第25話 阿久津純の認識

「おい、おい……おいおいおいおいおい。おい。ふざけんなよ、華乃。話が違うじゃないか。何なんだよ、あの超絶美女とイケメン野郎は……」


 真面目で一途な男とか言ってたよね!? 何だ、あの女子にたくさん話しかけられてそうな男は……!


 華乃から衝撃の事実を告げられ、半ば一方的に作戦実行の約束を取り付けられてから数日が経った。

 そしてついに迎えた当日、華乃から聞いていた時間に聞いていた場所に来てみれば、これである。


 柱に隠れて、数メートル先の華乃達の様子を盗み見る。

 声はよく聞こえないけど、華乃の奴、あの美男美女相手に随分と馴染んでいる感じだ。

 男の方とはバイト先の先輩後輩らしいけど、女の方と初めて接触したのはつい先日って言ってたよな?

 この作戦のために目的隠して近づいて、もうそんな取り入ったのか……もはやスパイじゃないか、君。


 何かもう全部見なかったことにして帰ろうかな……と、思い始めたところでついに華乃と目が合い、思いっ切り指を差されてしまった。当然、その指につられて美男美女もこちらを向き――ああ、もう逃げ切れん。覚悟決めるしかない。


 うん、そうだ。ティアラのために、頑張るしかないよな。


 僕は小走りで三人が待つテーブルへと行き、震える声で挨拶をした。




「おお! 君が噂の純君か! 保科さんからいつも聞いてるぞ、自慢の彼氏だって! 想像通り、いかにも聡明そうな青年だな! よろしく!」

「は、はあ……」


 蝶野丈太と名乗ったその長身男性は、会ったばかりの僕の肩をめちゃくちゃフレンドリーに叩いてきた。


 爽やか体育会系だ……クラスの運動部の奴らと違って、全く見下してこない感じが逆に緊張しちゃうんですけど……華乃の彼氏だとかいうの否定する余裕もないんですけど……。


「彼氏とかじゃないって言ってんじゃないですか。ただの幼なじみです。それ以上イジってきたら丈太さんにパワハラされたって店長に言いますからね」


 華乃が否定してくれた。

 てか、こいつも僕と同じで制服で来てたことに安心したわ。ギリギリまで迷ったけど、下手に私服なんか着てこないでホントよかった。


 僕の正面に座る丈太さん(華乃に倣ってそう呼ぶことに決めた)は、ファストファッションブランドのオックスフォード白シャツとジャストサイズのチノパンを着ているだけなのに、ファッション雑誌の表紙のようにカッコよかった。

 肩幅が広くて胸板が厚く、引き締まるところは引き締まっていて、脚は長く太い。飾らない感じの短髪も、堀の深いパーツと形の良い頭のおかげか、非常によく似合っている。何かどこかで見た気もするし、もしかしたら芸能活動でもしてたりするのかもしれない。


 こんな人がティアラのファンなのか……いや、ちょっと驚いたけど、考えてみればむしろ相応しい。

 この人は、ファンはファンでもただのファンではない。前世での炎上騒動を知った上で、あんな噂はデマだと解し、ティアラを信じ続けられる、数少ない本物のファンだ。やはり、たくさん女子に話しかけられるような人こそティアラの魅力を理解出来るという僕の仮説は正しかったようだ。


「おっと、悪ぃな、純君。いきなり馴れ馴れしすぎたよな。お詫びじゃねーけど、何か飲み物でも選びにいこーぜ。ほら、こっち。遠慮しないでいいからな?」


 丈太さんはニッと白い歯を見せて立ち上がる。「え、あ、すみま、ありが、」とキョドっているところで華乃に背中を叩かれ、僕もそれについていく。


「あ、ぼ、僕バイトしてるんでお金なら」


 広々とした学内カフェ店内に入り、券売機の列に並んだところで、隣の丈太さんに話かける。これだけでかなり勇気振り絞った。


「いいって、いいって。こんなことに付き合わせちまってるんだし。ホント頼むな、今日」

「い、いえ、僕の方こそ、よろしくお願いします」


 本当に申し訳なさそうに頭を下げてくる丈太さん。

 年下相手にも横柄な態度を見せることはまるでなく、かと言って他人行儀でもなく、嫌味なくフレンドリー。こんな空気感を作ってくれるなら、僕も普通に接していける気がしてきた。何かもう既に、この人にかなりの好感を抱いている。


