第29話 阿久津純、気付く
丈太さんの後に続いて、僕と、そしてふて腐れた様子の華乃も、同人誌即売会場だというその部屋に入っていく。
それにしてもどういうことなんだ、この展開は。
いったん、整理しないと。
まず、僕はここに、彼氏デマを生み出したまっかろんを探しに来た。そしてどうやら、まっかろん本人か、まっかろんの友人が、ここにいる可能性が高い。加えて、白石さんもこの部屋か、少なくともこのフロアにはいる。
この事実が、一体何を指し示しているのか。考えると、体が震えてくる。
元々、ティアラがこの大学にいる確証なんてどこにもなかったはずなのだ。もちろん○○大生であるまっかろんの友人である以上、他の組織に比べればティアラが所属しているのも○○大学である可能性は高い。が、あくまでも比較的、という話に過ぎない。まっかろんとは大学外の友人だという可能性も大いにある。
そんな大前提の下で、白石京子は、○○大学という限定された範囲の中においては、(おそらく)最もティアラに似た声を持っているということだけに過ぎない人物だったのだ。今の今までは。
だが、まっかろん、またはまっかろんと関連する人物がいる場所に、彼女もいたとなれば……それを単なる偶然として片づけるのは、あまりにも無理があるだろう。
少なくとも、検証しなければならない。白石さんこそがティアラなのかもしれないという仮説をもう一度復活させざるを得ない。
と、それを踏まえても、華乃のこの態度が腑に落ちなくて仕方ない。
なぜこいつは一貫して、『ティアラ=白石京子』説を頑なに主張し続けているのだろう。
僕の中でその説の信ぴょう性が高まってしまったのは、先に述べたような状況がこうやって目の前に提示されてしまったから、だ。
しかし華乃は初めから、それこそ丈太さんに「ティアラに似た声の人間が大学にいる」と報告を受けそれを僕に伝えてきた時からずっと、白石京子こそがティアラだと信じて疑っていないのだ。
確かに華乃はそのあと個人的に白石さんに接触して身辺調査してきたので、僕や丈太さんに比べればずっと彼女の人となりを知ってはいるのだろう。
とはいってもせいぜい数日の付き合いではないか。そのたった数日で紛れもない証拠を掴んだというのであれば、さっさと僕らの前にそれを提示すればいいではないか。
白石さんをティアラということにしたいにもかかわらず、証拠を示さない。それはつまり華乃だけが持っている証拠など無いということに他ならない。
なら、なぜ華乃はそんなことしているのか。
こいつの性格を考えればまず真っ先に思い浮かぶのは、僕に対する嫌がらせだ。
しかし、白石京子がティアラであることが、僕に対する嫌がらせ……?
確かにショックではある。
だって、白石さんは僕が今まで抱いてきたティアラ像からかけ離れている。白石京子は、僕がこうあってほしいティアラの魂の姿ではない。白石さんには悪いけど、彼女がティアラだったら、すごく嫌だ。
だが、それが嫌がらせ?
僕は、自覚している。僕のこの感情は、一般のVTuberオタクが持つそれと著しく乖離している、と。
普通のVTuberオタクは、自分の好きなVの中身が白石京子だったら、落胆どころか歓喜する。僕以外のティアラファンだってそうだ。アンチ共ですら、中身が白石京子だと知ればファンに寝返るだろうほど、彼女は完璧な美女だ。
もしも、偽の中身でVTuberファンに嫌がらせがしたいなら――言葉は悪いけど――容姿が優れていない人間を用意するものだろう。
むしろ白石さんの場合とは全くの逆で、ティアラのイメージと同じように、ぼっちで友達がいなくて引きこもっていそうなタイプの中からブサイクを選ぶのが最適だ。説得力が増す。そういう点でも、やはり白石京子は嫌がらせの道具には不向きな存在のはず。
もちろん、華乃に関しては、僕の特異的な感情まで理解して嫌がらせをすることも出来るだろうけど、理解しているのなら、やはりなおさらこれはおかしい。
ティアラが白石さんだったらショックなのは事実だけど、もしも世界人口78億人の中で、ティアラの中身であって欲しい人ランキングがあるとしたら、白石さんは何だかんだできっと上位10万位には入ってしまうだろう。
大きな解釈違いがあると言っても、結局はやっぱり、どうしようもなく美人なんだもん。その事実には誰も抗えない。
つまり残り77憶9990万人を差し置いて白石さんを選ぶなんてコスパが悪すぎる。
もちろんティアラと声が似ているという理由から使いやすかったということはあれど、僕への嫌がらせに並々ならぬこだわりを持つ華乃が、そんな妥協をしてまでやることだろうか。
