第3話 黒髪ロング清楚で俺に絶対的な信頼を寄せてくれる完璧彼女

「なぁ、京子。最近どうだ?」

「何よ、藪から棒に……棒読みが過ぎるわ」


 京子はめちゃくちゃ怪訝そうに眉根を寄せていた。くそぉ、精いっぱいの何気なさだったのに。


 午前10時前。築30年、4階建てアパートの1階角部屋。俺の住む1Kで、今日も俺と京子は大学の講義が始まるまでの時間潰しをしていた。


 ローテーブルを挟んで俺の正面に座る京子は、こんなボロアパートには場違いなほど美しい姿勢でお茶をすする。もちろん湯呑みは俺とお揃いである。


 白石しらいし京子きょうこ。大学に入学してすぐ基礎教育のクラスで出会い、半年間アタックし続けた結果、俺が人生で初めて交際することになった女性。長い黒髪が似合う、理知的で凛とした大和撫子だ。

 恋人として愛しているだけでなく、いつだって気高さを感じさせるその立ち居振る舞いを俺は人間として尊敬している。


 そんな京子に、俺はいま疑念の目を向けて、そして訝しげな目を向けられている。


 京子は子猫柄の湯呑みをゆっくりと卓に置き、


「今日の丈太じょうた、少しおかしい。そわそわし過ぎよ。何か私に隠しているわよね」

「え」


 俺の目を真っすぐと見つめ、神妙な雰囲気で尋ねてくる京子。


 京子をこの部屋に招き入れてから20分。こっちが探りを入れる立場だったはずなのに、俺が話を切り出せずにいる内に、なぜか攻守が入れ替わっている。


「いや、別に隠してるとかそういうんじゃなくてな……」


 しどろもどろになりながらも何とか言葉を絞り出す。


 冷静になろう。

 今日は別に核心を突くような質問をぶつけるつもりはないんだ。そんなことをしても上手くはいかないだろうし、俺の心の準備もできていないし。


 今、俺が京子に対してやらなきゃいけないことは決まってる。

 昨夜、あいつと立てた計画通りに動くだけだ。


 よし、覚悟は決めた。


「京子」「丈太」


 全く同じタイミングで恋人に呼びかけてしまった俺たち。


「私からでいい?」

「え、あ、ああ」


 こういうとき、頭の回転が速いのは圧倒的に京子の方だ。俺は予め想定していた話の流れが少しでも狂うと、軌道修正できない。脳がフリーズしてしまう。

 俺は自分を賢いと思って生きてきたが、京子といると自分の無能さを思い知らされることが多々あって少し悔しい。


 でもそんな俺を京子は決して下に見ることなく、対等な存在だと認めてくれながらも、俺が情けない姿を見せたときには、いつもこうやって温かい眼差しで包み込んで、


「この部屋、知らない女の匂いがするわ。あと、ほら。長くて細い金髪が落ちているわね。うん。私以外の女、部屋に入れたでしょう。昨日の夜?」


「え。あ、おう」

「え。あ、おう、じゃなくて」


 昨夜、駅前で俺に「協力」を申し出てきた保科さんを、俺はこの部屋に招き入れていた。ていうかあの女が勝手に付いてきた。強引に押し入ってきた。


 そして、俺の彼女である京子が一体何を隠しているのか、はたまた俺の思い違いなだけで隠し事などないのか――それを調べるための作戦を立てたのだ。ていうかあの女が勝手にいろいろ案を出してきた。やけに楽しそうだった。


 まぁ、でも最終的にその中から一つを選んで、ゴーサインを出したのは俺自身だ。俺と京子の問題において、最終決定権を俺と京子以外に握らせるつもりなど毛頭ない。


 だから、この作戦において何か想定外の事態が起こったのなら、責任を持ってそれに対処すべきなのも、当然俺なのであって。


「いやいやいやいや、え? いやいやいやいや。嘘だろ? ちげーよ、京子。まさか何か勘違いしてんのか?」


 晩秋だというのに、俺は汗だくになりながら必死で否定した。京子が抱いているのであろう、とんでもない疑惑について!