 ここで丈太さんは周りを少し確認してから、声を潜める。


「作戦については、保科さんから伝わってる通りで……あ、保科さんからも言われてると思うけど、どこで聞いてる奴がいるかもわからんから、具体的なワードとかはできるだけ口に出さない感じで。ま、万が一のために、な。念のために、な」

「そう、ですね。そうするべきだと思います。万が一のために。念のために」


 そうだ、年上イケメンに怯んでいる場合じゃない。丈太さんは信用できる協力者であって、そして僕には今、達成しなきゃいけない重大なミッションがある。


 この学園祭で必ず「まっかろん」の奴を見つけ出して、ティアラに彼氏がいるなんてデマを取り消させる。

 僕だけなら困難な作戦だけど、丈太さんが有用な情報を掴んできてくれたらしい。

 華乃伝てで聞いたところ、どうやら、まっかろんが潜んでいそうな場所をある程度絞り込めているというのだ。やっぱり頼りになるな、この人。


 そしてもう一つ、やらなきゃいけないことがある。丈太さんが念押ししている部分もその点なのだろう。


 僕はチラっと、開放的な大窓の外に目をやる。

 さっきまで僕も座っていた屋外テーブルで、華乃と談笑している美女。


 あれが……あの人がティアラであり、美夜であると、丈太さんは予想しているというのだ。


 華乃に依頼されて、大学内から声が似ている人を探し出し、適当な理由(家庭教師の斡旋だったか)をつけて華乃と引き合わせたのだという。

 あんな美女に普通に声かけてそんなコミュニケーションとれる丈太さんも、たった数日であんな美女と姉妹みたいになってる華乃も、マジで人間離れしてる……。


 とにかく、今日、僕はあの女性の様子を観察して、彼女が本当にティアラなのかどうか判定することを求められている。


 ……正直、気が進まない。

 というか、そんなわけないだろ、と思っている。


 まず、状況を整理すると。

 まっかろんがこの大学にいるというのは間違いなさそうだ。華乃がツイッターで掴んできた証拠がある。

 だが、ティアラがあの女性だというのは、丈太さんの予想でしかない。

 そりゃ、確かに、まっかろんの友人である以上、同じ大学にいる可能性が一番高いと考えるのは妥当だけど、確証は何もない。

 丈太さんが探せる範囲で探した中で、一番それっぽい人を選んできた、ということに過ぎないのではないだろうか。『この大学にいる』と思い込んで探し回れば、ちょっとそれっぽい要素を発見しただけで舞い上がってしまうのではないか。そして、自分自身がたどり着いたその「真相」を信じて疑えなくなってしまうというのが人間心理ではないか。まさに、断片的な要素を集めた推測で、美夜に彼氏がいると断定したあのネット民達と同じように。


「ちなみに丈太さんはどうしてあの女性が……と、思ったんですか?」


 約束通り、「ティアラ」という固有名詞は出来るだけ出さないようにして尋ねる。


「うん、まぁ……」


 丈太さんは、これまでのハキハキとした感じと打って変わって、どこか言葉を濁すように続け、


「正直、声が似てるとか、その程度の理由しかねーんだけどな。ま、ホント念のためだよ、念のため。客観的な感想を教えてくれればいいさ。判断つかなそうなら、正直にそう言ってくれ」


 そして気まずそうに頭をかいた。

 どうやら、丈太さんもかなり無理のある予想だと自覚はあるらしい。


 その態度に、僕ははむしろ、さらなる好感を持った。

 自分に都合の良い憶測で決めつけるようなことをせずに、自信のないところは自信がないと表明できる――そんな人の方が、何でもかんでも自信満々に断言するような輩より、よっぽど信用に値すると思う。

 やっぱり女子にたくさん話しかけられている人は違う。しかも女子にたくさん話しかけられているにもかかわらず恋人に一途らしいというのも好印象だ。女子に結構話しかけられているのにティアラに一途な僕と通じるところがある。