ではなぜ華乃はこんなことをしているのか。
次に思い浮かぶのは、丈太さんに対する嫌がらせだ。
丈太さんとはただのバイトの先輩後輩だとか抜かしていたけど……やはりそれは明らかに嘘っぽい。
今日ここまでの態度を見ても、華乃はどうやら丈太さんのこともロックオンしている。
これは……ご愁傷さまです、としか言えないです、丈太さん……。こいつに嫌がらせの対象として目を付けられたら、人間性に優れている人ほど苦労することになると思います。僕と同じように……。
だけど、この仮定でもやはり腑に落ちない。
丈太さんは、ティアラを信じてくれているとは言っても、やはり一般的なティアラファンの域は出ないであろう。ティアラの中身が白石さんだとしても特にショックは受けないはずだ。
そもそもとして、『ティアラ=白石さん』という仮説を最初に立てたのは何を隠そう丈太さん自身なわけで。白石さんを尾行してここまで来てしまったのも(結果的にはホントにまっかろんに近づけてしまったけど)、白石さんをティアラだと決めつけていたからであって。
「丈太さんが信じ込んでしまっている仮説を支持する」ことが「丈太さんへの嫌がらせ」になるなんて、論理が破綻している。
ってことは、むしろ、丈太さんをサポートするため? 嫌がらせの対象としてロックオンしたわけではなく、本当に華乃が丈太さんに恋している、とか?
いやいや、恋していることはあり得たとしても、その行動はあり得ない。
恋した相手を落とすために都合の良い女になるってことだろ? ダメだ、笑えてくる。
回りくどい手を使うこと自体はいとわない奴だけど、恋愛においてそれをするなら、「好きな男を力尽くで奪い取る」ために、だ。
相手から好いてもらうために相手の利益になるようなことをしてアピール、なんて殊勝な真似はあまりにも、らしくない。
…………ダメだ、分からない。完全に行き詰まった。
そこで、僕は少しだけ華乃を揺さぶってみた。
あえて強く、わざと大げさに、華乃に当たってみたのだ。
先ほど、ちょうどまた華乃に不可解な言動が見られたからだ。
実は華乃が指摘した、まっかろんのフォロワーの投稿画像――それは僕もチェックしていた。
華乃に教えてもらったまっかろんのフォロワーだった者達のアカウントは当然僕も全て目を通してきた。
ただ、顔が隠されていた人物の服装まで僕が記憶出来ていなかった、というだけの話だ。
情けないけど、この数日間の間に十数に及ぶアカウントの情報を隅から隅まで精査できるほどの能力は僕にはない。暗記なんて、もってのほかだ。
要するに、さっきのは完全に僕の言いがかりなのだ。華乃に非はなかった。そしてそれは傍から見ている丈太さんも感じたことのはずで――
――もしも丈太さんが、僕と同じ情報を華乃から伝えられていれば、の話だけど。
おそらく、違うのだ。僕が持っている情報と、丈太さんが持っている情報――より正確に言えば――僕が華乃から伝えられていることと、丈太さんが華乃から伝えられていること――そこに、差異がある。
つまり、華乃が、僕と丈太さん、それぞれにそれぞれの嘘をついている。
実際、さっきの丈太さんは僕を責めるどころか、どちらかと言えば僕寄りの仲裁をしていた。
このことから、丈太さんは、まっかろんのツイッターアカウントに関する情報を充分に持っていない、もしくは虚偽の情報を握らされているのだと推測出来る。
いずれにせよ、僕と彼の情報の非対称性・すれ違いを利用して、華乃が何かを仕掛けようとしている――その前提の下で、この先の調査に挑まなければならないということだ。
「京子は……いない……?」
丈太さんが驚きとも安堵とも言えないような声を漏らす。
室内は思ったより手狭だった。普段何に使われている部屋なのかは知らないけど、高校の教室2、3個分といった面積だ。
その四辺に沿うようにいくつもの長机が並び、その中心にも長机で四角形が作られている。長机で漢字の「回」の字が作られているイメージだ。
一つのサークルにつき一つの長机が販売スペースとして与えられているようで、当然、置かれている冊子が売り物の同人誌、座っている人達がそれぞれのサークルの売り子だったり作者だったりするのだろう。
客も割と入っていて、騒がしくはないけど、独特な熱気に包まれている。売り手と買い手どちらからも、自分達なりの情熱が漏れ出ている、そんな印象だ。
そして、確かに白石さんの姿は見えない。とはいえ、このフロアには他にも部屋があるようだし、当然トイレだってあるわけだから、それ自体に不思議はない。
ただ、僕は丈太さんの言葉に違和感を持っていた。
京子……? 呼び捨て……? 下の名前で?
