第29話 馬車・3
「こんにちは」
「おお、トミヤス様。いらっしゃいませ」
馬屋は、マサヒデに手を引かれるクレールに目を向ける。
「やあ、奥方様。また馬達とお喋りに?」
「はぁい! そうなんですよぉ!」
む? 何か固い気がする。
ああ、こないだ黒嵐が怖かったから、緊張しているのか?
「今日は、荷馬車の注文に来ました」
おお、と馬屋がマサヒデに顔を向ける。
「荷馬車ですか。黒影に引かせるんですね」
「そうです。馬車の図面なんかありますか?」
「ええ、ありますとも。さ、どうぞこちらへ」
馬屋は店の中に入って行く。
マサヒデはそっと手をほどいて、クレールに顔を向けた。
「じゃ、私は店の方へ行ってますね。クレールさんも来ますか?」
「私は厩舎で皆とお喋りしたいです!」
楽しみ一杯!
・・・という顔が出来ただろうか?
「ははは! やっぱりクレールさんも馬が大好きなんですね!
じゃ、私も後で厩舎に行きますね」
「はい! では!」
ててて、と走りながら、
(やった! 上手くいった! 良かった!)
と、クレールは逃げるように厩舎へ向かった。
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ぱさ、と馬屋が閉じられた図面をいくつか置く。
「で、どんな感じの馬車にしましょう」
「1頭立てで、4輪。幌が欲しいですね。
中に人を乗せて、椅子が着いてるやつで、広めで。旅用ってやつです」
「ううむ、1頭立てで4輪、幌付き、椅子付き、広めの馬車ですか。
でかくなっちゃいますが、まあ、あの黒影なら問題ないでしょう。
あまり荷は積めなくなりますよ」
「どのくらい積めますかね? 黒影なら300貫はいけると思いますか?」
ううん、と唸って馬屋が腕を組む。
「ずっとまっ平らな平地なら、あいつなら300もいけましょうが・・・
広めとなると、馬車の重さもありますし・・・ううん・・・」
「300貫は難しいでしょうか?」
「ちょいとした緩い坂道でも、ぐいっと後ろに引っ張られますからね」
「あ、坂道か・・・そうか」
そうだ、坂道もあった。
ほんの少しの傾斜でも、馬にかかる重さはぐっと重くなるだろう。
整備されたきれいな道でも、山道などは大変なはずだ。
「馬車も大きくなりますし、200・・・
うん、思い切り積んで、200貫までって所ですかね」
「ふむ。一杯まで積んで200貫ですか」
ヤマボウシにも荷を積むことが出来る。
200も積めれば十分だろう。
「余裕を持たせて積んでおかないと、ほんの少しの坂道でも、黒影がへばっちまいますからね。そうなると、休み休み行かないといけねえ、全然進まねえ」
「なるほど。分かりました」
ぱさりと馬屋が図面を開く。
「旅用の荷馬車ってなると、こんな感じの形になりますね。
こいつは最新式の物ですよ。まだこの町には1個しかねえ。
こっちが中の図で。横に椅子も着いてます」
「ほう」
幌が垂直ではなく、ほんの少し外側に広がるような形になっている。
かまぼこのような形を想像していたが、上に高い。
中で人が立てるようになっているのか・・・
前に斜めに出ている所も良い。幌が御者の上にかかるわけだ。
「で、こっちを見て下さい。こうやって幌を上げられるってわけで」
幌を上に上げた図。なるほど、こうすれば横からも積み込みが出来る。
暑ければ、開けて風を通すことも出来るというわけだ。
「なるほど、こうなってるのか・・・」
「で、この横の少し出っ張った板。ここに水の入った樽を置くわけです」
「なぜ外側に?」
「水が満載の樽なんかを、中に積み込みするのは大変ですからね。
1頭立てじゃ、馬車の広さにも限界があります。
場所をとりますから、こうやって外側に置くわけです。
革紐でくいっと回して止めておけば、樽も落ちねえ」
「ううむ、考えられていますね」
「で、この馬車で驚きなのはこちら」
「うん?」
馬屋が前の車軸を指差す。
はて?
