ウルトラマンになりたくなかった男
小日向葵
第1話 前日譚
お先真っ暗とはこのことだ、と自分では思っている。
何がどうしたのか?と問われれば、この春で今働いている派遣の契約を切られると告げられたのだ。二十年近く食い繋いではきたが、生来のズボラさと努力嫌いでいよいよおじゃんというわけである。
幸いなことに人相風体芳しからず、異性とは縁のないまま過ごして来たお陰で養う家族はない。だが賃貸よりましだろうと購入した分譲マンションのローンがまだ半分ほど残っているありさまだ。
ここでひとつ冷静になって見れば、マンションを売却して残りのローン返済に充てて実家へと戻り、この年齢でも出来るような職を探して静かに生涯を終えるのがより現実的な選択ではないか。おれはそう考えてはみたが、だが果たしてここからまだ生きていく「目標」や「目的」とはなんだろうかという考えが浮かんでしまい、もう意気消沈してしまうのである。
つまるところ、おれには何もないのだ。
生物として、後世に自らの遺伝子を残すという最低限の使命すら果たせず、自らの生命をただ死なずに保つという行為にどれだけの意義があるだろうか?
職場から無能力者の烙印を押されたということについては、これはもう仕方のない、ある意味自業自得であると思っている。理想的な労働者ではなかったことは自分でも理解している。タイミングや周囲のせいが全てではない、おれ自身の資質が問題のほぼ全部ではないかと思う。
実家の両親も歳を取った。孫の顔を見せてやれない悔しさは三十代半ばからずっと胸の内に隠し持っていたが、自分が誰か他人と家庭を築くというビジョンを全く抱くことはできなかったし、また異性から好意を持たれることもなかったので諦めた。
そう、おれには何もないのだ。おれに価値はないのだ。
四十を過ぎたあたりから、おれはもうこの先の人生に碌なことはないだろうと予見していた。あとは老いて死ぬしかメインイベントが存在しないのだからごく当たり前の予想だ。普通と呼ばれる人生であれば子や孫に関連するイベントが起こり、親戚関係でもクエストが発生し、それなりに波乱はあれど全体的には充実した人生とやらになっただろうが、再三言うようにおれはその手のフラグを一切立てずにここまで来てしまった。これはたぶん不自然なことだ、このままではまずいのではないかと三十代の頃に思ったこともある。だがおれは何もしなかった。何もできなかった。日々をただ過ごすことに手いっぱいで、自らの領分から出て何かを始めようという勇気はなかった。
そしていよいよ進退窮まったというところだ。
派遣会社の営業担当は、なるべく条件を下げずに次を探すと言った。だが恐らくは見つかるまいとおれは思っている。こんなろくでもない中年を、それなりの給金で雇おうなど狂気の沙汰だと自分でも思う。別に自己評価が低いというわけではなく、実際におれはろくでもない男なのだ。
おれの良い点は、約束の時間に正確であるというただ一点だけである。遅刻もしないし欠勤もしないし約束も忘れない。ただそれだけで、別に勤勉なわけでも努力家でもない。極端な無能ではないつもりだが有能ではない。
時代のせいにはしたくないが、生まれる年代をちと間違えたのかも知れないと思ったことはある。だが極端な話、江戸時代になんか生まれていたら子供のうちに流行り病で死んでいたんじゃないだろうか。それくらい普通に運はないと思う。
社会のせいにもしたくない。誰かの思惑でこうなったわけではないと思うし、基本的に全責任は自分にこそあると思うからだ。例えばろくでもない政治家の一人でも道連れにしてみたらどうだろうかと考えてもみたが、いくら相手がろくでもない政治家だとしてもそれは公憤ではなく私憤である。そんなことで社会は良くならないし、その死をまたろくでもないことに利用されるのは判り切っている。だいたいおれ一人がひっそりと消えれば良いだけの話に、他人を巻き込むのは間違っていると思う。
正直な話、この十年間はほぼ惰性で生きていたようなものだった。
今の日本は実に便利だ。だから独身でも生きていける。誰かと寄り添って生きずともある程度の寂しさを紛らわせる娯楽は沢山あるし、実際そうして生きてきた。価値観の多様化に便乗して、自堕落な生活すら見逃されてきた。しかし、責任を伴う自由と自堕落との本質的な違いに目を瞑ってきた結果がこのありさまだ。何もないおれ、無価値なおれ。だがそれは昨日今日気づいたわけではない。三十代半ばにはもう、この先おれに価値が発生することなどないと気づいていた。
だがおれは何もしなかった。日々を消費することで手一杯だったのだ。暗い未来など見ても仕方ない、今を楽しく生きればそれでいいと問題を未来に先送りした結果が現在の絶望である。
そう、おれは自分に対して絶望しているのだ。
例えばここで今手元にある色々を綺麗さっぱり清算して、ゼロから出直すという選択もある。なにせ独り身で誰かを養っているわけでもない。本来なら絶望すべき高齢単身が、この場合逆に身を軽くしてくれているのだ。
だがおれは境遇ではなく、自分に対して絶望している。そんな色々苦心して生き長らえて、ではおれは何をするのだ?
生き延びた後の自分が見えない時点で、おれはもう本当に駄目なんだなと痛感した。誰かのために生きてきたわけではない。誰かと共に生きてきたわけでもない。おれはこの二十年近く自分だけのために自堕落な時間を過ごしてきたのだ。だから、そんな過去の延長線にいない自分など想像できるはずもないのだ。
そもそもおれは自分が好きではない。
好きでもない自分を成長させるために努力なんかしたくないと思ったし、好きでもない自分がベースなんだから多少変わった程度で好きになれるはずもないと自己変革も拒んだ。さっさと死んでしまいたいと思うことはしょっちゅうだったし、そもそも自分が自分を好きでないんだからそんな自分を好きになる他人などいるはずもないと思っていた。それはたぶん事実だろう。
つまりは怠惰と自堕落と自己嫌悪で構成された人間が惰性で五十年近くやってこれたわけで、これはまぁ戦後の日本がわりと成功した社会を構築してきた証左じゃないかと思う。
ただやはりこういうおれのような人間がこうも完成してしまったのは、物質的な欲望の充足に重点を置きすぎて、精神的な研鑽を積むような文化の醸成に失敗したんだろうななどと無責任な評論家みたいに考えてもみたが、そんなことは何の足しにもならないだろう。
そんな感じで物語は始まる。他人から見たらくだらなく底の浅い絶望なんだろうが、おれは他人と自分のそれを比べるつもりは毛頭ない。少なくとも何の価値もないおれに入手できるものとしては最高に深い絶望だと思っていた。
だがそんな絶望の中にいても、おれは自分の消滅を願いこそすれ世界の破滅までは必要としていなかった。世界が消滅するついでに自分も消えるというのなら、まぁそれもいいかといった程度だ。おれはそう思うくらいに絶望していたし、世界に対する興味も失っていたというだけの話だ。
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