第4話 三日目
次の夜の訪問者は例の銀色ともう一人、薄茶のトレンチコートを着た痩せぎすの中年男だった。日は落ちて気温は零下に近く、そんなもので防寒になるのか疑問に思う。覗き穴からは銀色がまたブザーのボタンに手を伸ばすのが見えたので、おれはため息をついて扉のロックを解除し、顔が見えるくらいに扉を開いた。
「御在宅でしたね」
銀色は親しげにそう言った。どうせ知っていたくせにとおれは思う。
「アドバイスを頂いた通り、この地域の行政を司る方々にコンタクトを取ってみましたよ。あの、中でお話させてもらっても?」
おれはもうひとつため息をついて扉を開け放った。どうも、と軽く会釈をして銀色が、続いてコートを脱ぎながら中年男が入ってきた。おれは二人を居間に案内してソファに座らせ、向かいに座る。
「いやあまいりましたよ」
銀色は陽気にそう言う。
「この惑星には統一言語がないんですね!最初はコクレンとかいう組織にアプローチしようと思ったのですが、肝心の君と言語が通じないのでは言葉通り【お話にならない】ですからね、この国の行政府に事情を説明させてもらったんですよ」
なんだか昨日よりさらに砕けた物言いになっているな、と思った。緊張でもあったのだろうか?それともおれに警戒させないためにフランクに振舞っているんだろうか。
「こちらは行政府の代表代理から全権委任されている」
「モリシタです」
中年男が初めて口を開き、名刺を差し出す。白く四角い紙片には、黒い明朝体でただ森下博と名前だけが印刷されていた。おれはその紙片を受け取ってまじまじと見つめ、裏返してもみたが名前以外の情報は一切なかった。
「簡潔にお伝えします。貴方にはウルトラマンとなってこの地球を守って頂きたい」
「それは昨日お断りしました」
「そうはいきません」
モリシタは冷ややかに言う。
「この方から提供されたデータを子細に分析し、貴方以外の適格者を探しましたが、少なくともこの地球には貴方以外に資格を持つ人間は存在しないことがわかりました」
銀色はただ黙って僕とモリシタの会話を聞いている。
「事は我が国だけの問題ではありません。地球全体、そしてこの方の言によれば宇宙全体の未来にも関わる話です」
「知ったことではないです」
「大変失礼かと存じましたが、貴方が現在置かれている状況についても調べさせて頂きました。引き受けていただければ、今後の貴方やご家族、ご親類のお仕事や生活に関して国家が責任を持って保証します。内密に国連へ打診もしましたが、全世界の英雄としての待遇も用意すると」
「興味ないです」
「もし」
モリシタの声が少し大きくなった。
「もしお引き受け願えなければ、我々はその事実を隠すことなく全世界に公表します」
なんだって?
「……世界を救う力を持った男が、その世界を見限ったと公表します。この方の言によれば、その日までさほど時はないとのこと」
「そんなことされたら……おれや両親は暮らせなくなるじゃないか」
口の中が乾く。唾が粘る。
「どうせ地球が滅びるのなら関係ないでしょう?貴方も、貴方のご両親もご親戚一同も、あなたのご友人も等しく消え去るのですから。どうせしばらく後に全てがなくなるのなら、それまでの時間がどうなろうと関係ないでしょう?」
「関係なくはない」
おれは自分の声が震えていることを自覚する。
「おれはこのまま穏やかに消え去りたいんだ。そんな人類の、地球の、宇宙の敵みたいな視線を背負って死にたいわけじゃない。映画のシン・ウルトラマンじゃゼットンの脅威を公表せずに、静かに滅びる選択をしてたじゃないか」
「これはフィクションじゃないんですよ」
初めてモリシタの声に感情が乗った。これは怒りだ。
「あの映画では、ウルトラマンでさえゼットンに敵わなかったから、それ以外にどうしようもないことが判っていたからこそ沈黙が選択されたというだけです。しかし現実は違う。貴方が戦えば世界は救われる。戦わないなら貴方は敵です。平和な日常を、平和な世界を、平和な宇宙を乱そうとする悪ですよ」
「違う」
「違いません。積極的に悪事を働かないなら悪ではないとでもお思いですか?悪に立ち向かう力がありながらもそれを使わない、そんな消極は悪なんですよ」
「おい聞いたか、これは明白な脅迫だぞ。こいつは我が身惜しさにおれを人身御供にしようとしてるんだ」
「すいませんね、我々はまだこの惑星と正式な外交ルートを開いていないので、現地人同士のやりとりに口出しはできないんですよ」
銀色はいけしゃあしゃあと言う。
「ですがまぁ客観的に見て、モリシタ氏の言動がいささか脅迫めいているのは事実ですね」
「明白な脅迫だよ。そして何の意味も持たない」
落ち着け、落ち着けとおれは胸の中で必死に自分をなだめる。こういう時は熱くなったら負けだ。
