第五章 馬車

第27話 馬車・1


 居間に入ると、シズクが大の字に寝ていた。

 クレールはギルドの訓練場にでも行ったのか、留守だ。

 す、とカオルが茶を出してくれる。


「カオルさん、クレールさんとラディさんの分も、用意した方が良いでしょうか」


「当然です。お二人は闇討ちに弱いです」


「ふむ。では、今度お二人の分も買いに行きましょう」


「賢明ですね」


 ずず、と茶を啜る。


「そう言えば、革鎧は臭うって話を聞きましたが」


「ええ」


「私の着込み、裏側に布が着いてましたけど・・・あれ、臭いますかね」


「外せるのですから、洗えば大丈夫です」


 ほ。良かった。

 鼻が曲がるような臭いをぷんぷん出しながら、歩き回りたくはない。

 馬達にも嫌われて、振り落とされそうだ。


「それなら良かった。ぷんぷん臭うのはちょっと」


「ふふ」


 くす、とカオルが笑う。


「裏側の布の部分、代えを作っておいた方が良いですね」


「そうですね。2、3着作っておきましょうか」


 そういえば、鎧屋の店主は油で磨いて手入れをしないと、と言っていた。

 カオルも、普段は着込みを着ているのだ。

 聞いておいた方が良いだろう。


「ど、どうされました?」


 思わずじっとカオルの身体を見ていたことに気付いた。

 カオルが顔を赤くして逸し、手を胸に添える。

 おっとしまった・・・これは誤解を生んでしまう。


「あ、誤解しないで下さい。カオルさんも、今、着込み着ているでしょう」


「いえ、あの、先程漬け物に」


「ああ、そうでしたね。

 ほら、油で拭いて手入れって、どのくらいの頻度か聞くのを忘れてましたから」


 あ、そういう事だったか、とカオルが顔を戻す。

 腕組をして、片手を顎に当てる。


「ううん、何もなければ、10日に1度くらいでも良いのでは?

 私が着ている物は、錆びづらいようになっていますから、良く分かりませんが。

 濡れたら奥方様やクレール様に風で乾かして頂き、磨くといった程度で」


 10日に1度。

 思ったより手間がかからない。


「そのくらいで良いんですか? あまり手がかからないんですね」


「毎日着ておくのがコツです」


「毎日? コツ?」


 毎日着ておくのがコツとは、どういうことだろう?


「鎖を動かして、錆が出ないようにするのです」


「ああ、なるほど」


「あとは、ほんの小さな穴でも、見つけたらすぐに修理することです。

 しっかりと、かしめておきませんといけませんよ。

 もし外れた鎖が引っ掛かってしまったら、がちっと動きが止まります」


 確かに、鎖が引っ掛かって動きが止まれば致命的だ。

 あの小さな輪を、毎日、ちゃんと調べないといけないのか・・・


「む、結構面倒ですね」


「ふふ、当たらなければ、滅多に穴など空きませんよ。

 当たりさえしなければ、さらっと見る程度で良いでしょう」


「その程度ですか」


「ご主人様は守りが良いので、まず当たる事はないと思います。

 ですが、万一の為の物ですから」


 つすー、とカオルが小さく茶を啜る。



----------



「む・・・」


 奥の間に行き、クレールとラディの分の着込みを、と思って金袋を開けると、そろそろ1袋が終わりそうだ。まだ大袋で2袋あるが、1袋がなくなってしまうとは。これは派手に金を使いすぎた。


 まだまだ必要な物は多い。


 荷馬車、馬鎧、2人の着込み、矢や投げ物の予備、装備の手入れ用品、日持ちする食料に・・・荷馬車は幌付き、2頭立て、4輪。馬車はかなり高くなりそうだ。

 手持ちで揃える事は出来るだろうが、旅に出れば金はどんどん減っていくばかり。


 対する組を倒し金を巻き上げる事も出来るが、そんな野盗のような真似は・・・

 さて、どうしたものか。


(冒険者ギルドで日雇いでもするか?)


 さて、自分に出来そうな仕事と言えば何だろう。

 この町からあまり離れられないとなると、かなり限定される。

 この辺りで短期で稼げそうなのは、伐採か石運びくらいか。


 大きな鉱山もないし、川もない。道路の敷設などもやっていない。

 魔獣退治があれば稼げそうだが、出ているという話も聞かないし・・・


(ギルドで掲示板を見た方が早いかな)


 と、立ち上がりかけた所で、ふと疑問に思った。


 そう言えば、勇者祭の参加者で、馬に乗った者はいるが、馬車は見ていない。

 荷馬と徒歩だけで移動する者も、数多くいる。

 マサヒデとトモヤもそうだったのだ。

 中には、荷馬さえ使わない組もいる。


 背で運ぶ荷は多くなるだろうが、馬車などいらない?

