第2話 一日目
「やあ」
その銀色をした人型のなにかは、口と思われる部分を特に動かすこともなくそう言った。ひょっとしたらテレパシーか何かなのかも知れないが、それはおれには判らない。ただおれはそいつがおれに向かって話しかけてきたと認識をした、という話だ。
「夜分に突然押しかけて申し訳ない」
ほんとうだ、とおれは思った。時計の短針はもうてっぺんを過ぎている。寝室の向こうにある居間から何やら物音がして目を覚ましたおれは、眠い目をこすりながらドアを開けて照明を点けた。するとそこにそいつが立っていたのだ。
「しかし緊急事態なのだ、説明はするので多少の失礼は容赦して欲しい」
だいぶ流暢に日本語を使うな、とおれは思った。もしこいつが見た目通りの宇宙人であるならば、どこかで言葉を学んできたのだろうか?それとも翻訳機か何かを持っているのだろうか?もしくは目の前にいる生命体(つまりおれだ)の知識を借用でもして話す技でも持っているのだろうか?
「君の疑問には後でゆっくり答えたいが、とにかくまず今この惑星に危機が迫っていることを知らせに私は来た」
「危機」
おれはあえて口に出してみた。さっきまで寝ていたので口の中の水分が足りず、思ったよりも声はかすれていた。
「もしそうだとして、そんなものは政治家とか自衛隊とかに言ってもらえませんかね?」
「いや、調べた限りでは君が適格者だ。君しかいないんだ」
「適格者」
銀色は微動もせずにそう言う。ぼんやりしていた頭の中が、何か不吉な予感でざわめくのをおれは感じていた。
「つまり、君がこの惑星を守るんだ。そのための力を、君にあげよう」
「力」
「そうだ。君たちの娯楽、フィクションであるところのウルトラマン。遠い銀河の彼方に実在するその力を、君に与えるとそう言っているのだ」
「なぜ」
「なぜ?」
銀色は首を傾げた。宇宙人も疑問を持つとそうするのか、とおれは思った。
「あんたがやってくれないのか?」
「我々は直接手を出せない。そういう決まりになっている」
「決まり」
「宇宙にもさまざまな文明圏があり、それらには政治的な組織や条約や法律が存在する。そういった取り決めにおいて、基本的に惑星文明の救済は自助努力によると決まっているのだ」
銀色の口ぶりが少し苛立ってきているな、とおれは思った。
「だから、この惑星の住民であり唯一の適格者である君に、我々と同等の力を持つウルトラマンとなってもらい、この惑星を守るために立ち上がって欲しいと我々は思っているのだ」
「我々」
また新しい情報が出てきたな、とおれは思った。
「つまりそれは」
おれは大きく息を吐き出してから続ける。
「君たちと誰かさんたちとの間に政治的摩擦があって、それが背景にあるということか」
銀色は黙った。静寂が空間を埋める。
「……君にはすべてを話した方が良さそうだ。まぁそんなに複雑な話ではない」
「済まないけど、また明日にしてくれないか?明日も仕事なんだ」
銀色は少し肩を落とした。
「あともう少し早い時間がいい。こんな時間に断りもなく部屋に入られて、おれはちょっと腹を立てている」
あくまでおれは静かに言った。こいつが本当にフィクションのウルトラマン類に近いとしたら、ここで事を荒立てて変な光線や超能力みたいなものを使われてはかなわない。とっとと出て行って欲しい。
「……了解した。また明日に伺うとしよう。それまでに色々と調べておく必要がありそうだ」
まぁ好きにしたらいい、とにかくおれはもう寝る時間なのだ。
「できたら玄関から願いたいね。突然入ってこられるのは迷惑だから」
「それも了解した。そのあたりのシステムについても確認しておこう」
言った銀色の姿は微かにブレ始め、そしてぼやけて消えていった。高精細なラスタースクロールのようにも見えたが、そんなことはどうでもいい。おれは一つため息をつくと部屋の照明を消し、寝室に戻ってベッドに入って目を閉じた。
前段でも述べたが、おれはおっさんである。
氷河期世代と呼ばれる年齢層に入るおっさんだ。おれたちが成人した頃の社会は大規模な不況に喘いでおり、進学先にも就職先にもまともにありつけたのは世代のほんの一握りで、それ以外のあぶれた若者はアルバイトや非正規労働者として生計を立てるより他になかった。
学業についても技能についても中途半端だったおれは、やはり進学も就職も出来ず非正規労働者として労働に従事した。
まぁそのあたりについては、やはりある程度個人の努力が反映される部分もあるのだから一概に政治のせいにはできないとも思う。努力をせず流されて生きることを選んだのは自分自身だという自覚もあったからだ。
しかし幸運にもおれはそれなりの労働でそれなりの報酬を得続けることには成功した。それはおれ一人が生きていくには充分に思えたが、そんなぬるま湯のような状況がおれをその立場からの脱却をさせるわけはなかった。
そうしておれは一人歳を重ね、気づけばもう五十を目の前にしていた。
半世紀!
半世紀を経ておれが得たものは、みっともなく弛んだ体と模型やゲームの山が築かれまだローンの残る自宅マンションと、そして予想される孤独な老後だった。
子供の頃には、平凡な人間なら平凡な幸せくらいは容易に手に入れられるものだと思っていた。だが成長するにつれて、それは幻想であると思い知ることになる。平凡な幸せとは言うが、平凡だろうが非凡だろうがそれが「幸せ」である時点で、実は入手難度は高いのだ。
気付いた頃にはもうおっさんになっていた。仕事も恋も自分磨きも放り出して娯楽に没頭してしまえば確かにそうなるのは自明の理である。だから今現在若い世代には是非頑張っていただきたいものだと老婆心ながらに思うが、まぁ他人事だからどうでもいい話だ。我々人類には、個人的な体験を完全な形で共有する能力はない。
とにかくそういうわけで、おれはもう残りの人生についてほぼ絶望していた。できたら寝ている間に安らかに召されないものかと、就寝前にはいつも考えていた。
自殺をする勇気はなかった。そして自暴自棄になることもなかった。ただ毎日を誠実に生き、そしてできれば明日目覚めなければ良いなと思いながら床に就き、朝目覚めてああまた起きたか仕方ない、今日も一日頑張ろうと寝床を降りて誠実に生きる。いつ死が訪れても良いように。その繰り返しが、ここ数年のおれの生活だった。生き生きしてないし活力もない。
そしてつい先日、おれは派遣先から契約更新の打ち切りを宣告された。それはつまり、今まで続けて来た平和で自堕落な生活の終焉を意味していた。
そんなおれに、ウルトラマンになれだって?世界を救えだって?馬鹿な話だ、と思ったところでおれの意識は途切れた。願わくばこのまま……
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