第3話 二日目
仕事を終え、職場から帰宅して一人途中で買ったコンビニ弁当の夕食を取る。まぁ普通に一日が終わる感じだ。昨晩の銀色の一件で若干睡眠不足ではあったが、それでもそれなりに業務はこなした。例え先が見えているとしても、勤務終了の日までは仕事と誠実に向き合いたいと思っていた。ろくでもない人間を自覚しているおれだが、せめてそういう部分はきっちりしておきたい。
ゲームで遊んでいるうちに深夜となり、あとは寝るだけだというタイミングで来客を知らせるブザーが鳴った。
ん?と思う。オートロックのこのマンションの、一階のエントランスにある来客用インターホンからのブザー音とは違う。ということは、既にマンション内に入ってきた人間が直接玄関ドア脇の来客用ボタンを押したということになる。
つまり、これはおれが事前に把握できる種類の来客ではない。マンションの住人か、住人の誰かがマンション内に引き込んだ人間が、おれの部屋のブザーを押したのだ。
ならば居留守である。
だいたいもう二十二時を過ぎようという時間に、誰であれ応対する義務などあってたまるかとおれは思う。宅配便の時間指定だって二十一時までだぞ。
再びブザーが鳴る。おれは息を潜めてそろりそろりと玄関に向かい、覗きレンズに目を当てる。これって向こうからも見えるんだっけ?などと余計なことを考えながら。
はたして扉の向こうにいるのは昨日の銀色だった。確かに少しは早い時間だ。
おれはため息をついて扉を開けた。
「こんばんわ」
銀色が明るい声色でそう言った。
「……どうも」
「昨日のお話の続きをしに来ました。入ってよろしいか?」
「オーケー」
おれは諦めて銀色へ部屋に入るよう促した。壁のスイッチを押して居間の照明を点け、銀色はソファへ深々と腰を沈める。おれはその向かいのソファに座った。
「やはり地球はいい。鮮やかな自然、多様な命に溢れた水の星」
「やはり?」
「宇宙のあちこちに地球と呼ばれる惑星はある。銀河の辺境に発生しやすい環境のようだ」
あれかな、収斂進化みたいなものかとおれはぼんやり考えた。隔絶された大地で繁栄した有袋類たちの楽園。そこには独自の生態系が築かれてはいたが、生き物としてのシルエットは他大陸の動物に酷似したものが多かったはずだ。
「しかしこんな美しい惑星が今、危機に瀕しているんだ」
少し芝居がかった口調で銀色は言う。
「そして君だけが、この星を狙う魔の手から全てを守れる」
「魔の手」
「宇宙は混沌だ。生命体の概念すら不確定で、そこには明確な正義も悪も存在しない」
改めて見ると、やはり銀色はおれがテレビで見るウルトラマン類のように見えた。これは偶然なのか、それとも判りやすいようにそう見せているのか。
「だが、無用に他者のテリトリーや命を奪う行為は許されない。生存のためという最低限の理由さえなければ、それは悪と断じて良い」
「悪」
「そう、悪だ。そして例え高度に発達した文明であっても、そのような悪の心を完全に消し去ることはできない」
「できないのか」
おれは少しがっかりした。
「そして今、そんな悪の心によってこの惑星が狙われている」
「どうして?」
「理由はわからない」
えっ、とおれは心の中でズッこけた。なんだそりゃ?
「連中は毎回これ見よがしに破壊をする。銀河の文明会議が出動させた防衛隊が連中の攻撃を防ぐ。基本的にはそういう戦いをもう何万年も繰り返してきた」
スケールのでかい話だが、まぁウルトラマンの話もそんな感じのバックボーンがあった気がするのでさほど意外でもないかとおれは思った。しかしだとして、この奇妙な符合はなんだろう?
「今回は予告があった。これはわりとレアケースなのだが……君の住むこの地球がターゲットだ。そしてこの星はまだ我々星間会議のメンバーではない」
「宇宙人の実在すらまともに信じてはないからね」
「会議の中で、この惑星をメンバーに加えたらどうかという話も出た。だが」
「わかってる」
おれはひとつため息をついた。
「この地球には、統一された政府がない。つまり交渉相手になる組織が存在しない」
「その通りだ」
銀色は首を軽く回した。こいつらも肩こりをするのだろうか?
