第22話 阿久津純、致命的なミス(前編)
あの奇跡の再会から3か月が経った。
セレスティア・ティアラと名前を変えても、彼女に対する僕の気持ちは変わらない。いや、名前や見た目を変えてまでまた会いに来てくれたという事実が、この気持ちをさらに大きくさせる。
そう、ティアラは、僕に会いに来てくれたのだ。
これは妄想だとか思い込みなんかじゃない。ティアラ自身が、はっきりと僕にそう伝えてくれた。
あのデビュー配信の直後、僕のツイッターアカウントに送られてきたダイレクトメッセージ。それは、作られたばかりの、新人VTuberセレスティア・ティアラのアカウントから届いたものだった。
――突然の連絡すみません。
――闇猫さん、いつも応援ありがとみゃ!・・・って、この挨拶はもう使えないんですけどね。
――見つけてくれてありがとう。わたしもデビュー配信で闇猫さんの姿を見つけて、思わず泣きそうになってしまいました。初めてのコメントも闇猫さんにもらえて、少し恥ずかしかったけど、でも、あの瞬間をわたしは一生忘れません。
――これまで闇猫さんにもらったプレゼントやお手紙も、全てわたしの大切な宝物です。
――そして何より、闇猫さんの「信じる」という言葉がこれ以上なく嬉しくて、本当にわたしの支えになっています。
――返信はいりません。
――みんなのアイドルとして、特定の誰かにこんなメッセージを送ってはいけないとわかってます。でも最初で最後、これだけはどうしても我慢できませんでした。伝えさせてください。
――信じてくれて、ありがとう!
――あなたのStrey catより。
号泣してしまった。
ティアラを見つけ出し、踏み出してくれた第一歩を見守って、その間の僕は、半ば放心状態だったのだと思う。ずっとフワフワとしていて、夢の中にいるようで、喜ぶことすら忘れていた。
そんな時にあんなメッセージが届いたものだから、溜め込んでいたものが急に沸き上がってきて、沸騰して、何かが決壊したかのように、あらゆる感情が溢れ出てしまったのだ。
ありがとうは、こっちのセリフだった。帰ってきてくれてありがとう。可愛いままの君でいてくれてありがとう。信じさせてくれて、ありがとう。
それらの言葉は、これからまた、君との逢瀬であるライブ配信の時に、たくさんたくさん、いろんな形で伝えさせてもらうよ。
そう誓ったあの日から3か月。僕とティアラの間にはいろんなことがあった。
まず、ティアラが美夜の生まれ変わりだということは、熱心なVファン、そしてアンチの間ではすぐに広まってしまった。時間の問題だとは思っていたけど、見立て以上に早い広まり方ではあった。
あんな酷いデマを僕以外の人間が信じてしまっているということもあり、ティアラも闇ノ宮美夜であった過去を知られたくはないようだ。
転生を示唆するような視聴者のコメントは消去されたり、そもそもNG設定されているワードもあったりする。
また、噂が広まっていくにつれて、自らの声を少しずつ変化させているのが、ずっと見守ってきた僕には分かる。
ティアラは闇ノ宮美夜を卒業し、真の意味で、セレスティア・ティアラになろうとしている。
どんどん美夜の声から変わっていってしまうのには寂しい思いもあるけど、ティアラが自分で決めたことなら、僕は応援するしかない。
転生という事実が広まってしまったといっても、あくまでも、かなりコアな、言い換えれば少し厄介なオタクの間での話だ。視聴者の8割以上は過去のことなど知らないだろう。その8割が抱いてくれるイメージを守ることの方が大事だというのは、僕にも理解出来る。
そんな努力の甲斐もあってか、苦難にも負けず、ティアラの活動はすこぶる順調だった。さすがに中堅事務所に所属していた美夜の頃までとは言えないけど、個人勢Vとしては既にかなりの人気を獲得している。
デビュー前に全く宣伝などをしていなかったことから、自己プロデュース能力に関しては少し心配していたのだけど、それも杞憂だったようだ。デビュー配信後はツイッターなどの宣伝ツールも有効に活用出来ていると思う。コメント欄やツイッター上での僕のさりげないアドバイスが役に立ってくれたのだろう。
……ティアラを独り占めしたい気持ちがあったのも正直事実だけど……。そんなことよりやっぱりティアラが輝いてくれることが一番大事だ。まさに「ティアラ」の「ティアラ」のように……。
「やばい、この表現めっちゃ良いな。いつかコメントとかで使えるようにメモしておかないと」
メモアプリを開こうとして、しかし手が止まる。目に入ってきたのは、さっきまで巡回していたツイッター。
「…………くそっ」
思わず、机に拳を叩きつけてしまう。
無視すればいい。初めからこんなの見ようともしなければいい。それが賢い生き方だと分かっているのに、どうしても見過ごせない。
ネット上には、未だティアラの、つまりは美夜の、彼氏バレというデマに関する中傷や揶揄の言葉が溢れているのだ。
ティアラのような素敵な女の子にどうしてそんな言葉を投げつけられるのか。直接本人に投げさえしなければ、誰でも目にできるような場所に書き込んでいいとでも思っているのか――とかどうとか以前に。それ以上に。
どうして、ティアラのようなウブな女の子に彼氏がいるだなんて嘘を、信じられるのだろうか。
馬鹿すぎる。あまりにも幼稚だ。きっと現実で女友達もいないような奴らなんだろう。
