第2話 浮気疑惑

 バイト先のコンビニから最寄り駅まで徒歩20分程かかる。まぁ、なるべく客入りが少なくて楽そうな店を探した結果なので仕方ない。

 が、それはその駅周辺に住んでいる俺だからこそ妥協できる点なのであって。


保科ほしなさん、コンビニバイトのために電車で通ってんの? 知らんかったわ」


 隣を歩く小さな女子高生に問いかける。

 北関東の男子高出身の俺にとって、夜の東京の住宅街を制服ギャルと歩いているのは何とも不思議な気分だ。


「んー? 言っても通学で使ってる電車を途中下車するだけですし?」

「にしたって、もっと良い選択肢あるもんなんじゃねーの、東京って」

「うーん……。あー……まぁ、丈太じょうたさんになら言ってもいっかー」


 保科さんにしては珍しく、何かを言いよどむような様子を見せる。どうでもいいが、10月下旬だというのに生足丸出しで寒くないんだろうか。


「実はオーナーが叔父なんですよねー。で、そもそもうちの高校、バイト禁止で」

「あー、そういう……」


 その二つの情報で何となくの事情は察せられた。まぁホントに何となくでしかないのだが、俺は全部理解したような顔をしておく。


「そそ。ここらでのバイトなら学校にバレることもないだろし、万が一バレたときは親戚のお手伝いですよってテイで通すつもり。親も叔父さんの店以外じゃ許してくんないし、叔父さんも人手不足で困ってたみたいだから、まぁ、ウィンウィンってやつです?」

「そんなことだろうとは思ってたよ」

「あ、これ、わたしたちだけの秘密ですよ? 身内びいきされてるーみたいにパートのおばさんたちの間でなったら、わたしも叔父さんもめんどいんで。全く身内びいきとかされてないのに」

「わーってる、わーってる」


 あっぶねー、明日にでもバビさんに話してるとこだったわ。あの人、パートのおばさん連中にも気に入られてるからな。俺の彼女の情報もバビさんからおばさん経由で即、店中に広まってたわ。常連のファミチキおっさんにまでイジられたわ。


「ま、その結果として駅まで送ってくれなんて言ってるようじゃ仕方ねーけどな。言っておくが、俺もそんな暇じゃねーからな? 毎回送れるわけじゃねーぞ?」


 そもそもシフト被らないことも普通にあるしな。


 しかし、保科さんは意地悪げに目を細め、わざとらしくプっと噴き出し、


「送ってくれなんて口実に決まってるじゃないですかー。うぷぷ、丈太さんって純粋なんですねー。そんなんだから彼女さんに隠し事されるんですよ?」

「うるせー、わかってるわ。どうせ何か頼み事でもあんだろ」


 ホントは何もわかってないが。

 まぁ、でもアレだろ、しょせん青臭いガキだからな。同じ高校生バイトの馬場君が気になってるんですよーみたいな恋愛相談的な――え?


「は? 保科さん、今、何て?」

「あは♪ あんな狭い事務所ですからねー。彼女さんとしてるラインの画面、結構見えちゃってたんですよねー」

「マジかよ……」


 いや絶対意図的に覗いてた部分あるだろ、それ。


「で、それが原因で最近の丈太さんは精神的に参っちゃってるわけですねー」

「最近のって、そもそも最近の俺しか知らねーだろ、君は。先月入ってきたばっかなんだから」

「はいはい、話逸らさないでくださいっ。わたし、そーゆー男女のゴタゴタみたいなの大好きでー。ぜひぜひ話聞かせてもらいたいなーって、ずっとチャンス伺ってたんですよねー」

「……ゴタゴタって何だよ。京子きょうこは別にそういうんじゃ、」

「あ、京子さんってゆーんですね、彼女さんのお名前。綺麗な名前ですねー」

「あーそうだよそうだよ。清楚で高潔なあいつにピッタリな名前だよ。別に隠してねーし。むしろ、あんな彼女とラブラブなことを自慢しまくりたいくらいだわ。バイト先のお子様連中には刺激が強いから控えてるだけだし」

「あーあー、のろけちゃって。でも、それだけ惚れてたとなると、やっぱり彼女さんの浮気疑惑はショックでかいですよねー。わかりますわかります♪」

「はぁ!?」


 浮気、だと……?

 京子が浮気してるだなんて、この女は宣ってやがるのか……?


「だってそうじゃないですかー。最近、夜、一定の時間帯に連絡が取れなくなったり、一緒に過ごしていても何かを考えてて上の空だったり、昔はむしろスマホに夢中な丈太さんを注意してたくらいなのに近頃は京子さんの方が常にスマホを気にしていたりとか、いつの間にか京子さんの趣味ではないような私物が増えていて、いつ買ったのか尋ねてもはぐらかされたり、みたいなことが増えたわけですよねー? それって典型的な浮気の兆候じゃないですかー」


「ぐぅっ……」


 こいつ、どんだけ俺と京子のラインのやりとり覗いてたんだよ。


 でも、確かにそれらは事実だ。

 大学1年で付き合い始めて1年半ほどたったころ、つまり半年ほど前から、京子の様子がどこかおかしい。常にどこかそわそわとしている感じだ。

 俺に何か隠している――それは間違いないのかもしれない。


 だが――


「はっ。そんなわけねーだろ」


 だが、少し考えただけで、俺はすぐ冷静さを取り戻せた。


 あの京子が、浮気? 俺を裏切る?