「正式なメンバーでなければ防衛隊は出動できない。正式メンバーに入れるための準備もまだこの惑星にはない。しかし連中はそんなことはお構いなしだ」
「違うと思うよ」
銀色ははっと顔を上げた。
「むしろそういう状態だからこの星を狙うんじゃないか?何万年も正規ルートで欲求不満を続けてきて、ならもうルールの適用外な場所で思いっきり暴れようって話じゃないかね」
そんな律儀な悪がいるもんか、とおれは思いつつ言った。ルールの範囲内だけで暴れようとか馬鹿じゃないか?
「なるほど、そういう理屈もあるのか」
おいおい納得してるよとおれは内心呆れたが、ひょっとして文明なり社会なりが高度に発達した先に【善意】が土台にある世の中があるとしたら、おれのような穿った見方をすることがマイナーになることも有りうるのではないか?だとしたら、その連中とやらを隠れ蓑に使って本当の【悪】を企む奴もいるんじゃないか?
「とにかく、防衛隊は出動できない。しかし連中の無法は許せない。許してはならないのだ。そこで、現地の生命体に力を与えて自らの星を守らせようという話が持ち上がったのだ。さあ、光を受け入れて力と永遠の命を手にし、運命と戦おうじゃないか」
「やなこった」
「え」
銀色がまたぴたりとその動きを止めた。
「……普通こういう時はOKするものではないのか?」
「普通はそうだろうね。つまりおれは普通じゃない」
「……言っている意味が理解できない。この惑星が滅びるとはつまり、君も君も大切な人たちも全て消滅するということだぞ?」
「いいんじゃない?」
「何がいいんだ」
銀色の言葉に明らかな怒気が宿った。
「君だけがこの惑星を救うことができるんだぞ?この惑星に住む全ての生命を、自然を、愛すべき人々を永遠に守ることができるんだぞ?」
「救ってどうするんだい」
「え」
別におちょくるつもりはないのだけれど、この銀色の反応は新鮮で面白かった。
「おれは未来とやらに期待なんかしてないんだ。すっぱり終わるなら、それはそれでいいんじゃないか?それとも何かまだ、この地球を守らなくちゃならない理由があるっていうのかい?」
「つまり、その」
銀色はあからさまに困っていた。表情のないはずの顔が焦って見える。
「愛、だ」
「愛」
またとんでもないフレーズを持ち出してきたものだとおれは思った。
「そう、愛だ。君も文明を持つ星の住人なら、君の生活が全て君自身の力で成り立たない事くらいは理解できるだろう。そんな仕組みを、そんな環境を守ろうとするのは、それは愛だ」
「だとしたらきっと、おれはそこまではこの星を愛していない」
銀色はびくっと身をすくめ沈黙する。
「今言った通りに、おれはもうこの先の未来とやらに希望なんか持っちゃいない。後はもう死ぬだけで、何も残せないし何も残さない。
白状すると、おれはもう何年も前からとっとと死んでしまいたいと願っていて、それでも自殺をする勇気も度胸もないからだらだらと生きてきたんだ。夜寝る前にいつも思うんだよ、少なくともここまでの生活はそれなりには幸せだったから、このまま寝ている間に死ねたらもっと幸せなんだと。できれば目が覚めることがないといいなと願いながらおれは眠るんだ」
「それは虚無だね」
銀色は静かにそう言った。
「そんな虚無に身を任せてはいけない、全ての命は尽きる瞬間まで輝いている」
「いい歳して妻も子も金も力も持たず、あとはしなびて死んでいくだけの未来にどんな輝きがあるというんだい?」
「君という個人の話はそうかも知れないが、この惑星の上には新たな世代がいる。これからを背負っていく子供たちがいる」
「だがそれはおれの子供じゃない」
「いや、そういう話ではなくて」
「判っているよ、あんたが言いたいのは種族として、この惑星に生きる命としての話だろう。おれのような古い世代が、新しい世代のために世界を守るのは当然の義務だと言いたいんだろう?」
「その通りだ」
「だからごめんだって言ってるんだよ」
おれは一つため息をつく。
「知ったこっちゃないんだよ。おれはいつ死んでも構わないと思ってるし、できれば静かに楽に死んでいきたい。星ごと滅ぶなら良い話じゃないか、まかり間違っても死にはぐることはなさそうだ。みんな死んでおれだけ生き残るのなんて最悪だよ。でも星を丸ごと消してくれるだなんてそんないい話があるのなら、その当日は家でずっと寝ていたいもんだ」
銀色は押し黙ったまま僕の顔をじっと見つめている。
