第35話 バカップル

 乱れた呼吸をハァハァと整えた後、京子が改めて提案してくる。


「一旦……一旦落ち着きましょう、丈太。私達、明らかにすれ違っている。話を整理するべきだわ」


 完全に同意である。


 もう一度座りなおした俺たちは、お茶を一口ずつ啜って気持ちを落ち着かせる。ちなみに京子の分しか用意していなかったので間接キスでもある。


「えっと、まず改めて確認なのだけれど、本当は絶対改めて確認なんてしたくないのだけれど、丈太は私が小説を書いていることに気付いてしまったのよね? え? えと、それって、どこまで……? エロ小説とは言っていたと思うのだけれど……」

「『地球温暖化の原因が俺の射精だった~セカイが俺を射精管理してくる~』と『デスゲームに巻き込まれたけどドS義妹に射精管理されてるせいでそれどころじゃない』だな、俺が知ってるのは』

「全部!! 全部言った!! タイトル全文一言一句誤りなく彼氏に暗唱された!! 全部バレてた上に全部完璧に暗記されてた!! 全部死にたい!!」

「キスしとくか?」

「んちゅーっ」


 めっちゃキスした。


「でも不可解だわ。何でそんなにあっさりとした反応なの? バレてしまったからには、この際思いっ切り怒りや失望をぶつけてくれた方が楽だった。それで、私は二度と小説なんて書かないと誓うから……どうか、信じてほしいの……」


 京子の瞳が、再度潤んでいく。声が震えていく。


 ――本当に呆れる。そんな顔をしたところで全くの無駄だ。

 

 だって、


「怒るも何も……何に怒れって言うんだよ、それの……」


 だって俺は、京子が一体何をそんなにビビっているのか、まるで理解できなかったのだから。


「え……? 何にって……だから、言っているじゃない。私は、あなたとお付き合いしている間もずっと……変態的な官能小説を書いていて……」

「だからそれが何なんだよ」

「恋人がそんなことしていたら、嫌に決まっているでしょう! もちろん、初めからそういう人間だとオープンにしていたのなら話は別よ? そうだと分かって好きになって、交際を始めたのなら、何の問題もない。でも私は、そうではなかった。生真面目で、淫らなことなんて何も知らないみたいな顔を作って、あなたの気を惹いて、そうしてやっと彼女にしてもらうことが出来た人間なの。そんな私が、裏ではこんなことをしていたなんて……裏切りだと言われてしまっても、何も反論なんて出来ないわ。問答無用で捨てられてしまうのも当然だと思ってる。でも……捨てないでほしいの……っ、私、ちゃんと変わるから……っ」

「はぁ……」


 ため息を、ついてしまう。呆れて物が言えない。本当に、呆れる。


 呆れるくらいに、可愛い。俺のご自慢の彼女、あまりにも可愛すぎる……!!


「ごめん、なさい……っ、お願いっ、捨てないで……」

「録音したい」

「……はい?」

「京子が俺に捨てないでって泣きながら懇願してる声を録音して永久保存したい」

「……それは、絶対ダメ。さすがに恥ずかしい……」


 俺の言葉で、今の自分を俯瞰的に見てしまったのか、京子はカーッと顔を赤らめ、俯いてしまう。それがまた、とてつもなく可愛い。


「でもほら、それだってそうじゃねーか。確かに俺は、付き合うまで、凛としていてカッコいい京子しか知らなかった。そうやって恥ずかしがる姿も、キスが大好きで意外とチョロいところも、それこそベッドであんなに乱れちまうところだって、想像すらしていなかった京子の裏側だった」

「――――っ! ちょっ……恥ずかしいこと、言わないでってば……」

「やだよ、だって好きなんだもん、そんな裏の顔も全部。知らない京子を知れば知るほど、さらに好きになっちまう。お前がド変態エロ小説書いてるなんて知ったら、失望どころか、お前の新たな魅力にまた惹かれちまうだけだ。これからずっと一緒に過ごしていく中で、まだまだ俺だけに見せてくれる一面がたくさんあるんだろうなって、ワクワクしちまってるよ、今だってな」