「ううむ? ちょっとこの図面を見ても、よく分からないんですが」
「ここを見て下さい。この車軸、ここでくるっと回るようになってるわけで」
馬車の車輪は車軸とくっついておらず、横に曲がる時は左右の車輪の回転の違いで曲がるようになっている。この車軸が回るようになれば、かなり曲がりやすくなるというわけだ。
「おお。ということは、かなり曲がりやすい」
「その通りです。引っ張る馬にも負担が少なくなりますね」
「ほう・・・」
「で、さらに注目してもらいてえ所が、ここです。
この軸、1本まっすぐじゃなくて、左右に別れてるでしょう」
「ええ。その分軽いってわけですね」
馬屋が横から見た図を指差す。
「いいや、違います。ここです」
車軸の上に薄い「く」の字の図。
これは板バネ付きの物か。
「2個に分かれた車軸の上にバネが付いてて、例えば、右の輪が石なんかに乗り上げても、こう乗り上げた右の車輪だけ上がる。左はそのまま。てことは、あんまり傾いたり跳ねたりしねえ。中々転ばねえって作りになってるわけです」
こう、と馬屋は机の上で手を上げたり下げたりする。
「おお!」
馬車は石などを踏んだりしての横転が結構多いから、これはすごい。
「で、さらにすごいのがこの車軸の作りにもう一つ」
「まだあるんですか?」
「この形、ほら、乙の字の斜めのが縦になったみたいな形になってるでしょう。
横、縦、横と、こう来てますね」
馬屋が車軸を指差し、横に、縦に、横に、と指を動かす。
車輪の真ん中から横、そこから垂直に縦に下がり、横に。
その上に、バネ、荷台が乗っている。
ということは・・・
ぱちん! とマサヒデが手を叩く。
「あ! 分かった! 分かりましたよ! これ、低くなってますね!」
馬屋がぴし! と人差し指を立てる。
「そのとおり! 低い分、さらに転びにくい!
バネの上に乗っけようとすると、どうしても高くなっちまう。
そこを、こうやって低くしてるってわけですよ。どうです」
「おお・・・すごい作りだ! これはすごい!」
マサヒデは驚いて声を上げてしまった。
村にあった荷馬車とは大違いだ。
たまに米俵や野菜を転がしているのを見た事があるが、これなら転ばない。
「鉄の部分が多くなっちまいますから、少し重くなっちまいますが、これはどうです。中々でしょう。これが最新作の馬車って奴ですよ!」
「中々なんて物じゃありませんよ! これはすごい!」
マサヒデも馬屋も大興奮だ。
「バネに乗ってるから、中に乗ってても大きく揺れねえ!
さらに転びにくい! 車軸も横に回って、引っ張る馬にも負担が少ねえ!
どうです。旅には最適な馬車じゃありませんか?」
「これは素晴らしい! 素晴らしいですね!」
「荷馬車にしちゃあ高いですが、広げる手間賃も加えて、金貨80枚!
いいや、お得意のトミヤス様だ! まけて75枚だ!
さらに代えの車軸に車輪も付けましょう! どうです!?」
「買いました!」
ぱん! と馬屋が手を叩く。
「ぃよっしゃ! さっそく注文出しましょう!
現物あるから、広げるだけ! すぐですよ!」
「お願いします!」
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マサヒデと馬屋が大興奮している頃。
クレールは背伸びして白百合にブラシをかけながら、話していた。
「白百合さん、マサヒデ様が笑ってるのに怖いんです」
(いや・・・私に言われても・・・)
「そうですよね」
(何かあったんですか?)
「よく分からないんです。マツ様の名前を出したら、目がすごく・・・」
(マツ様と喧嘩でもしたんですか?)
「でも、にこにこしてるんです」
(笑ってるのに怖いんですか?)
「カゲミツ様みたいでした」
(かげみつさま?)
「剣聖って言われてて、すごく強い人です。マサヒデ様のお父様」
(けんせい?)
「鬼のシズクさん、知ってるでしょう?」
(青い人ですね)
「あのシズクさんを、一発でのしちゃうくらい強いんです」
(鬼を? かげみつさまっていう人は、そんなに強いんですか?)
「はい。あのくらい怖かったです」
(それは怖いですね)
「私、どうしたら良いんでしょう・・・」
(私にはちょっと・・・)
「ですよね・・・」
さー・・・さー・・・と、静かに厩舎にブラシの音が響く。
(な、俺が噛み付いてやろうか。甘噛みくらいで。ビビるだろ)
横から黒影が話し掛けてくる。
「黒影さん、絶対に噛んだり蹴ったりしない方が良いですよ。
マサヒデ様、金属鎧も簡単に唐竹割りに出来ちゃうんですから」
(マジで? あんなに小っちぇのに?)
「冗談なら良いんですけどね・・・」
(マジなのかよ・・・俺でも顔からケツまで簡単に真っ二つじゃねえかよ・・・)
「あなたより小さいからって、絶対に怒らせてはいけませんよ。
もし・・・ですから、ね・・・」
(そうしとくわ)
「顔は笑ってましたけど、すごく怒ってたみたいだから・・・
皆さん、マサヒデ様が来ても、今日は、絶対に怒らせないようにして下さいね。
何かあったら・・・」
クレールの喉が鳴る。
馬達の鋭敏な感覚が、クレールの恐怖をはっきりと感じ取る。
これは冗談ではない。
(分かった)(分かりました)(おう)(了解)
馬達には、外で話していたクレールとマサヒデの会話が、ちゃんと聞こえていた。
後で厩舎に来る、と言っていた。
気を付けなければ、顔から尻まで真っ二つ・・・
ぶるる、と馬達が声を上げる。
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