第28話 蝶野丈太、気付く

「もうムッツリ純はいいんで丈太さんがおぶって……って、え? あれ? ちょっ、二人とも一旦ストップ」


 京子がいると思われる4階にたどり着くと同時、保科さんが何やら真面目な感じで言う。

 性格は悪いが、この子も高い能力を持っているのは確か。特にその鋭い観察眼は本物だ。意見があるなら当然耳を貸す。俺は無言で彼女に続きを促した。


「ちょうど今、あの教室に入ってった女性の服装……まっかろんのフォロワーがアップしてた画像に写ってた人と全く同じでした」

「「…………っ!?」」


 思わず息をのむ。純君も目を見開いている。

 保科さんは小声で続ける。


「顔とかは隠してあったんでアレですけど、体格とか見るにほぼほぼ間違いなく同一人物かと。まっかろんの友人の友人か、まっかろんとも直接の友人、あるいは……」


 まっかろん本人の可能性もある――そういうことだ。

 いや、本当に保科さんがその画像で見た女と同一人物だというのであれば、実質的に、まっかろん本人で決まりだろう。

 まっかろん=闇猫はストーカーであるからこそ、セレスティア・ティアラが通っているかもしれないこの大学に忍び込んだのだ。ストーカーでも何でもない「まっかろんの友人」なりが、たまたまこのタイミングでこの大学のこの部屋に用があった――なんていう偶然中の偶然を考慮したって仕方がない。


 つまり、見事に罠にかかったのだ。

 忍び込んだこの大学内でセレスティア・ティアラと似た声を見つけ、そしてその声の主である京子を追いかけて、ここに誘い込まれた。まさに俺たちの作戦通り。

 というか、あまりにも早すぎる。この広い大学内のあの人混みの中で、こんな短時間でなんて……ストーカーにとっても、それをおびき出そうとした俺たちにとっても、あまりにも都合の良すぎる展開だ。


 もしかして……ストーカーの大学内の潜入は今日に始まったことではなく、もっと前から時間をかけて行われていた、ってことか?


 とにもかくにも、該当の教室の前まで急ぐ。階段を上っている最中は棟ごと静かだと思っていたが、各教室からは、それなりに人が入っている気配が漏れ出ている。

 そして、保科さんが見た女性が入っていったというその部屋の前には。


「○大生オンリー同人誌即売会、第四会場……?」


 立て看板の文字を読み上げ、そして同様に掲げてある室内マップのようなものを目で追う。

 サークルカットというのか簡単なイラストと共に添えられているのが、ここでの催しに参加する団体名なのだろう。『サークル触手工房』『○○大学NaTuRe漫画愛好会』『ノータッチの会』~~などなど。


「…………これ……」


 そして、見覚えがない文字列の中で、ふと目に留まったその名前。唯一、存在だけは一応知っている。『第三漫画研究会』。別府――京子の友人が所属しているサークルだ。


 心臓が、にわかに騒ぎ出す。


 セレスティア・ティアラのストーカーと思われる人間がこの部屋の中にいる。そして少なくともこのフロア内に、京子もいる可能性が高い。

 ストーカーは勝手に京子をセレスティア・ティアラだと勘違いしているだけ……俺の願望はそう叫んでいる。

 だが、ストーカーは「京子がセレスティア・ティアラだと思ったからこの大学に来た」のではなく、「セレスティア・ティアラがこの大学にいると思ったからこの大学に来て、そして京子を見つけた」のだ。

 これを踏まえると、俺の願望には少々無理があるように思えてしまう。


 しかも、別府だって? ここで京子の友人の存在が出てくるなんて、さらに偶然では片づけられなくなってくる。


 それに加えて、最も嫌な想像を掻き立ててくるのは、俺が立っているこの場所だ。

 同人誌……セレスティア・ティアラは闇ノ宮美夜時代に小説を書いていた。そして創作活動をしていた節がある京子がここを訪れている……様々なピースが繋がって、最悪の完成形を作り出そうとしている。


 いや、ネガティブになりすぎるな。見た限り、同人誌は同人誌でも、ここにいるのは漫画ジャンルを扱っている団体ばかりなんじゃないのか?

 闇ノ宮美夜が書いていたという小説とは何の関係もないと見て、いいよな……?


「ってか、あれじゃないですか、丈太さん」

 保科さんが何気なく補足してくる。

「ここまで来る間の2階も3階も看板とかこんな感じでしたよ? この棟全体が同人誌即売会場なんじゃないですか?」


 つまり他の階に行けば、○大生が書いた小説なりも売ってる可能性が高い、と。くそぉ……。


「いや……いやいやいやいや、ちょっと待てよ、華乃……!」


 純君も驚愕に打ち震えているようだ。京子が小説を書いていたかもしれないという情報までは伝えていないが、それ以外は俺と同じ考えに至っているのであろう。驚いて当然だ。


 純君は保科さんの両肩をガシっとつかみ、


「まっかろんに繋がるかもしれない人物の画像なんてあるなら、予め僕らにも共有しておけよ! 馬鹿なのか、君! それとも僕を馬鹿にしてるのか!?」


 え、そこか、キレるポイント。


「は? いや、だから顔隠れてたって言ってんじゃん。今日、服装まで同じだったのなんてたまたまっしょ」

「実際そのたまたまが起きたんじゃないか! もし華乃が見落としてたら、このチャンス逃してたんだぞ!?」

「……ってか、何でわたしが悪いみたいに言ってるわけ? 言ったよね? わたしがその画像見つけ出したのは、まっかろんの『フォロワー』だったアカウントなの。つまりまだ削除されてない。誰にでも普通に見られる。そんでわたしはそれらのアカウントを全部、あんたにも教えてるわけだけど?」