僕はティアラのために使う時間が大事だからクラスの女子に話しかけられたりしても付き合ったりとかしてないけど、こいつらは女子に話しかけられたこともないからアニメの中のキャラを基準にして女性を判断してしまうのだ。
ティアラを見て、「下ネタが好きだからビッチだー」とか得意げに言っちゃうんだろうな。小学生かよ。だいたい人のことビッチとか言っちゃう時点で人間性終わってるし。
ティアラみたいに下ネタ言うのが好きな女の子ほど、実生活ではウブだったりするもんなんだよ。実際に男を目の前にしたら怯えて逃げちゃうような女の子なんだって、ティアラのこと見てたら分かるもんだけどな、普通。
アンチや元ファンの見識の狭さに、本当に腹が立つ。こんな汚い言葉でティアラを傷つけていることが絶対に許せない。
だが、一番許せないのは。そもそもとして。
「あいつだ……あの卑怯者……!」
ティアラに――美夜に彼氏がいると誤解されるきっかけとなったあのツイート……あれを残した正体不明の、自称美夜の友人、『まっかろん』だ。もちろん本名ではないだろう。
僕はあれを、美夜に嫉妬した女友達の、意図的な嫌がらせだったと見ている。
女子に話しかけられる僕だから分かるが、女子の友情というのはとてもドロドロしているものなのだ。きらら系アニメのような百合百合とした友情など、教室のどこにも見当たらない。
実際、奴は狡猾だった。あんなデマ攻撃を一方的に仕掛けておいて、その直後にアカウントを消してトンズラだ。
無言でアカウントを消すというまでの行動は、テンパってしまったが故という説明でも納得出来る。でも、嫌がらせのつもりじゃなかったのであれば、その後にアカウントを復活させるなりして、誤解を解こうとすればいい。
もちろん、VTuberを馬鹿にしたいだけのアンチ連中には何を言っても無駄だろうが、ファンの一部は、その弁解を、つまりはティアラの潔白と純潔を、信じることが出来たはずだろう。
やはりあのツイート主は、意図的にデマをばらまき、美夜を貶めたのだ。
そしてそんな存在が、今もまだ、友人面してティアラの身近に潜んでいるのかもしれない。
あの純粋できらら系アニメの女の子のようなティアラが、友人のことを疑ったり出来るわけがない。ただでさえぼっちで社交性がない女の子なのに、数少ない友人を切ったりなんて出来なくて仕方ないだろう。
こんな状況を、見過ごしていいのだろうか。
僕は、ティアラを守りたい。
犯人を見つけ出して、どうしてあんなことをしたのか真相を暴き、彼氏なんて嘘だったとみんなに広めてやる。誤解を解いて、ティアラが、そしてティアラを信じ続けた僕が正しかったのだと、証明してやりたい。
嘘で中傷され続ける悔しさと、身近に裏切り者が潜んでいる恐怖から、ティアラを救い出さなきゃいけない……!
「……でも、どうすれば……」
問題は、解決の糸口がどこにもないこと。犯人がツイッター上から姿を消してしまった以上、手掛かりなんて見つけようがない。
このままじゃ僕は、「ティアラ」に「ティアラ」を付けてあげられる、王子様になれない……!
と、頭を抱えそう(ティアラだけに)になった、その時。
「……何だよ……」
鳴動するスマホに表示されているのは、センチメンタルな今の僕が一番見たくなかった漢字二文字。繁華街の『華』に、乃木坂の『乃』。
くそぉ、一応行ったことあるのに僕に馴染みのない場所と、行ったこともないのに何故か馴染みのある地名が組み合わさっていやがる。
無視すると直接襲撃されてしまうので、仕方なくその着信に応答すると、
『シコってたー? あはっ♪』
僕は通話を切った。
またかかってきた。
仕方なく出た。
「何だよ……」
『わたしのえちえちボイス、オカズにさせたげよーと思って♪』
保科華乃は科を作ったような声でそう言ってくる。
くそぉ、こいつ、僕への嫌がらせのためだけにアニメ声まで出せるようになってやがる。思いっ切り好みに刺さってしまいそうなので、僕は自分の耳孔に対華乃専用フィルターを取り付けるイメージをした。
当然これまでの人生においても、華乃にいくら話しかけられようと、女子に話しかけられた回数にはカウントしていない。そもそも女子だと認識していない。認識したら負けなのだ。発情しようものなら終わりなのだ。認識された瞬間に認識されたと気付き、発情された瞬間に発情されたと勘付く。そしてそれを材料に、気まぐれで僕を料理し、味見もせずにディスポーザーへ放り捨て、大笑いする――そんなクソビッチなのだ、こいつは。
一瞬でも隙なんて見せてはいけない。僕をおもちゃにするためこいつがどんな手を使ってくるかなんて、予想しても意味がない。逆効果だ。裏をかかれるだけに決まってる。
甘い声の囁きも、無防備に晒された肌も、脳がとろけるような匂いも全て、心のフィルターによって問答無用でシャットアウト――それだけが、僕にできる唯一にして最強の華乃対処法なのだ。
「シコってないし、必要ないし」
『えー? でも電話越しでもイカ臭いんだけどー?』
「それは君がセフレを手コキした手でスマホ触ってるからじゃないかな」
『あー、そーゆーこと言っちゃうんだー。せっかく良い情報仕入れてきたのになー』
「いらん。何故なら君が持ってきた良い情報はことごとく僕の脳を破壊してきたから」
『勝手にあげちゃう♪ なぜなら面白そーだから♪ 闇ノ宮美夜を引退に追い込んだ、例の彼氏バレツイート投稿した女の大学特定しちゃった♪ ○○大学♪』
「は……?」
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