第24話 蝶野丈太の認識
大学3年にして、俺と京子は初めて自らが通う大学の学園祭に足を運んでいた。まぁ、サークルなどに所属していなければそんなもんだろう。
秋晴れの下、お昼を過ぎたキャンパスは、いつもとは違う熱気に包まれている。
色とりどりの模擬店に、そこかしこから聞こえてくる雑多な音。音、音、音。
いつもは静かで落ち着いた雰囲気のキャンパスに人と音が集まり、青春の色があふれ出していた。
が、今の俺にはそんなこと心底どうでもよかった。
そもそも青春なんてものは俺にとって、過去の思い出に過ぎない。短い青春の中で出会えた京子という最愛の人と共に、後は平凡に着実に確実に人生を歩んでいく。
ドラマのような大恋愛なんて求めてない。起承転結もどんでん返しも必要ない。このまま一生京子と愛し合っていられれば、それだけで幸せだった。
大学3年の11月、学祭なんかに来ている暇があるなら、京子との将来のため、就活に力を注いでいるべきだ。
だが、来ないわけにはいかなった。いや、絶対来るべき理由が今の俺にはあった。
いつもよりずっと混んでるカフェテラスにて、正方形のテーブルを何とか確保した俺は、京子の前にカフェオレのカップを差し出す。
「ん。ありがとう」
俺は今、いろんな意味でめちゃくちゃ緊張していた。いろんな意味でというか、主に四つぐらいの理由で、だ。
まず一つ目の理由。
「あはっ♪ それにしてもホントにお似合いのカップルですよね、お二人って。わたし、憧れちゃいますー♪」
俺が恵んでやったカフェモカを「あざーす」と言って飲みながら、保科さんは小悪魔めいた微笑みを浮かべる。
ちなみに服装はいつもの高校の着崩しブレザーだ。今日のキャンパスには制服で歩く高校生もたくさんいるようなので、上手く溶け込んでいるとも言える。
「もう、あまりからかわないでよ、華乃さん」
「えーっ、そんなこと言って京子さん、いつもわたしの前ではのろけ話しっ放しじゃないですかー」
「ちょ……やめてってば、本当に!」
「あはっ、京子さん顔真っ赤ー! 可愛すぎるんですけどー! ほっぺツンツンしちゃおー♪」
「きゃ……っ、いい加減に……っ、やんっ、ダメだってば……っ」
正方形の四辺のうち、京子と保科さんが向かい合う席に座っている。つまりこうやって何かイチャイチャする美女二人を間で眺める男子大学生の図である。あ、やべ。緊張のあまり、つい保科さんを美女だと認めてしまった。
とにかく、それほどまでにこの状況は心臓に悪いのである。
そもそも保科さんを京子に紹介したのは俺だ。潜入捜査のためである。だから、この二人が一緒にいるのは今に始まったことではないし、俺が望んだことだ。
だが、その二人にプラスして俺がいるというのは実は初めての状況なのだ。それがどういうことなのか、実際ここに来るまで俺は考えもしていなかった。
「……………………」
「んー? どしたんですか、丈太さん。何でそんな黙りこくってるんですか? もしかして美女二人のイチャイチャ見てフル勃起しちゃいました?」
「そんな性癖はない」
「あ、わたしが美女ってこと否定しなかったー! あはっ、いーけっないんだ、いけないんだー、京ー子さんにぃ、言っちゃーおー♪」
「私、目の前にいるけれどね。まぁ、華乃さんが可愛過ぎるのは事実だから今回のところは許してあげることにしましょう」
「きゃーーーーっ♪ さっすが京子さんです、京子さんなら内面重視のミスコン笑でも優勝できちゃいますね!」
……俺は、自分がボロを出してしまうんじゃないかと、めちゃくちゃ不安になっていた。
つまり、保科さんをスパイとして送り込んでいること、京子をセレスティア・ティアラだと疑っていること、それらの証拠をうっかりと京子の前で溢してしまわないかと、ドキドキしている。
もしも、そんなことになったら取り返しがつかない。
俺たちカップルにとって、「セレスティア・ティアラである」ことは、「浮気をしている」ことと同義だ。
つまり俺は彼女の浮気を疑って後輩JKをスパイとして雇っているような男なのである。冷静に考えてみたら、こんな奴マジでヤバい。バレたら絶対愛想つかされる。
そして万が一、本当に京子がセレスティア・ティアラだった場合にも、ボロを出したらまずいことになる。
