第30話 馬車・4


 馬屋で馬車の図面を見ながら、マサヒデは子供のように大興奮。


「ご店主、この図面お借りしてよろしいですか! 皆に自慢したい!」


「勿論ですとも! この町にたった1つのこの馬車、皆にお見せして下せえ!」


「やった! ありがとうございます!」


 あはは! と笑いながら、マサヒデはがらりと戸を開け、外に出て行った。

 出て行ったマサヒデの背中を見て、馬屋もにこにこしながら頷いた。


(歳にしちゃあ落ち着いてると思ってたが、やっぱりまだまだ相応みてえだ)



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「クレールさーん!」


(う!)


 マサヒデの声。

 はっとして厩舎の外を見ると、マサヒデが満面の笑みで走って来る。

 馬達の間にも、ぴりっと緊張感が走った。

 だだだっと厩舎に入ってきて、入り口にいる黒影がちょっと驚いて顔を上げる。


「おお、黒影、驚かせてしまったか。すまない」


 ははは、と小さく笑いながら、マサヒデは黒影の首をぽんぽん、と叩く。

 ぶるる、と黒影も小さく鳴く。


「クレールさん、これ見て下さいよ!」


 にこにこしながら、マサヒデが小さな台の上に図面を開いた。

 クレールが近付いて、ちらとマサヒデの顔を見ると、先程までとは雰囲気が違う。

 ほ、と胸を撫で下ろす。もう怖くない。


「これは、馬車ですか? これを買ったんですか?」


「そうなんですよ! これすごいんですよ!」


「はあ」


 何がすごいんだろう。図面を見ても、ただの幌がついた荷馬車にしか見えないが。


「こっちが前で、ここに馬が繋がれるわけです」


「ふんふん?」


「で、ここ。この車軸の所です。真ん中の付け根の所、丸くなってるでしょう?

 なんと、これ横に回るんですよ!」


 こう、と、両手を縦に開いて、くいくいと曲げるマサヒデ。


「え!?」


 なんとこの馬車、車軸が曲がる方向に回るのだ。

 これにはクレールも驚いた。今までそんな物には乗った事がない。


「ええー!? 車軸が横に回る!?」


 食い入るように、クレールも図面を見つめる。


「曲がりやすくて、馬も負担が少なくなるわけですよ」


「はあー・・・これはすごいですね・・・」


「で、これ、ここ。左右にバネ付きで、揺れが少ないわけです。

 普通の馬車みたいに、がったんがったん揺れない」


 バネ付きは、クレール達貴族が乗る馬車では普通だ。

 だが、ただの荷馬車にそんな物が着いているとは。

 そう考えると驚きだ。


「これ、荷馬車なんですよね? 荷馬車にバネ着きなんですか?」


「そうなんですよ。あ、クレールさんが乗る馬車には普通ですか」


「ええ、ですけど、ただの荷馬車にバネが着いてるなんて・・・」


「これで転びづらいというわけですね」


 クレールも、横転した荷馬車を何度も見た事がある。

 庶民の馬車にはバネが着いていないから、小さな石でどんどん跳ねて転びやすいのだ、と執事が説明してくれた事を思い出した。

 バネ付きで車軸まで曲がるとは。となると、高かったはずだ。


「マサヒデ様、これ一体いくらしたんですか?」


「金貨80枚の所、まけてもらって75枚ですよ」


「ええっ!?」


 これには驚いて、のけぞってしまった。

 クレール達、貴族用の馬車にも着いていない仕組みが着いて、たった80枚。

 私の馬車はいくらだろう?

 聞いたことはないが、金貨500枚は軽く超えるはずだ。


「で、さらにすごい仕組みがあるんですよ」


「まだあるんですか!?」


「ほら、この車軸、右と左とで分かれてるでしょう?」


 マサヒデが車軸の所を指差す。


「あ、ほんとですね? なんで分かれてるんでしょう?