「……つまり、あなたは、昨晩女性をこの部屋に入れはしたけれど、やましいことは何もないと言いたいのね。でも、あなたにお姉さんや妹はいないはずだし。お母様は黒のショートカットなわけだし」

「うん、家族とかじゃなくてな。あれだよ、ただのバイトの後輩。駅まで送ったついでにちょっとした相談に乗ることになってな」


「…………」


 お手本のような姿勢のまま、ジトっとした目を向けてくる京子。

 え? 俺、そんなにおかしなこと言った? 相談されたのが俺側だというちょっとしたフェイクは入ってるけど、その他は事実通りを伝えただけだぞ?


「京子、まさか本気で疑ってるのか? 俺が、浮気をしたって?」

「そんなわけないじゃない」


 京子は表情も変えずに即答する。淡々とした口調。動揺めいたものは全く感じ取れない。


「丈太が今説明してくれたことを、私は全面的に信じるわ」

「そっか。よかった……」

「でも、少しだけ考えてほしいの」


 安堵する俺に向かって、京子は諭すように語り続ける。


「私は丈太のことを信頼している。相談に乗るために女性を部屋に入れたのなら、相談に乗る以外のことなんて絶対に何もしない。その女子高生とは、間違いなくただのバイト先の先輩後輩の関係なんでしょう」

「う、うん」

「ただ、想像力を働かせてみて。逆の立場になってみて。私が、ただのバイト先の後輩である男子高校生を自分の部屋に招き入れている場面を想像してみて」


「…………」


 想像してみてと言われたので、素直に想像してみる。


 京子の部屋に、男……父親を除けば、男では俺しか足を踏み入れたことがないはずの聖域にチャラついた男子高校生の汚い足が……京子側はただのクソガキだとしか思っていないのに、相手の男は京子をギラついた目で見ていて……

 あっ、おい、クソガキ! お前今京子のベッド見て生唾飲み込んだよな! おい、馴れ馴れしく名前呼んでんじゃねぇよ、俺の、俺だけの京子だぞ!

 おい! おい! それ以上近づくな! は? おい、いい加減に……、やめろ、お前、何して――!


「うぅ……!」

「ええー……想定していたリアクションを遥かに超えてきた……やり過ぎてしまったわね……」


 頭が真っ白になり、床が抜けて暗闇に落ちていき――視界がブラックアウトした俺は、頭を何か柔らかいものに打ち付けた感覚で、ハッと意識を取り戻す。

 一瞬失神して、倒れこんでしまっていたようだ。


 目の前には、申し訳なさそうに俺の顔を覗き込んでくる、恋人の可憐な小顔。スベスベな太ももの上で俺の頭をそっと擦ってくれる、柔らかな手。倒れた俺の頭をとっさに受け止め、膝枕してくれていたようだ。


 ああ、この人は、こんなクズの極みみたいな男を、まだ見捨てないでいてくれるのか……。


 そんな彼女に、俺が今、示せる誠意は、


「京子……俺を……刺してくれ……」

「さすがに凶器は……ビンタで我慢してほしい」


 俺はビンタで我慢した。とても痛かった。とても嬉しかった。たぶん京子はその人生で膝枕もビンタも俺にしかしたことがないし、これから先の人生でも俺以外に膝枕もビンタもしないだろう。ていうか俺がさせない。膝枕もビンタも、京子の全ては俺だけのものなんだ……!


「うぅ……ごめんよぉ……浮気してしまった……」

「いや、だから浮気だとは思っていないってば」

「でも俺はこの先、京子が男を部屋に上げただけで浮気扱いするぞ……! 絶対に許さないぞ……!」

「先に言っておいてくれて助かるわ。まぁ、どちらにせよ、そんなシチュエーションなんて起こり得ないのだけれど。そもそも、彼氏のあなたを家に呼ぶだけで一悶着あったことを忘れたわけではないでしょう?」


 確かに、あれは大変だった。


 京子は都内の実家で家族と暮らしている。裕福な家庭で、両親はなかなかにお堅い。娘思いが故になかなかにお厳しい。

 さすがに大学生にもなって、男女交際自体を禁止したりするようなことはないが、彼氏である俺やその付き合い方を見定めようとする目はやはり厳しかった。まぁ、俺も一歩も引かなかったがな! お父さんも昔は鍛えてたことが窺える体つきだったけど、今は俺の方が上だ!


 そんなこんなで京子の恋人として正式に家族にも認められた俺だが、家にお邪魔するのは未だに結構ハードルが高い。京子の部屋に入ったのなんて俺ですら一度だけだ。クソガキチャラ男なんてつま先1ミリ入れさせてたまるかよぉ!

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