第33話 蝶野丈太、真相に迫る

「――ティアラに、彼氏なんているわけがないんですから。あなたが白石さんと付き合っている時点で、白石さんがティアラである可能性なんて、一毛も存在し得ないんですよ」


 幻聴がした。

 目の前の純君が発した言葉であるはずなのに、まるで保科さんが吐いた煽り文句のようだった。語尾に♪が付いているかのように聞こえた。


「ね? そうですよね、丈太さん。そうに決まっているし、それでいいじゃないですか。丈太さんのご自慢の彼女さんは、丈太さんに秘密の活動なんて何もしていない。ね? それが紛れもない事実だし、誰しもが幸せになれる真実ですもんね。ていうかもしかしてそもそも、ティアラに中の人なんて存在しないのでは? うん、そうだ、それがいい。そうに決まっているじゃないですか常識的に考えて」

「あわわ、あわわわわわ……」


 俺は、とんでもないことをしでかしてしまった。

 純君の目がイっちゃってる。血走っていて、何かここには存在しないものが見えてしまっている。


 壊しちゃったよ……健全で聡明であんなに可愛かった青少年を、俺が壊しちゃったよ……。


「す、座ろ? な? いったん座ろうぜ、純君」


 ちょうど薄い座布団を二冊持っていたので、床に敷いたそれに、俺たちは腰を下ろした。


 でも、何で突然こんなことに?

 純君と出会ってからこれまでのことを、必死で思い返す。


 ……そうか、もしかしたら、健全でウブすぎたのかもしれない、純君は。俺や保科さんや別府の言動が、この子の脳を破壊してしまったのだ。


 たぶん純君は、保科さんのことを好きだったんじゃねーかな……。

 それなのに保科さんは、あえて彼の前で俺や別府に思わせぶりな態度を取ったりしてみせる。それが彼女なりの気の引き方なんだということくらい、俺にはわかる。良い大人ならわかるし、そんなことで動じたりしない。


 でも、彼はウブな男子高校生ではないか。些細なことで大きなショックを受けてしまったって、しょうがないではないか。


 それに加えて、俺に絶世の美女である京子という恋人がいたことまで発覚してしまう。もしかしたら既に京子にも一目ぼれしていたかもしれないし、そうじゃなくても、俺に嫉妬しない男子高校生なんてそうそういないだろう。心を乱されたって当然だ。


 うん、完全に俺が悪いな。


「本当に申し訳なかったな、純君……お詫びと言っては何だが、この座布団二冊ともあげるから……」

「え? 丈太さんが何を僕に謝ることがあるって言うんです?」

「いや、ほら。保科さんのこととかさ……当たり前だけど、マジで俺と彼女ってただのバイトの先輩後輩でしかないからな? 俺も向こうも、恋愛感情だとか一毛もないから……」

「あははは、面白いですね、突然そんなこと。そりゃそうでしょうよ、白石さんみたいな素敵な恋人がいながら浮気心を持ってしまうようなクズでは絶対ないでしょう、丈太さんは。ま、華乃の方は分からないですけどね! あいつはクズビッチですから、もしかしたら丈太さんを――……」


 夢うつつといった感じで不気味に笑い続けていた純君だったが、突然、ハッと何かを思いついたかのように、言葉を切る。その鋭い顔つきに安堵させれてしまう。

 戻った……聡明な青年探偵に戻ってくれた!


「……丈太さん、僕ちょっと、華乃に確かめてきたいことが」

「そ、そうか! 何か思いついたんだな! いいんじゃないか、うん! あ、でも俺はそろそろ京子に会いにいかねーと」


 さすがに一番重要なそれを、これ以上後回しにはできない。

 純君が何と言おうが、京子はセレスティア・ティアラだ。

 人生を左右する大事な話に、これから俺は臨むことになる。


「いえ、むしろそれがいいです。この話はちょっと丈太さんがいない方がいいと思いますので。あ、この座布団、500円でしたっけ。まぁ百合自体は嫌いじゃないですし……後学のために持ち帰ってみます」


 そう言って立ち上がり、財布を取り出そうとする純君。


「いやマジでいいって。あの金は義援金であり、お布施みたいなもんだしさ」

「そういうわけには……そもそもあれですよ? バイトしてる高校生なんて、一人暮らしの大学生よりも自由に使えるお金は多いもんだと思いますよ」


 言われてみれば確かにそうかもな。俺も実家暮らしの高校時代にはバイト代がどんどん貯まって今の助けになってるし――って、ん?


「あれ? 今ふと思ったんだが……純君って、高校は保科さんと別なのか?」

「え? いえ、同じですが。あいつ僕よりずっと成績良いくせに、僕への嫌がらせのためだけに同じ高校に来ました」

「ん? でもバイトしてるんだろ、純君。あれ? 高校、バイト禁止なんだよな?」

「…………? おかしなこと言いますね。丈太さん自身が華乃といっしょに働いているんでしょう? 全然禁止じゃないですよ」

「…………」


 これは……まさか……。


「確認なんだが、純君。保科さんの叔父に、コンビニ経営してる人とかっているか?」

「え、いえ……いない、と思いますけど。……うん、いないですね、はい」

「……マジかよ……」


 じゃあ、つまり。そっからもう、始まってたってことかよ……。


 ――保科さんと、そして京子は。初めから。遅くとも、俺が保科さんと出会うよりも前から。俺に、何かを仕掛けていたのだった。





 結論から言えば、京子はその部屋にいたが、同人小説を売っていたわけではなかった。買う側だった。ド変態エロ小説を売るサークルの面々と語り合いながら、購入するド変態エロ小説を物色している最中だった。


 突如目の前に現れた俺に驚愕し、慌てふためきながら、何か言葉にならない言葉で言い訳のようなものを延々と垂れ流し続け、そして酸欠を起こしたかのように膝に手をつき項垂れて。


 そんな、とても京子らしくない姿がまた愛らしいだとか、項垂れるときまで背筋が真っ直ぐだとか、意外とデッドリフトとか向いてるんじゃないかとか思いつつ、それら全ての思考がただの現実逃避だと自覚しながら、俺はこれまで何千回も抱きしめてきた、これから何万回も抱きしめ続けるのだと信じていた、その綺麗な背中へと、シンプルな問いを落とす。


「京子、お前……エロ小説、書いてたのか……」


 一瞬、ビクッと震えた京子は。

 数秒、体を固めた後。

 ゆっくりとその上半身を起こしていき。

 そしてやはり背筋をピンと伸ばした美しい姿勢で。

 何の感情も読み取れない、全くの無表情で俺と十数秒見つめ合い。

 そして、ついに「ふぅーーっ」と長く細い息を吐いて。

 片手でパシッと額を押さえて天を仰ぎ。


 言った。


「はい終わったーーーーっ!! 私の人生これにて終了ーーーーっ!! お疲れさんっしたーーーーっ!!!!」


「ええー…………」

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