「丈太……っ! じゃ、じゃあ……!」

「ああ」

「あなたのこと……射精管理しても、いい、のね……?」


 そんなこと一言も言ってない。


「まぁ、とにかく。小説なんていくらでも、どんなものでも、京子の好きに書けばいいじゃねーか。そんなことで嫌いになったりなんて絶対しねーから」

「ありがとう、丈太……! 大ちゅき……! でも……じゃあ何で、この半年間くらい、様子がおかしかったの? 私のこと、何か疑ったりとかしていなかった……? 特にここ2週間くらい……」

「……え……?」


 不安げな京子の問いかけは、見事に俺の意表をついてきた。

 この、半年間? それって……


「いえ、私には、心当たりがあったのよ? それこそがまさに小説のことだったから……」

「……もう少し詳しく聞かせてくれ」

「え、ええ。あのね、さっきも言った通り、私はずっと特定ジャンルの官能小説を書いていて。作品を小説投稿サイトに公開したりしていたのよね。ブックマークなどが付くこともないまま運営に削除されてしまうということを繰り返していたのだけれど」


 そこまでは知っている。そんで繰り返すなよ。学べ。


「でも、私の小説のことを知っている数少ない女子高時代の友人達――みんな同人活動をしているのだけれど――彼女らが、自分達の官能小説合同誌に参加してみないかって私を誘ってくれて。それで、この学祭で出す本に、短編だけど載せてもらえることになって」


 そう言って、京子はハンドバッグからおずおずと薄い本を取り出し、震える手でそれを差し出してくる。

 表紙の絵柄に妙に見覚えがあった。いわゆる萌え系の美少女なのに、股間に妙な膨らみがある。これは将来、あの座布団と共に聖典の一つにされてしまうかもしれない。その前に燃やしておいた方がいいと思う。


「この中に、京子の新作が、ってことか」

「ええ。ただ、さっきあんな風に言ってもらえた手前、とても言いにくいのだけれど……その作品だけはまだ、あなたに読まれてしまうのには心の準備が必要というか……」


 だが、言い終える前に目次を開いてしまっていた俺は、既に京子のものっぽい作品を見つけてしまっていた。

 作品名は、『俺が射精する度に日本中にJアラートが鳴り響くんだが』。

 すごい。「管理」という単語が使われていないのに、絶対管理されてしまうことが丸わかりだ。それっぽいというか、もう絶対京子の作品だ。ペンネームの『ばんみやこ』ってのも絶対BANから来てるだろ。


「実はこの作品で、初めてあなたと、そして私をモデルにした主人公カップルを書いてしまったの……」

「え……? 俺の射精ってそんなに危険なものだったの? ミサイル並みだったの?」

「大陸間弾道ミサイル級ね……まぁ、着想を得たのはそこからだけれど、決してそれだけの内容じゃないのよ? 世界を裏で牛耳る闇の組織の陰謀や政府が秘密裏に開発していた最新科学兵器の謎なども絡んだ、『君と俺の射精管理がセカイを救う』感動のセカイ系スぺクタルだもの。3、4年後の夏休み辺りに新海誠に映画化してもらうつもりで書き上げた力作よ。主人公が射精しそうになる度に主題歌の『前前前立腺』が高らかに流れるの」


 そんな大作を短編で書くな。目次見たところ8ページ分くらいしかねーじゃねーか。8ページで何回射精しそうになってんだよ、この主人公。あ、モデル俺だからか。早漏かつ絶倫で悪かったな、ちくしょう。


「とにかく、それを書き始めたのが、半年くらい前からなの。あなたの人柄や、あなたとの生活、あなたとの思い出を、作品に反映してしまう……これまでの執筆以上に楽しくて、展開を考えているだけでワクワクして。だけど同時に、それまで以上に激しい罪悪感があって……こんなこと、あなたにバレたら終わりだって、不安で仕方がなかった」