「あんたたちがおれの知るウルトラマンと同じような存在だとしたら、こんな考え方で生きている人間なんて不自然極まりないと驚くのも判るよ。でもね、人生折り返しを過ぎて何も成し得なかった男なんてこんなもんだよ。せめて子供でもいたらその子の未来のために!とか奮起する場面なんだろうけどさ。親戚に若いのもいるっちゃいるけどほとんど面識はないし、今さら愛がどうとか言われてもね。
慣れ親しんできたものたちが……人にしろ風景にしろ、どんどん過去のものになっていくのをただ見続けるだけの老後なんてそんなに欲しくはないんだ。おれの、この意識が消えてしまえば世界の趨勢なんておれにはもう関係のないことだし、続こうが終わろうが知ったこっちゃない。そもそもおれは単なる一市民なんだ、歴史に埋もれるその他大勢の一人に過ぎないんだよ。いなくなって五十年もしたらもう誰もおれの存在したことすら覚えていないし知りもしない。
星だってそうだよ、あんたの口ぶりじゃこの宇宙には知的生命体の住む星はあまたにあるんだろう?ならひとつくらい消えてもいいじゃないか、どうせしばらくしたら存在してたことさえ忘却の彼方だよ。そうやって消えてしまいたいんだ、なのに永遠の命だって?」
「そうか」
しばらくして銀色はぽつりとそう言った。
「君はもう、自分の未来を見限っているわけなんだね」
「ありていに言えばそうなる」
「それでもまだ日々を過ごすのは……これ以上の変化は望まず、静かなフェードアウトを望んでいるということなんだね」
「そういうこと。おれは臆病なんだ、今すぐにでも死んでしまいたいと心の中で思っていても自分から死に向かう勇気なんて持ってない。日常のまま緩やかに、そしてすっぱりと滅びていきたいというのがおれの内に秘めたささやかな願いなんだ」
「なるほど」
銀色は何回か頷いた。
「ようやく君の虚無が理解できた気がする。なるほど、君は孤独なんだね。人口過密のこの都市にいても、職場にいても街を歩いても君は孤独だった。共に歩む人を、共に育てる命を持てないまま人生の黄昏を目前にして、もう自分には価値がないと思った。いや、自分の営みそのものに意味なんかなかったと思った。そういうことだね」
「言いにくいことをズバッと言うねあんた。でもまぁそういうことだよ」
「なるほどね。ならもう心配はいらない」
「は?」
銀色は立ち上がっておれの前に立ち、腰に手を当てて胸を張った。
「光の力を受け入れれば、君の未来は永遠の命と共に再び輝くのだよ」
「いやだからいらないっつってんじゃん」
勢いおれの言葉遣いは荒くなる。
「どうしてだい?確かにこれまでの君はうだつの上がらない、ぱっとしない人生を送ってきたかも知れない。だが人の命の輝きは、過去に引きずられて消えるべきではないんだ。大切なものや人はまだこれから作れるんだ。君はまだ輝くことができるんだよ」
「じゃあその新しい大切な人とやらも、おれにつきあって一緒に永遠を生きてくれるのかい?」
銀色の動きが止まった。
「新しい友や家族を得たとして、愛すべき人々を持てたとして、でもそいつらは普通の人間だ。普通に生きて普通に死んでいくんだろう?長く生きても百年もしないうちに別れが来るわけだ。そしておれはその後また幾度となく出会いと別れを繰り返すのかい?それのどこが孤独じゃないっていうんだ?」
銀色が黙ったままなので、おれは続ける。
「あんたにもあんたの立場があって来たことは理解したよ。たぶん相手の犯罪組織みたいなのに変な前例を作らせないためにも……もしくは変な実績を重ねさせないためにも、なんとかしてそいつらの計画を阻止したいんだろう?そして決め事の中でなんとかうまくやるためにはおれが戦う必要があるということも理解したよ。恐らくは文化も習慣も違う宇宙人同士の決め事だから、例外だの特別だのはあり得ないくらいに厳格なんだろう?あんたは力を与えると言った。先にくれてやってからではなく、全て納得づくでないと駄目っぽいところが非常に理性的だと思う。統一政府すら持たない野蛮で前時代的な種族の一個体相手に、ここまで我慢強く説明をしてくれたことには感謝する。だけど」
「だけど」
「おれはこの星を守らない。静かに消えさせてくれないか、宇宙の趨勢になんて興味はないんだ。おれの命はおれのものだ、おれの好きなように消えさせてくれよ」
銀色は静かに首を左右に振り、また来るよとだけ言って昨日のように揺らいで消えた。なんだよ玄関通る必要ないじゃん、とおれは思った。
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