 保科さんも保科さんで、普段のおちゃらけた感じは鳴りを潜め、なかなか棘のある口調で言い返している。


「…………っ、つまり君は、僕の事前準備が、情報の精査が、甘かっただけだと言いたいのか」

「ぷ。ううん、違うよ。キモオタきもい死ねよクソ陰キャって言いたいだけ。一生ぶいちゅーばー笑でシコってればーっ? わたしはイケメンの丈太さんとエッチしてよーっと♪」

「てめっ……!」

「おいおいおい、ちょっと落ち着け、特に保科さん」


 さすがに俺も割って入る。気になる幼なじみ女子にそんなこと言われたら純君と言えどそりゃキレるだろ。そして最悪の文脈で俺を巻き込むな。


「今は幼なじみ煽って楽しむときじゃないだろ。とにもかくにも、この機を逃せねぇのだけは確かなんだから」


 自分以上に精神が乱れてる二人を見たことで、逆に冷静になれた気がする。一応年長者なわけだしな。俺がしっかりしねーと。


「はぁ……だいたいもう京子さんで決まりなのになー。この作業も正直飽きてきたしー」

「こいつ、ほんっとに……」


 俺の仲裁で少しは落ち着きを見せた二人だったが、結局俺を挟んでの睨み合いは続いている。やれやれ……


 って、ん? ……あれ? 何か違和感が……


 ……うん、そうだ。さっきまでのこの二人の言い合い、どこかおかしくなかったか?


 まず、まっかろんのツイッターを洗い出して、その正体が闇猫の裏アカウントだと暴いたのは純君だったはずだよな。あ、いや、調べ上げたのは正規の闇猫のアカウントであって、まっかろんのアカウント自体は既に削除されていたという話だったか。


 ん? どちらにしても、変じゃないか。


 さっきの話、保科さんがまっかろんのフォロワー達まで辿って、その情報を純君に教えてたってことだよな。

 フォロワーにまで辿れたってことは、保科さんがまっかろんのアカウントを削除前に調べ上げたということだ。

 確かに、彼女の無駄な能力の高さなら、「面白そう」という理由だけでそこまで出来てしまったって不思議ではない。

 ただ、この件に関しては明らかにおかしい。


 彼女には絶対実行不可能なのだから。


 だってそもそも時系列が合わない。

 闇ノ宮美夜引退のきっかけとなった、まっかろんのツイッター騒動は今から3か月半前。保科さんが、俺とともに京子の問題Xを調べ始めてセレスティア・ティアラ及び闇ノ宮美夜の存在を知ったのはつい2週間前のはずだ。


「……………………」


 何だ、何だこの矛盾は……何だこの胸騒ぎは……!


 これらの矛盾を解消するために考えられる可能性は……二つある。

 一つは、保科さんと純君が組んで、俺に嘘をついているということ。

 そしてもう一つは、保科さんが、俺と純君双方に、それぞれ別の嘘をついているということだ。


 …………いや、うん。もうそんなん絶対後者ですやん……。


 くそぉ、どこからだ。どこから始まって、どれが本当で何が嘘なんだ。


 って、現状でそんなんを予想しても仕方がない。判断材料が乏しすぎる。

 逆に考えれば、『京子=セレスティア・ティアラ』だと確定しかけた状況に実は穴があるかもしれないということでもあるのだ。


「はぁーあ、もういいやー、白けてきちゃいましたー。丈太さん、ほら、もうここ入っちゃって。どーせここにセレスティア・京子ちゃんも、妖精まっかろんもいるってオチに決まってんですからー」

「おい、押すな。押されなくても入る。そんで魔法少女みたいに言うな」


 そうだ、そもそもとして保科さんは初めから、本当に初めっから、妙に京子をセレスティア・ティアラだということにしたがっていた。特に今日、この作戦を迎えてからはそれが顕著だ。今思えば、何か焦っているようにすら見える。

 俺と純君がセレスティア・京子ちゃん説に導かれてしまうよう、いくつかの嘘をついてきたのではないだろうか。


 さすがに、全部が全部まるまる嘘ということはないだろう。

 一から百までの作り話に騙されるほど俺はマヌケじゃないし、しかも同時に純君も騙さなきゃいけないというハードルもあるのだ。そんな嘘八百を通すことなど不可能だろう。

 そもそもとして京子がこの半年間何かを隠してきたこと、その期間が偶然にも闇ノ宮美夜・セレスティア・ティアラの活動期間と一致していることなど、根本の部分は間違いのない事実なのだから。


「お、おじゃましまーす……」


 この部屋の中に、一体どんな真実が隠されているのか――俺は恐る恐る扉を開け――ってか同人誌売りたいなら扉なんて開け放っておいた方がよくね? 特に外部のお客さんなんて入りづらかったするだろ、とかどうでもいいことを思いつつ、そこに足を踏み入れた。

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