 いや、足の弱いクレールとラディがいる。

 この2人は、馬車に乗せる必要がある。


 小さな馬車でも、普通の馬で100貫、200貫は軽く運べるのだ。

 なら、1頭立て荷馬車で十分足りる。広さが大きめの4輪にすれば良かろう。

 あの大きな黒影だったら、余裕で運べるはず。

 小さい馬とはいえ、ヤマボウシもいる。あいつだって運べるのだ。


「あ、そうか」


 勇者祭はほとんど整備された街道で、町から町への移動。

 一度に長い距離の移動はしないのだ。どんなに長くても3日くらいか。

 なら、足がある者達なら、多少は背負うが馬車などいらない。

 人数の多い組でも、まともな荷馬が2頭もいれば十分だ。


 そもそも旅に出ようという祭なのだから、参加者は皆、足がある者ばかりだ。

 アルマダ達だって、5人で荷馬を使わず、ここまで1ヶ月移動して来たのだ。


 人の国から魔の国への『長い旅』という言葉で、ひたすら歩き続けるという思い込みがあったが、実際はそんな事なはい。普通に立ち寄った町や村で買い足していけば済む。


(じゃあ、大きな馬車は不要、と)


 1頭立ての荷馬車で足りるなら、それほど掛かるまい。

 幌を着けてもらって、その分かかるくらいか・・・


 食料は数日分積んでおけば良い。

 水はクレールがいくらでも出してくれる。

 他に必要な物は、着替えや寝袋、予備の得物、装備の手入れ用品。

 毛布や薪を数日分と、カオルが作った薬。


 全然荷物がいらない。

 クレールは15貫もないだろう。

 ラディも大柄とはいえ、20貫はないはず。

 シズクを乗せても、まさか3人合せて100貫ということはないだろう。


 御者をトモヤにして、歩いてヤマボウシを引っ張る役はシズクにする。

 これならさらに積める。


 シズクは歩きになるが、1日2日なら全く問題ないだろう。

 だが、そうするとシズクの片手が常に塞がる。

 ヤマボウシは、馬車に金具でも着けて、引っ掛けて引いた方が良いだろうか。


 200貫積めると考えても、余裕の重さだ。

 馬車の重さを考えても、黒影なら300貫は引っ張れるだろう。

 装備の予備も十分持っていける。

 クレールのドレスなどを積んでも平気だろう。

 馬車の金具や車輪の代えを積んでも平気だ。

 常歩くらいでゆっくり歩かせれば、適度に休憩を挟めば1日歩いて行ける。

 これなら、歩きのシズクも問題ない。


「ううむ」


 入れ込んで考えすぎていたようだ。

 大して長い移動などしない。

 ほとんど、数日歩けば次の村や町に着いてしまうのだから。


 腕を組んで唸っていると、カオルが部屋の外から声を掛けてきた。


「昼餉の支度が整いました」


「む、そうですか。行きます」



----------



 マサヒデが居間に入ると、既に皆が膳を前に揃っていた。

 クレールはいない。稽古をして、そのままギルドで食べてくるのだろう。

 米、味噌汁、きゅうりの浅漬、卵焼き。

 味噌汁と卵焼きの香りがふわっと漂い、急に空腹感を感じた。


「お待たせしました」


 す、と膳の前に座り、手を合わせる。


「いただきます」


「いただきます」「いただきます」「いただきまーす!」


 皆が手を合わせ、食事が始まる。


「お?」


 卵焼きを箸でつまんで切ろうとして、気付く。

 おや、これは?

 何か黒い物。少し弾力性があって、切りづらい。


「これは、海苔ですか」


 マツがにっこりと笑う。


「ええ。風味があって、中々良いのですよ」


「へえ・・・」


 口に入れてみると、箸では少し切りづらかったが、普通に噛み切れる。

 やや弾力のある、柔らかくなった海苔。

 噛むほどに海苔の風味が混じって、卵焼きの味が増す。

 小さく切って食べるだけで、米が進む。


「うん、これは美味い。これだけでご飯をいくらでも食べられる」


「ありがとうございます」


 がつがつ卵焼きで米をかきこみ、味噌汁を啜る。


「おっ・・・」


 口の中に残った海苔の風味が、味噌汁の味を変える。

 豆腐とねぎと油揚げだけの、簡単な味気ない味噌汁。

 それが、海苔の風味でぐっと美味くなる。


「うん、この卵焼きの海苔が良いですね。味噌汁も美味くなる」


「そうでしょう? きっとマサヒデ様の好みだと思いました」


「私も好き! この卵焼きは美味いね!」


 シズクが米粒を飛ばして大声を上げた。


「ふふ」


 小さくカオルが笑う。

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