第36話 京子と華乃

 俺はスマホを差し出し、京子にセレスティア・ティアラの切り抜き動画を見せる。

 さすがに喘ぎ声動画は避けた。彼氏が自分の喘ぎ声とアニメの喘ぎ声を同一だと勘違いしてたとか、今度は逆に俺の方が幻滅されちまうわ。

 が、セレスティア・ティアラの切り抜きに健全な内容のものがほとんどなかったので、仕方なく下ネタ発言まとめ動画を選んだ。くそぉ、セレスティア・ティアラぁ……!


「……………………」

「……………………な?」

「……………………」


 京子は、セレスティア・ティアラの下ネタ動画をものすごく綺麗な真顔で凝視していた。ものすごく気まずい時間だった。セレスティア・ティアラぁ……!


「……………………」


 そして、5分ほどの再生時間を終えた後。


「…………酷いわね」

「……だろ? 恋人がこれやってたら、ものすごく嫌だろ?」

「それもそうだけれど、そうだと勘違いしたあなたも酷いわよ」

「……ごめん」

「うふふ、いえ、気持ちは分かったわ。でも、そんなに似ているものかしらね? 自分だとあまりピンと来ないのだけれど」

「まぁ……いったん似てると思い込んじまうと、どうしてもな……」


 正直こうやって比べてみても、両者はよく似てると思ってしまった。


「うーん、こんな感じかしら……? 『ティアシコ民湧き過ぎじゃない、今日?』……いや、もっとこう……? あー、コホン、『いや私がシコることを「シコティア」と呼ぶとか知らんし!』……うん、どう? ていうかティアシコってなに」

「……すっげぇな、相変わらず……さすが元子役」

「元子役は関係ないけれど……まぁアニメキャラ物真似が得意な自覚はあるわね。他にも私が声真似できそうなVTuberなんて探せばいくらでもいるんじゃないかしら。それこそキズナアイだって、たぶん1か月も練習すればイケるわよ?」


 改めて、先ほどの動画を再生してみる。

 すごい……やはりさらにこの声に近づいていた。

 でも――


「確かに実際、生で聞き比べてみると、全く同じってわけでもなさそう……だな、うん」

「それはそうよ。さすがにこんな短時間では、ね。時間をくれれば、もう少し寄せることも出来そうだけれど」

「いや、そんな話じゃねーけど」


 しかし、こう冷静になってみると、自分がどれほど愚かな勘違いをしていたのかがよくわかる。このくらいで同一人物扱いなんてしてたら、際限がない。京子のレパートリーの中で言ったって、コナンとかピカチュウの物まねの方がよっぽどクオリティ高かったんじゃないか?


「でも、本当に不思議ね。あなたがこんな声だけで、そこまで一つの考えに固執してしまったなんて」

「あ、ああ。確かに、どうして……って、あ。違う違う違う。そうだった! 俺だって、声くらいでこんなこと信じたりしてねーよ! こっちを見てくれ!」


 そうだ、声なんかより、一番の問題はこっちだ!


 俺は目的の動画をスマホで探す。

 当然闇ノ宮美夜のチャンネルはコンテンツごと削除されているので、今ネット上に転がっているのは、あまり多くはない切り抜き動画だけ。その中で、最も多くの視聴回数を誇っているもの、それが――


「これだ。あ、ちなみにこの闇ノ宮美夜ってキャラの演者はセレスティア・ティアラと同一人物で……まぁ細かいことはいいや。とにかくこの動画の、ここ。この発言を聞いてくれ」


 例の発言の場所までシークバーをスワイプ。すると、闇ノ宮美夜のあの独特な口調がスマホから流れ出し、


『でも、「地球温暖化の原因が俺の射精だった~セカイが俺を射精管理してくる~」は結構自信作だったんだけどみゃー』

「…………っ!?」


 京子の両目が驚愕に見開かれる。だが、まだ終わりじゃない。


『設定だけなら「デスゲームに巻き込まれたけどドS義妹に射精管理されてるせいでそれどころじゃない」も気に入ってたんだけれど、デスゲーム部分が上手く書けなかったのが残念だったみゃ』

「え、え、え……? な、何なのこれ……、どういうこと……!?」


 もはや、ちょっとしたパニック状態だ。はい、キスキス。


「んちゅーっ。……なるほど、ね。確かにこれを見てしまったら、大して似てもいない声を聞いても、もう私に決まっていると思い込んでしまうわよね。仕方ないわ、それは。許してあげる」


 よかった……ん? あれ? 何か少し論理展開が変な気が……?