 ただ、あの女性がティアラなわけがない――そう僕が思ったのは、「根拠薄弱」という理由だけではない。


「ほい、結構熱いぞ」

「あ、ありがとうございます。いただきます」


 丈太さんに買ってもらったミルクティーのカップを受け取り、再び、彼女らが持つテーブルへと戻る。


 華乃の対面に座る、黒髪ロングの女子大生。

 黒のタートルネックニットに、ロングタイトスカート。足元はシンプルでスッキリとしたショートブーツ。

 秋の日差しを浴びながらカフェラテを飲む姿がとても様になっている。

 この光景を写真に収めて大学パンフレットの表紙にでもすれば、受験生からの人気もさぞ高まるのではないか――いや、むしろ逆か。様になり過ぎているが故に、現実感が湧かなくて、受験生への宣伝効果はないだろう。

 彼女が映えるのはきっと、「穏やかな日常」をアピールするための宣伝ではなく、夢見る人間に理想を売りつけるような、有り体に言えばもっと華やかな商品広告だ。

 そう思わされてしまうほど、彼女の雰囲気はあまりにもモデル然としていた。

 つまりは、生きる世界が違い過ぎて、親しみが持てない。身近な存在に感じられない。


 あれが……ティアラであって、美夜だったかもしれない女性、だって……?


 ティアラはその魂の姿まで可憐である――そんなのは当たり前だ。知っていた。見たことなんてなくても常識として知っていた。


 だけど、でも……――あんな大人っぽくて落ち着いていてカースト最上位っぽい美女だなんて――完っっっ全に解釈違いなんですけど……!?

 ティアラは、美夜は、彼女の魂は……! 地味で目立たないけど実はめちゃくちゃ可愛くてその可愛さに僕だけが気付いてしまっているような女の子のはずなんですけど……!?


 誰もが振り返るような八頭身美女なわけないだろ! もっとちまっとした感じで私服は絶妙にダサくあるべき! ウエストをインしてもオシャレに見えるような着こなしなんてティアラがするわけない! あれってどういう仕組みなん?


「おっそいですよー、二人ともー。わたしと京子さん、もう勝手に行っちゃおーかと思っちゃいました」


 僕らが席に着くと、華乃が不満そうな声を上げる。


 ちなみに僕が白石さん(華乃に倣って下の名で呼ぶのは絶対無理なのでこう呼ぶことに決めた)を観察した後は、華乃が彼女を連れ出す手筈になっている。

 白石さんと既に親しくなっている華乃と違って、丈太さんは最近彼女を見つけ出して声をかけただけに過ぎない関係だ。

 今こうやってこの4人がこの場に揃っている状況も、『3人共が華乃の知り合い』だから流れでそうなっただけ――だと、白石さんは解釈している。

 よって、白石さんがティアラなのかどうか、それを見極めるという目的が完了したら、自然な感じで彼女を我々から引き剥がしてもらう必要がある。その役目を華乃が担っているというわけだ。


 そもそもこれは確証の薄い、まさに念のための作業に過ぎない。僕と丈太さんが手を組んだ主目的は、まっかろんを見つけ出すことにあるのだ。

 っていうか、まっかろんを捕まえて全てを白状させることに成功すれば、ティアラの正体も自ずと分かってしまうわけだし。僕はそんなことまで求めていないけれど。


 まぁ、要するに。そんなに緊張なんてしなくていいのだ。こんなのはダメ元の、ついでみたいな仕事であって。僕の斜め前にいるこの女性が、ティアラなわけなんて――


「あ、それなのだけれど、華乃さん。実は私、一人で回ろうかと思っていて……」

「…………っ!?」


 伏し目がちな彼女の口から放たれた、その言葉。

 本来であれば、その長いまつ毛や桃色の唇に目を奪われていたのだろうが、今の僕にそんな余裕はなかった。

 奪われたのは目ではなく耳だ。


 まるで美夜が隣で喋っているかのような、僕を惹きつけてやまない天使のような声が、彼女の口から発せられたのだから。


 嘘……だろ……?


「えーっ。約束してたじゃないですかー!? どーしたんですか、急に」

「ごめんなさい……その……ほ、ほら、今日はせっかく華乃さんの、ほら、ねぇ? 私がいたらお邪魔かなーと思って」

「ちょっ……、純はそーゆーんじゃないって言ってんじゃないですかー!」


 何やら遠慮がちというか、気まずそうに話しているのでだいぶ小声ではあるが、その声は確かに僕の耳にまで届いている。幻聴などではない。間違いなく目の前にいるこの女性が、その口から、この声を出しているのだ。


 そんな……まさか……バカな……!

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