 小さくして、代えやすくするためですかね?」


「違うんですよ。ほら、ここ、分かれた車軸のそれぞれにバネが着いてますよね」


「はい」


「ということはですよ。この、例えば右の車輪が石を踏んだとしても、右の車輪は上に上がっても・・・」


「ああっ! 左は上がらない!?」


「その通り!」


「す、すごい! これはすごいですよ! 傾かないんですね!?」


「ね!? すごいでしょう!?」


「こっ、こっ、ここ、これは! 大発明じゃないですか!」


 クレールも目を輝かせて図面を見つめる。

 一体、誰がこのような仕組みを思い付いたのか・・・

 図面をじっと見て、は! とクレールが気付いた。

 ばっ! と顔を起こし、驚愕の顔でマサヒデを見る。


「ああっ! マサヒデ様! この車軸の形は!」


 ぷるぷると曲がった車軸を指差す。


「お、気付きましたか?」


「こ、この形は・・・バネに乗ってても、低くなるようになってるんですね!?」


「そうです!」


「おおー!」


 低くなることで、さらに転びにくい。

 乗り降りや、積み下ろし作業も楽になる。

 なんと考えられた馬車なのか!?


「さあ、皆に自慢しに行きましょう!」


「行きましょう!」


「悪いな、皆! 今日は帰るよ! ははは!」


 マサヒデはさっと図面を巻いて、馬達に手を上げた。


「あはははは!」


 2人は笑いながら厩舎を小走りで出て行った。


(良かったなー・・・)


 走り去る2人の姿を見て、馬達もほっとした。



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 がらっ!


「只今戻りました!」「戻りましたー!」


「おかえりなさいませ」


 カオルが手を付いて頭を下げた。

 なにやらすごく浮かれている。こんなマサヒデは初めてだ。

 おや? と顔を上げると、後ろのクレールも目を輝かせている。


「カオルさん! 皆いますよね!?」


「はい」


「すごい馬車が手に入りましたよ!」


「馬車」


 馬車でばしゃばしゃ。


「うっ・・・」


 思い出して、口に手を当てる。

 にこにこした顔のマサヒデの目だけが、ぎらりと光る。

 う! とカオルの身体が固まり、背中を冷たいものが登っていく。


「・・・何か」


「は! い、いえ・・・何も」


「そうですか! さあ、クレールさん! 皆にこれを見せてやりましょう!」


「はい!」


 マサヒデとクレールはさっと上がって、ばたばたと廊下を駆けて居間に飛びこむ。


「ははは! 只今戻りましたよ!」


「只今戻りました!」


 マサヒデもクレールも目を輝かせ、浮かれて満面の笑みだ。

 マツもここまで浮かれたマサヒデは見た事がない。

 お! とシズクも身体を起こす。


「おかえりなさいませ。良い物がありましたか」


「それはもう! すごい物ですよ!」


「私も見て驚きましたよ!」


 マサヒデとクレールが座って、図面を広げる。

 カオルがそっと茶を差し出す。


「おお、ありがとうございます。クレールさん、まず一服しましょう。

 浮かれて走ってきてしまいましたから」


「そうですね!」


 2人は湯呑を取って、静かに茶を啜る。

 マツがすっと膝を進めて、図面を覗き込んだ。


「これは・・・馬車、ですか? 馬車」


 馬車でばしゃばしゃ。

 くっ、と思わず顔を逸し、口に手を当てるマツ。


「・・・」


 湯呑を口に付けながら、マサヒデの目が光る。


(は!)


 顔を逸したまま、マツの身体がぴくりと動かなくなった。


(今のは一体!?)


 殺気ではない。

 だが、本能が明らかに警告を発している。

 そっと目をやると、にやにやしていたシズクの顔も固まっている。

 カオルも顔を逸しているが、あの顔は明らかに怯えている。


「おや? どうかされましたか?」


 マサヒデの声は平静と変わらない。

 だが、身体の奥から何かが危険を発している。

 マツほどの者が、これほど恐れを感じるとは・・・


「いえ、何も」


 シズクも額を拭っている。

 カオルも固い顔で、目を逸している。


「さ、見て下さいよ! これ、馬車の図面なんですけど!」


「すごいんですよこれ!」


 子供のように浮かれるマサヒデとクレール。

 先程、一瞬感じたのは一体・・・

 殺気ではない。威圧されたのでもない。

 ただ、何かが、本能が警告を発している。

 『これ以上はいけない』


「は、はい! どんなものでしょう!」


 固い笑顔を浮かべ、マツ達3人も図面に顔を寄せる。

 しばし後、マサヒデの説明を聞いて、恐怖に身を固めた3人も驚きの声を上げた。

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