 絶対に、あり得ない。

 俺は京子を信じてる。京子も俺を信頼してくれている。

 疑うこと自体、京子に対する背信だ。

 

 俺は余裕の笑みを作って、本物の愛を知らぬガキに説法してやる。


「いいかい、保科さん。大人の恋愛ってのはな、何でもかんでも言葉で伝え合ったりするもんじゃないんだよ。大人の京子はその辺の機微ってもんをわかっているのさ」

「それは言葉がなくても理解し合えるから、という話ですよね。でも、京子さんが黙っていることを丈太さんは何も理解できてなくて悩んでるんじゃないんですか?」

「うぐぅ……! い、いや、それはさ、ほら。相手を思うが故に、しばらく伏せておく事情みたいなもんが、大人にはあるものだからね。それは裏切りだとか嘘だとかとは、本質的に異なるものだからね。うん」

「全然わかんないんですけど」

「うんうん、仕方ないよ。君は子どもだからね」

「じゃあ、例えば何ですか? その、京子さんが丈太さんのために敢えて伏せている事情って」


「…………」


「丈太さん?」

「……ほ、ほら、もうすぐ付き合い始めて2周年だから……サプライズ的なものを企画してるとか……」

「ふっ――ふっ、ふふ……!」


 絞り出した俺の回答に、クソガキは肩を震わせ必死で笑いを堪えている。クソガキ中のクソガキである。


「サプライ、ズ……っ……あはっ♪ 発想がもう子どもすぎるじゃないですかー! さすがクソガキ先輩♪」


 うるせぇ。サプライズなんだ。絶対そうなんだ。半年も前から2周年記念のために準備してくれているに決まってるんだ。


「まぁ、丈太さんがそれでいいなら別にいいですけどね、わたしは。興味本位で聞いただけで、別に関係ないですし。うん、いいんじゃないですか、永遠に訪れないサプライズパーチー笑を待ってれば」


 保科さんは呆れたようにため息をつき、本当に興味を失ったかのように、スタスタと歩を進めていってしまう。


 何かこう、いきなりそう突き放されると、それはそれで嫌な気分だな……。


「いや、待て待て、保科さん。何だよ、さっきからその思わせぶりな言いぐさは。会ったこともないくせに、本気で俺の彼女が浮気してるだなんて思ってんのか?」


 慌ててそう声をかけると、保科さんはピタッと足を止め、俺が追いつくのを待ってから、


「浮気とは限りませんけど、何か隠してる可能性は高いんでしょ?」

「まぁ、プレゼントとか選ぶの俺も結構悩んだりするし……」

「あっそ。でも、そうですね。あながち、彼氏の丈太さんのためを思ってってのは、ない話じゃないかもですね。女心的に。何か深刻な悩みがあるけど、丈太さんに迷惑をかけたくなくて相談できない、とか?」

「……まぁ……確かに」


 あり得なくはない……少なくとも浮気よりはずっと可能性が高いはずだ。


「例えば、何か体調に問題があるのかもしれませんし」

「何だって!? 京子に病気が!?」

「例えばって言ってんじゃないですか……夜の住宅街で大声出さないでください。あとは、そうですね。対人トラブルだとか、いくらでも可能性はあるでしょう」

「いや、でもそんな他人と揉めるような人間じゃないだろ、京子は」

「知らないですよ、京子さんのことは。会ったこともないですもん」


 さっきまで会ったこともないのに浮気とか言ってただろうが。


「でも、丈太さんだって人のこと言えないんじゃないですか? 大学で出会って、付き合い始めて約2年ってことなわけっしょ? 彼女さんの人間関係全部把握なんてしてるわけないですよね?」

「そりゃ、俺は恋人の人間関係を根堀り葉掘り聞き出すような束縛彼氏じゃないからな。お互い信頼し合ってるからな。大人の恋愛関係だからな。スマホやパソコンチェックするのもちゃんと我慢してるし」

「あ、そっすか。まぁ、だから、家族間だとか、旧友とだとか、バイト先でとか、元カレととか、何かいろいろあったっておかしくないでしょって話です」

「元カレとかいねーから。元カレとかいねーから。元カレとかいねーから。元カレとかいねーから」


 うっ、ダメだ。京子には元カレどころか男友達すらいなかったことはわかっているのに、ちょっと想像しただけでも頭がクラっとする。そんなわけねーのに。京子の初めては全部俺のものなのに。


「レとかいねーから。元カレとかいねーから。元カレとかいねーから。元カレとかいねーから。元カレとかいねーから。元カレとかい」

「すみません、わたしが悪かったんで一旦落ち着いてください。呼吸と瞬きを再開してください。あまりにも怖すぎます」


 保科さんの往復ビンタで我に返ると、辺りが騒がしくなっていることに気づく。

 いつの間にか駅にまでたどり着いていたらしい。


「ではでは。送迎と面白いお話ごちそうさまでした。また次のシフトで」

「うぅ……こいつ心理攻撃と物理攻撃の両面で俺の脳に損傷を与えておきながら、よくもこんなしれっと……」

「何ですか、元々わたしは相談に乗ってあげようと思ってたのに、丈太さんの方が拒んだんじゃないですか」

「相談って、野次馬根性で首突っ込んできただけだろ」

「相手を思って相談に乗ることと興味本位でゴシップを楽しむことの二つが、女子の中では両立するんですよ。そして得てして現実では、探偵よりもゴシップ誌の方が事件解決に貢献したりするものです」

「……なるほど、な」


 何だこいつ、ギャルのくせに含みのあるような顔で持って回ったような言い方しやがって。何が言いたいのかさっぱりわからんわ。何か悔しいから、わかったような相槌打っておいたけど。


「つまりですね、丈太さん。せんぱいが望むなら、京子さんが隠していることについて、わたしが調査に協力してあげるってことですよ♪」

「…………はぁ?」


 保科さんはギャルに似合わぬ猫なで声で、歌うようにそう言った。

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