「でも、別にこの小説タイトルを知っていたのは、作者である私だけではない。つまり、私以外の誰かが、闇ノ宮美夜という仮面を被って、私の作品を自分のものだと主張していた、ということね。ただ幸いなことに、その容疑者を私はある程度絞ることが出来る」


 って、そうだ。今大事なのはそれを考えることだ。些細なことに脳のリソースを割いてる場合じゃない。

 その犯人――本当の闇ノ宮美夜の正体――の目的が謎すぎるが、京子が闇ノ宮美夜でない以上は、そう考えるほかない。


「誰なんだ、京子のあの小説タイトルを知っていたのは」

「まずネット上に公開していた以上、不特定多数が閲覧できる状態にあったのは確かね。ただ本当に幸いなことに、私の作品の魅力に気付ける人がいなかったから、ブックマークは0件、2作合わせて90話分のPV数は100弱」

「1話平均1じゃねーか」

「1.1よ、四捨五入すれば。まぁ、だから実際にタイトルを目にして記憶までしている人間なんて、一人か二人か……」


 それすらももう作者の願望入ってるな。普通に考えれば0だ。ブクマもつけてないような作品の超長文タイトル暗記してる奴なんてそうそういないだろう。


「まぁ、多めに見積もって10人ということにしておきましょうか。それと私の作品をBANした極悪非道の運営人ね。以上11人がネットワーク上の読者。それに加えて、リアルで私の作品を知っていたのは7人ね。まずは私と、そして、あなたも気付いていたということで二人」

「作者本人をカウントしてまで水増ししてやがる。そもそもネット上でカウントされてたそのPV数100回ってのもリアル知人が覗きにきたやつだろ、たぶん」


 やはり顔の知らない読者は実質的に0人でいいだろう。


「そして女子高時代からの創作仲間4人ね。別府さんを中心としたあのグループは、あなたもよく知っているでしょう?」


 そりゃ、俺に対する敵意が凄まじい面子だからな。あいつら全員、ド変態創作集団だったのか。こわ。


「あれ? でもこれで計6人だよな? まさか別府が実はふたなりで、それを0.5人分とカウントした上で四捨五入とかしてないよな?」

「いい? 丈太? ふたなりだとしても脳は一つなの。二重人格だとかいう話ではないのだから、読者数のカウントに影響が出るわけないわよね。おかしな質問をする前に少しは自分の頭で考えなきゃダメよ?」


 何で俺がこんなド変態小説書きに窘められなきゃいけないんだ。


「もう一人は、そうね……これもあなたに話さなくてはいけないことなんだけれど……華乃さんよ」

「やっぱり……!」


 その名前が出たことで、俺の、ある推理の正しさが半ば証明されてしまった。


「やっぱり? ……ということは、気付いていたのね、そこにも……」

「いや、ついさっきなんだけどな。それまではずっと騙されてたぞ。京子、お前は本当は、保科さんと前々から知り合いだったんだな」

「……ごめんなさい、本当に……」


 小説の件がバレたと知ったときくらいの神妙さで、京子は頭を下げる。だが、俺は、京子のことを一切責めることができない。


 俺も全く同じことをしていたからだ。


「そして、お前は1か月前、『俺が小説について気づいてしまっているのか』『気づいているとしたら、それで京子に愛想を尽かしていないか』を探るために、保科華乃をスパイとして送り込んだんだ。俺のバイト先の後輩として」


 俺に嘘をついてまで、わざわざ遠方のコンビニまでバイトに来ていたことにも、それならば合点がいく。


「その通りよ……」


 伏し目がちに、京子は全ての経緯を白状していく。


「華乃さんとは母親同士が友人で、幼馴染って程じゃないけれど、何年も前から仲良くしているの。彼女にあなたのことを相談したら、スパイとして調査してくれるって言い出して……。もちろん最初は断ったわ。でも、どうせコンビニバイトはするつもりだったし、ついでに助けてあげたいって、押し切られてしまって……いえ、全て言い訳ね。甘い誘惑に乗ってしまったのは、やっぱり私だわ」


 ほぼほぼ俺の予想していた通りだ。そして、京子が自らの罪を認めるほどに、俺もまた責められているような気分になる。


「実は今日も、私達のちょっとした作戦だったの」

「え?」


 ここで初めて、予期せぬ情報が出てきた。今日、って……学園祭でってことか?