丈太さんは、最近この調査のために白石さんを見つけ出し、声をかけただけの関係だったはずでは……?
「で、どれだ、保科さん」
気を取り直したように、声を潜めて尋ねる丈太さん。
華乃が見かけたという、まっかろんに関連するかもしれない人物についてだ。
「アレです。あの金と黒のジャージにジーンズの……」
「…………っ!」
華乃が目で指し示した方を向き、丈太さんはハッとしたように目を見開く。
「別府……!? マジかよ、そんな、まさかマジで……」
愕然と呟く彼の視線の先では、背の高いボーイッシュな女性が、三十代ぐらいの女性客と談笑していた。彼女の前には山積みの薄い本が置かれている。サークル側の人間ということだ。
あれが、まっかろん……! もしくは、奴に近しい人物……!
華乃への疑惑もいったん忘れてしまうぐらいに、強い怒りが込み上げてくる。
ダメだ、冷静にならなければいけない。彼女がまっかろん本人だったとしても、いきなり飛び掛かるわけにはいかないのだ。
見つけただけでは意味がない。自分がまっかろんで、自分がデマを流したと、認めさせなければいけないのだから。
ただ、丈太さんのこの反応。
別府、と言ったか……とにかくどうやら知り合いか、最低でも一方的に存在は知っている人物だったようだ。
どちらにせよ、完全な初対面であるよりは、手の打ちようも見つけやすいはずで。
「丈太さん、慎重に行きましょう」
「あ、ああ、わかってる。わかってるが、ちょっと……」
声がわずかに震えている。丈太さんらしくもないけど、これは慎重というより、もしかして、ビビってる?
と、疑問符を浮かべた時だった。思いがけない方向から声がする。
「は……? 蝶野、丈太……!? おい、何してんだ、お前。ちょっと来い」
まさかの、別府の方からの呼び出しだった。静かな雰囲気の中でドスの利いた声が響いたので、部屋中の注目を集めてしまっている。
「…………っ! やべ、見つかっちまった……」
「いいじゃないですか♪ しかも知り合いなんですね、丈太さん♪ 手間が省けてラッキーです♪」
青ざめる丈太さんの手を引っ張っていく華乃。僕もそれに付いて、こちらを睨みつける別府という女のもとまで向かう。
別府のサークルである第三漫画研究会のテーブルには、肌を露出した美少女二人が熱く見つめ合う表紙の本が重ねてあった。表紙の右上には18という数字が白抜きされた道路標識のようなマークが付いていて。
要するに、エロ本だった。エロ漫画だった。エロ百合同人誌だった。
ていうか、改めて周りを見回してみると、どのテーブルに並んでいる本にも妙に肌色が多い気がする。肌色という表現は人種差別的だという意見もあるけど、今僕が指している「肌色」に偏った意味はまるでない。この部屋のテーブルの上に見える肌の色は黒もあれば白も赤も黄色もあるし、紫も緑も銀も金もあったから、まとめて肌色としか表現出来なかったのである。
要するに、特殊性癖の集まりだった。ニッチエロ本即売会だった。変態の集会所だった。変態公民館だった。
別府が売っている同人誌もよく見ればただの百合ものではなく、見つめ合う美少女二人のパンツが何故か不自然に盛り上がっていた。僕は何も見なかったことにして、丈太さんと別府のやり取りを固唾を飲んで見守る。ごくり……。
「蝶野お前……何なんだよ、こんなところに。し、しかもこんなエロ可愛いギャルJK連れて……ごくり……!」
別府も丈太さんと華乃を交互に睨みつけて生唾を飲み込んでいた。こわい。僕のことは目にも入っていないようだ。こわい。こいつがまっかろんだったらどうしよう。こわすぎる。
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