「そう、だったのか……」

「そして実際、書き始めてすぐ、あなたに勘付かれたんじゃないかって……覚えていない? 半年くらい前、丈太がお風呂に入りにいった直後に、突然引き返してきたことがあったじゃない? シャンプーが切れていたことを思い出したとかで。そう、この部屋よ。その時私、執筆中だったのよ。丈太がいない間に少しでも構成を練り直しておこうと思って。あなたが戻ってきたと気付いた瞬間に咄嗟にパソコンを閉じはしたけれど……予想だにしていなかったタイミングだったから、完全に油断していて……」


 そうだったのか……いや、そんな些細なこと覚えてねーし、何か書いてるんだなーって思い始めたのはもっと前からなんだが。


 でも、京子にとってはそのタイミングだったのだろう。俺をモデルにした新作に着手したことで、罪悪感と警戒心が高まり、それまで気にならなかったことまで気になりだしてしまって……ってところか。


 結果的に疑心暗鬼になってしまって、ずっとそわそわとして……

 って、え? 半年前? って、おい。おいおいおい、まさか……え?


「問題X……京子の様子がこの半年間おかしかったのって、小説のせいだったのかよ……!?」

「問題エックスって……? いえ、だから半年間おかしかったのは、丈太の方で……私の執筆活動に気付いてしまったからじゃないのか、って話をしたのだけれど……え? 違うの? …………つまりは、もしかして……私が小説について疑われてると勘違いしてソワソワしている様子を、あなたは私が別の何かを隠していると疑って、そんな疑いの目を感じていた私はさらに小説について隠そうと怪しい言動をとってしまって、さらにあなたの不信感を高めてしまい……ってことが起こっていたというわけ……?」


 俺は、力なく頷いた。

 ああ……何てことだ……何て徒労を俺たち二人は……。


「えっと、もしかして、じゃあさっき言っていたセレ何とかとか、ヤミノミノミさんだとかも、それに関連して、ってことなの?」


 そうか。京子がここまで話してくれたのだから、今度は俺が、俺のしていた勘違いを説明する番なんだよな。うーん、気が重すぎる。


「そうだ……。俺はな、京子がセレスティア・ティアラであって闇ノ宮美夜なんだと、思い込んでいたんだよ。小説と違って、あの行為は完全に恋人に対する裏切りだと捉えていたからな。必死に隠そうとするのも当然のように思えたってわけだ」

「だから何なのよ、そのセレスティア・ティアラだとかヤミノミヤミヤだとかいう、妙に韻を踏みたがる単語は」

「俺が聞きてーよ。ずっと聞きたかったけど我慢してたよ。まぁ、何かな、ちょっと調べた感じ、そういう名前は結構ありがちみたいなんだよな、VTuber界隈では」

「ブ、ブイチューバー……? あ、ああ、初音ミクよね」

「違う」

「あ、キズナ、」

「キズナアイでもない。違うわけじゃないが、今の主流ではないらしい」

「えと、じゃあ、ブイチューバー……あ、もしかして、ホロライヴってやつかしら」

「それは知らん」

「何かね、アニメ絵の美少女アバターを使った配信者達がたくさん所属している事務所なの。別府さん達が好きらしくて。確か二次創作もしていたわ。ホロライヴのメンバーは漏れなく全員ふたなりらしいわよ」

「へー……また随分とニッチな……VTuber業界の中でも絶対限られた層にしか知られてない団体だろ、それ」


 中の人の彼氏や旦那さん達はどう思ってるんだ、それ。俺なら絶対耐えられないぞ、大事な彼女がふたなり美少女になりきってド変態視聴者の相手してる姿とか。


「で、何? つまりは私が、そのふたなりアニメの声優をやっているものだと思い込んでいた、ということなの?」

「ああ、ふたなりではないが、まぁこの際そこはどっちでもいいや。このセレスティア・ティアラと闇ノ宮美夜ってVTuberの声が京子とそっくりなんだよ。見てくれ」

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