「政治家や役人という連中は、しばしば自分たちの予測範囲内で全ての事態が収束すると思い込む悪い癖がある。モリシタさんだったっけ、あなたがどっちなのかおれは知らないけれど……残念ながら今の話は事態を悪化させるだけでどうにもならない」
「ほう」
「誰もがおれにただ恨み言を言ったり同情を乞うだけだと思うかい?おれの両親や親族や、数少ない友達に対して嫌がらせをする奴も出るだろう。そんな邪悪な人間どもを、どうしておれが救わなければならないんだい?」
モリシタの目が泳ぐ。
「馬鹿なやつの中には、おれに直接アプローチをかけるのも出てくるだろう。脅してでもやらせようと暴力を振るうのもいるだろう。世界の破滅を教義にしている宗教なんかも勢いづいて世の中は混乱を極めるだろう。ますます救いがたい」
おれはわざとひとつため息をついて見せた。モリシタは微動だにしない。
「おれはね、別に氷河期世代の代表として不遇を嘆いているわけじゃない。極めて個人的にこの世を見限っているだけで、だから金銭的なあれとか待遇的ななにかを寄越せと言うつもりはないんだ。そりゃ今後も生きていくつもりなら、お金と立場はあった方がいいとは思うよ。でもそういうんじゃないんだ。政治がどうとかの話じゃないんだよ。
おれは自分の人生をそれなりに楽しんできたよ。まあ手の届く範囲にしか手を伸ばさずに、さしたる努力もしなかったからそれが世間一般に言う楽しみの範囲に入るかどうかは判らない。でももう疲れたんだ。これから先に生きたとしても、得るものはない。失うものばかりだ。だから静かに消えていきたいと願って日々を過ごしてきた。自分で死ぬ勇気はないからね。まぁこのあたりの話は昨日そこのにはしたけど、あなたには初めてするか」
「概要は一応お話しました」
銀色がちょっと申し訳なさそうな声色でそう言った。
「おれはもう先のないおっさんだ。どのみちろくな死に方をしないだろうし、ホームドラマの老人みたいに子や孫に囲まれて安らかな老後、なんて絶対無理な話だよ。だからいつ終わってもいいなんて思っているところに、渡りに船な話が舞い込んできたわけさ」
「渡りに船ですか」
モリシタは必死に自分を立て直そうとしているように見えた。
「自殺する勇気もなくだらだら生きてきた。あと少しで消滅できるなんて素晴らしい話じゃないか、待っているだけでその日が来るんだぜ?渡りに船でなくて何だって話さ。まぁおれだけ消えられれば最高なんだが、星ごとってのはちょっとオーバーだな」
「つまり」
モリシタの声は少し上ずっている。
「この世に未練がないから救わない、他人のことなど知ったことではないと」
「そういうこと。でも恨みがましいね、他人に興味がないのは政治家もお役人も同じだろう?あんたらはいつだって自分の周囲とそれ以外に線を引いてきたじゃないか。まぁそれはごく当然のことだとは思うけれど、他人からそれをされるってことに慣れてなさすぎるんじゃないか?自分たちがしてきたことをそのまま返されているだけの話だよ。そういう意味で言ったら、おれは人生の最後に来て図らずも最大の復讐を果たそうとしているのかも知れないね。まぁあんたが断じた【悪】ってのもあながち間違ってはいないような気もするな、これじゃ。でもせっかくここまで一人寂しく生きてきたんだから、そのまま消えたいんだよ」
「であれば」
口調がちょっと変わったな、と僕は芯まで冷えた頭の中で思う。
「であれば、政府が責任をもってお相手の女性を」
「ふざけるな」
おれは努めて冷淡に言った。
「そういうのじゃないって言ったろ?恋人だの家族だのは生きていく道のりでこそ獲得すべき性質のもので、宛がわれるものじゃない。あんたは自分に娘がいたとして、このおっさんは星を救う英雄になるから嫁に行って生涯侍れと命令できるのか?」
モリシタは下を向いて押し黙った。
「……その沈黙が答えじゃないか。そこは決して人が越えちゃならない一線だよ。まぁあんたが割と誠実で常識的な人間だということは判った」
おれは言って立ち上がり、壁の時計を指さした。
「ところでそろそろいい時間なんで、お引き取り願ってもいいですか?話があればまた後日ということで。明日も仕事なんだ、義理は果たさないとね」
銀色はうむ、と言った感じで頷き立ち上がる。
「そうですね、私にも色々とやることが見えてきた気がします。どこの地球でも、人間という存在は素晴らしいですね」
「そうかな」
「そうですとも」
銀色はモリシタを促して玄関に向かう。モリシタはずっと無言のまま、扉の向こうに見えなくなった。
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