俺がその疑いを持っていることを知られれば、京子にも対策を取られてしまう。調査がさらに難しくなること必至だ。
よって、VTuber関連の話など絶対にすべきではないのだが、それも簡単ではない。
なぜなら俺は今日、『京子=セレスティア・ティアラ説』に関する問題を解決するためにここに来ているからだ。京子から怪しまれずにその作戦を実行するのは決して簡単な話ではない。
「ちなみにこのタートルネックとスカートどこのやつですかー? ねー、丈太さんはどう思いますー? ファッションだけでも真似すればわたしも京子さんみたいな大人の美女になれちゃいますかー?」
そんな中で、この女が厄介だ。
保科さんは確実に俺のこんな心理状態を理解した上で、この状況を楽しんでいやがる。
作戦実行中の俺と違って、保科さんにとってこれはアトラクションなのだ。俺がボロを出すかどうかも楽しみの一つだし、何ならボロを出すように仕向けてきたっておかしくない気さえする。
……いや、さすがにそれは疑いすぎか。
何しろ今回のこの作戦には危険が伴う。保科さんといえど、京子を危険に晒す状況で浮かれたりはしないだろう。
どうやら、演技抜きで、本当に京子とは仲良くなってるようだし。2週間前に出会ったばかりだとはとても思えないほどだ。
そして、その作戦の危険さ――それこそが、俺の緊張理由、二つ目だ。
俺は今日、この学園祭で、セレスティア・ティアラのストーカー――つまりはあの闇猫とかいうヤバいオタクを、捕まえようと思っている。正直、空振りに終わる可能性が高いとは思っているが、今日、この場にそのストーカー野郎が現れると推理してくれた人物がいるのだ。
そして、そのストーカーをおびき寄せるために、京子を囮に使う。もちろん京子はそんなことはつゆも知らずに、この場にいる。
こんなこと、するべきでないとわかっている。ギリギリまで迷った。
だが、やらないという選択も結局、問題の先送りでしかない。ストーカーが本当に存在するのであれば、解決するまで京子が危険に晒され続けることになる。と、保科さんから説得されて決行に至った。
あと、元から、今年に限って妙に京子が学祭行きたがってたってのもある。俺が来なくても一人で来るつもりだったらしい。そんな状況じゃもう、動くしかない。
「保科さん、あんま触ってやんなよな。京子、くすぐりだとかボディタッチに弱いんだから。って、そんなことよりよ。遅くねーか、協りょ――きょ、今日了解してくれたっていう、保科さんの幼なじみ君」
「了解って何よ」
「いや来ることに了解してくれたんだろ? 保科さんが学祭デートに誘ったら。おっかしいなー、迷ってんじゃねーのか、もしかして」
あっぶねー、協力者って京子の前で言っちまうとこだった。設定上、彼は今日、学祭に遊びに来た、保科さんの幼なじみの高校生に過ぎないのだ。
「デートとかじゃないですし。ただの大学見学です。たまたま志望校が同じだから一緒に来ることになっただけですし」
「うふふ、ねぇ、丈太。聞いた、今の。幼馴染への恋心を認められない女子高生の何の意味があるのか分からない言い訳、可愛過ぎない? これが青春なのね……丈太は初めから私に恋心全開でアタックしてきたから、こんな初々しいものを生で見せつけられたの初めてだわ」
「マジで違いますから。京子さんのくせにわたしをイジるなんて生意気です。……もしあいつの前でわたしがあいつを好きだとか何とか言ったら、今後一生、京子さんに出された宿題やりませんからね」
俺は、ちょっと感動していた。あの保科さんが俺の凡ミスをカバーするために恋する乙女の演技をして、京子の気を逸らしてくれている。ほんのりと頬まで染めて、抜群の演技力だ。
「ねぇ、ちょっと私、悶えてしまいそうなのだけれど。これがエモいって感情なのね」
「決めました、京子さん、くすぐり地獄五分の刑、決定です! マジでやめてくださいよね!」
……いや、え? もしかして演技じゃないの? マジで恋する乙女なの?
……てか、おい。まさかとは思うが、今回のこの作戦云々って、保科さんが大好きな幼なじみ君と学祭デートするための口実だったりしないよね? 俺の人生における最大の障壁をダシにされたりしてないよね?