「本来は学園祭なんて、一人でこっそり即売会にだけ参加する予定だったのよ? だけど華乃さんが、『大学見学ついでに、実際に私と丈太が対面しているところを観察して判断したい』って言うから」

「…………っ!?」

「そういうわけで、ああやって4人で集まることになったのよ。と言っても、うふふ。それも全部、華乃さんの単なる照れ隠しだったんじゃないかしら。本当はあの幼なじみの男の子とデートするための口実だったのでしょう。可愛いわよね」


 違う……純君は京子を調査するために、保科さんが俺と繋げた協力者であって。


 俺と京子は、この学園祭においてもまた、完全に同じことをしていた。いや、させられていた。あの女に唆され、お互いを探り合おうとしていたのだ。


 保科華乃……! あいつは一体、俺たちに何をしようとしている……!?


「京子、もう一つ確認させてくれ。俺は保科さんに家庭教師を紹介してくれと頼まれて、お前を紹介した……でも本当のお前らは元から知り合いだった。なぜお前らは、そんな偽の設定を俺に吹き込んだんだ?」

「ええ、それも華乃さんからの提案でね。丈太に『彼女さんのこと、どう思ってるんですか?』って探っていくに当たって、そういう設定が一番都合が良かったみたいよ。まず、私と昔から親しいなんて知られたら、あからさま過ぎるでしょう? もしも丈太が私に悪感情を抱いていたとしたら、私と親しい華乃さんに、本当の気持ちを漏らすわけがない。最悪、私が送り込んだ手先だと勘付かれてしまいかねないわ」

「なるほど……」

「逆に、全く私と面識のない設定で行ったら、それはそれで不都合が多いでしょう? 調査に限界が出てしまうの。私が小説を書いていることを知っているかどうか、丈太に探りを入れようがないじゃない」

「確かに……」


 京子を知らないはずの人間が京子に関する踏み込んだ質問をするなんて不自然極まりないもんな。


「だから間をとって、浅い関係の知り合いという設定にしたの。しかもその『関係』を、丈太側からの紹介という形で作り出してしまえば、絶対に疑われることはなくなるじゃない?」

「…………っ!」

「だからあの子が誘導して、あなたが私を家庭教師として紹介する流れを作ってもらったってわけ。凄いわよね、あの子のそういう能力って。相手の行動をコントロールしてしまうあの技術、末恐ろしいわ。しかもそれをスパイごっこ感覚でやってしまうのだから」


 京子は呆れながらも、どこか誇らしげにそう漏らす。いつだったか、妹分みたいな存在だと語っていた言葉に、嘘はなかったのだろう。


 だが――。


「京子……残念なお知らせだ」


 そして、俺の懺悔でもある。


「保科さんは、共犯と見せかけて……お前のことも、裏切っている」

「え……?」

「実は、京子がさっきからずっと俺に説明していたような流れ――それと、ほとんど同じようなことを俺もやってきたんだ。つまり、俺もお前と同じで、保科さんに促され、誘導されて、保科さんを恋人を探るためのスパイとして、お前の下に送り込んでるつもりになっていた。家庭教師としてな」

「え、え、え……? あ。それってつまり、私がVTuberをやっているかもしれないと疑っていたから、ということ?」

「いや、因果関係が逆だ。俺が疑っていたお前の隠し事を探るために、だ。そして、その潜入調査の結果として保科さんが報告してきたのが、『京子=セレスティア・ティアラ』説だった、という流れだな。つまり、京子がVTuberだと疑ったからスパイを送ったのではなく、保科さんというスパイを送ったから俺はお前がVTuberだと疑ってしまったんだ」

「は……? え? ちょ、ちょっと待って。理解が追いつかないわ。私が送り込んだスパイであるはずの華乃さんが、そんなことをして何のメリットが……悪戯にしたって、VTuberって……意味が分からないわ」

「俺もわからん。意味もメリットも。ただ、確かなのは、保科さんがずっと嘘をつき続けてるってことだ。俺と京子を利用するためにな」

「そう、なるのね……」

「ああ。それを踏まえて考えると、あいつの目的についても、ある程度は絞れてくるわけだが……」


 別に心から信用してるわけでもなかった。細かい嘘をついてるだろうことは予想していた。

 だが、甘かった。

 初めから、根本から、大前提から、一から百まで、奴のことを疑いなおさなければいけない。


「俺も京子もあいつにとっての道具、手段。ってことは、あいつの本当の目的、本丸のターゲットは――」

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