


「――――」


 あ。

 もう、ダメだ。


 決壊する華乃の涙腺。決壊する僕の自制心。

 自分の頭の中で何かが外れる音がする。落ちた音がする。落としたそれはたぶんもう一生元には戻らなくて。

 それでいい。もう、そんなこと。

 ただただ、華乃が欲しい。自分だけのものにしたい。他に何もいらない。

 あふれ出す思いのまま、今度は僕の方から唇を奪う。押し倒す。抱きしめる。またキスをする。甘い。声も匂いも温度も感触も、全てがどうしようもなく甘い。脳が溶ける。全部ほしい。一生ほしい。華乃を構成するすべてを、一ミリだって他人に渡したくない。

 僕が全部、奪ってやる。


「んっ……、待って純……っ」

「待つわけないだろ。華乃はもう僕のものだ」

「お風呂、とか」

「いらない」

「お母さん、下にいるし、彩乃も起きちゃうかもだし」

「明日正式に挨拶する。僕と結婚しろ、華乃」

「…………ばか。それちゃんと、別のときに言い直してよね。……せめて、電気は消そ? ほんとにもう、死んじゃうから、わたし……」


 可愛すぎる。そんな拗ねたみたいな顔で、真っ赤な顔背けて、逆効果だって分からないのか。


 照明を消し、リモコンを放り投げ――その間もずっと体は重ねたままで――僕らは生まれたままの姿になって、またキスをする。


 今夜は、新月だった。


 にもかかわらず、窓から差し込む星々の光が、切なげな華乃の顔を、はっきり僕に見せてくれていた。

 空なんて見てる暇は今の僕には一秒もない。でもたぶん、僕の人生において最も眩しい星空が、Strey catを探す僕の手助けをしてくれた。

 だから僕は瞬きもせずに、今夜の華乃の全てを網膜に焼き付ける。


「純……わたしも、大好きだから……」

「知ってる」


 恋人の胸元で煌めく星にキスをして――


 僕達は、一つになった。

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