いやいやいや、この女がそんな乙女なわけないよな。何より、万が一そんな保科さんの私利私欲が絡んでいたとしても、協力者君が考えてくれたこの作戦に意義があるのは確かなわけだし。
うん、そうだ。まずは何より彼と会うことから。会ってみなきゃ何も始まらない。
これが俺の三つ目の緊張理由。作戦実行のための協力者と今から会うのだ。
保科さんの幼なじみであり、VTuber業界、ひいてはセレスティア・ティアラと闇ノ宮美夜に精通しているという、その協力者の推理はこうだ。
まず、闇ノ宮美夜の彼氏バレのきっかけとなった、「まっかろん」というツイッターアカウント、あれがストーカーである「闇猫」のものであるという仮説。
大ファンであるはずの闇猫が、なぜ彼女を炎上させるようなデマを広めたのか。それは、自分以外のファンにも愛想を振りまく彼女を自分の手で引退に追い込み、永遠に自分のものだけにしたいという歪んだ愛情の暴走なのではないか、という説だ。
実際、匿名掲示板において明らかに闇猫と思われる人物が前々からそのような発言を繰り返していたのだという。
そして、何より、「まっかろん」が呟いていた、あの闇ノ宮美夜の小説タイトル。あれを、それより前の時期に闇猫もツイッターで言及していたというのだ。そのツイートは一瞬で削除されてしまって確認できないが、協力者はそれを目撃したことを覚えていたのだという。
元々は闇ノ宮美夜が小説投稿サイトに投稿していた小説だ。ブックマークもつかなかったという不人気作だったらしいが、ストーカーの闇猫であれば、「不人気射精管理小説をネット投稿していた」という闇ノ宮美夜の自虐トークだけで、そこまでたどり着けてしまってもおかしくないのかもしれない。
事実、彼(彼女)には、全く事前予告されていなかった、転生先のセレスティア・ティアラのデビュー配信開始直後に『見つけた』というコメントを残すという驚愕の実績がある。その粘着性と嗅覚は折り紙付きだ。
言ってみれば、あの炎上騒動は、闇猫の自作自演。界隈で有名になったらしい、あの例のStrey catツイートも、純粋なファンを演じるためのものだったと考えた方が、確かに自然だ。素であんな怖い文章を書ける人間が存在するわけがない。
まとめると、「闇猫=まっかろん=ストーカー」という推測である。
そしてその闇猫が、セレスティア・ティアラの大学を特定し、学園祭で実際に会いに行こうとしているのだという。
匿名掲示板でそれを匂わす書き込みを協力者君が見つけ出した。俺も保科さんを通じて見せてもらったが、鳥肌ものだった。相手も自分と会うことを望んでいると本気で思い込んでいる節があるのだ。
その書き込み主が闇猫であるというのも信ぴょう性がある。
同日に彼がツイッターで、
『大学の学園祭って誰でも入れるものなのかなって何となく「独り言」言ってただけなのにクラスの「女子」に「デート?」って聞かれたんだが笑』
と呟いていたのだ。
笑が怖い。どうやら闇猫はセレスティア・ティアラ関連の呟きだけでなく、どうでもいい自分語りなんかも自身のアカウントでよくしているらしい。怖い。意図のわからない「」が怖い。そしてどうやら学生だ。怖い。
もちろん、闇猫が行こうとしている学祭、つまりセレスティア・ティアラの通う大学がここ、○○大であるとは限らない。この時期に学祭を行っている大学なんていくらでもある。
ただ、俺が調査する大学は、ここだけでいいのだ。
なぜなら、俺にとって問題なのは、セレスティア・ティアラの正体が京子だった場合のみだからだ。そうでないのであれば、セレスティア・ティアラには悪いが、闇猫が彼女をストーカーしていようがどうでもいいこと。無関係の俺が捕まえる必要がない。
つまり、「闇猫=まっかろん=ストーカー」だという推理が正しかったとしても、今回のこの作戦自体は空振りに終わる可能性もある。というか、空振りに終わることこそが、一番の大成功だし、そうなることを俺は信じている。京子がセレスティア・ティアラなわけがない。
そして四つ目の緊張理由――これこそが一番俺の心臓を刺激しているかもしれない。
俺は、京子がセレスティア・ティアラなのかもしれないと、その協力者君に伝えている。セレスティア・ティアラに詳しい人間として、実際に対面してもらい、その真偽を客観的に判断してもらいたいのだ。
二人の声が似ているのは間違いない……だが、もう俺には客観的な判断など不可能だ。希望的観測が入りすぎている――と、保科さんから指摘された。
俺からすれば、逆に保科さんは、京子をセレスティア・ティアラだと決めつけすぎだ。そっちの方が面白いと思っていやがる節がある。節しかない。
ならば、中立的な立場である人間に判断してもらえば――というのが、またしても保科さんからの提案だった。
セレスティア・ティアラのファンな時点で完全な中立とは言えないと思うが、まぁ闇猫のようなイカれたストーカーでもない限り、VTuberの声優がどこのどんな人なのかなんて、ファンにとってもどうでもいいことだろう。
ただ、一応、俺の彼女だということは伏せてある。俺はセレスティア・ティアラにストーカーがいるなら退治したいという一介のファンに過ぎない。大学内でたまたま声の似ている女性を見つけて、もしかしたら……と思っている段階――という設定だ。これも保科さんの指示である。
それこそ演者に恋人がいるかどうかなんて何が問題なのかわからないのだが、まぁ気になるファンの方が多いということなら、そうなのだろう。できるだけ客観的に見てもらうためにも、不必要な情報を省いた方がいい。
まとめると、京子を囮にしたストーカー捕縛作戦、そして同時に、京子がセレスティア・ティアラなのかどうかを協力者君に判定してもらう――それが今回の計画の全貌だ
まぁ、正直、同一人物だと思うとか誰に言われたところで、俺は絶対信じないだろうけどな!
最終的に俺が信じるのは、京子と――そして俺自身の頭でたどり着いた答え――それだけだ!
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