第9話 完膚なきまでに


 マサヒデ達が帰った後、ジロウはマサヒデ達の動きを思い浮かべながら、何度も足を動かし、何度も木刀を振った。次に立ち会った時には、勝つために。


 夢中で木刀を振っていると、縁側に老人が立った。


「あ、父上」


「熱心なことだ。今日は面白い客が来たようだな」


「はい。あのマサヒデ=トミヤス殿が参られました」


「ううむ、もう少し早く来たら良かったな。儂も見たかった。

 で、どうだった」


「4人で参られまして、2本取り、3本取られました。

 この2本も、取れたと言って良いものかどうか」


「何? 2本も取れたのか? 儂は少し息子を甘く見ておったかな。

 完膚なきまでに叩きのめされると思ったが」


「いえ、完膚なきまでに叩きのめされました。

 ふふふ、父上、まずはこちらを御覧下さい」


 ジロウが道場の隅に歩いて行く。

 コヒョウエが付いていくと、壁に丸く穴が空いている。


「なんじゃ、この穴は。マサヒデ殿が斬って空けたか」


「いえ。これは棒で突かれた穴です」


「何? 棒で? もしやして、あの鬼娘殿か? 金棒でも持ってきたのか?」


「たしかに鬼の方ですが、ただの木の棒で突いた穴です」


「何だと? 木の棒でこんなに綺麗に? これは驚いたな・・・」


 す、と指を入れると、けっこう深く空いている。

 あと少し深ければ、完全に壁を抜いている。

 恐ろしい腕だ。


「ううむ・・・あの鬼娘、ただの力任せではなかったか・・・」


「世界中を回ったそうで、真剣勝負も何度もしたとか。

 これほどの恐ろしい腕前も、鬼族の運命を掛けた戦いのお陰でございましょう」


「鬼族の運命? 鬼娘殿は、種の命運を背負って、旅をしておったというのか?」


「はい。鬼族の住む地は、しばらく前から魔力異常の地になり、女しか産まれなくなってしまったそうです」


「ほう?」


「それで、種族を守るため、鬼に相応しい婿を探して世界中を探して回り、強者達と何度も。勝ったら婿に、という約束でも、相手に嫁が入れば頭を下げ、勝負を申し込んだことを深く謝って・・・」


「なんと、そうであったか・・・うむ・・・」


 コヒョウエは深く頷いた。

 鬼族は数少ない。男がいなくなれば、すぐに世界から消えてしまうだろう。

 あの鬼娘の肩には、自分だけでなく、種族全体の命運が乗っていたのだ。

 それでも、相手に嫁がいれば、引き剥がすような事をせずに・・・


「しかし、それも魔力異常の地から引っ越せば済む話で」


「む、確かにそうだが・・・もしや?」


「ふふふ。今まで、鬼族の誰一人として、それに気付かなかったそうですよ」


「はーっはっは! それはまた! そうであったか! ははははは!

 あの鬼娘殿も、それに気付かず、世界中を回っていたか!」


「それに気付かせてくれたのが、あのマサヒデ殿だそうです。

 マサヒデ殿は鬼族の救世主だとか、後世まで語り継がれるとか。

 皆で鬼の地に銅像を立てるなどと、それはもう目を輝かせて」


「はっはっは!」


 コヒョウエは手を叩いて笑った。


「あ、父上。茶でも淹れて参りましょう。しばし」


「うむ」


 縁側に戻り、足を降ろして座る。

 引っ越しの話だけで、鬼族の救世主とは。

 あの若造、中々やるな、とにやにやしていると、ジロウが茶を持ってきた。

 コヒョウエの隣に座り、茶を差し出す。


「むう、相変わらず渋茶じゃの。茶菓子もないのか」


「申し訳ありません」


「で、その鬼娘殿には勝ったか」


「まあ、何と言いますか、一応・・・」


「何じゃ、歯切れの悪い。何があった」


「あの壁際に追い詰められ、穴が空き、棒を引く所に合わせて踏み込んで、小手を取りました」


「ほう」


「ですが、叩いた小手がそれは固くて・・・

 手首を砕くつもりで入れたのですが『いて』っと一言。

 あれは真剣でも斬れたものかどうか」


「ははははは!」


「参りましたとは言ってはいましたが、全然効いておらず、叩かれた手で普通に棒を持って下がっていきました。あれには驚きましたよ」


「そうじゃろうな! ははは! 鬼族と立ち会えて良かったな。

 真剣勝負であったら、お前の顔に穴が空いておったな!」


「全くです。あれは一本取れたとは、とても」


「ふふふ。で、他には」


「忍の方と立ち会う事が出来ました」


「ほう。忍か」


 あのメイド姿の者かな。

 随分と驚いていたな、と、にやにやして茶を啜る。


「棒手裏剣を投げてきまして、これがまた見事。

 半身になった後ろの手から、正確に私の顔めがけて飛んできまして。

 こう、剣を上げて弾いたのですが・・・」


 くい、とジロウが手を動かす。


「弾いたと思ったら、ほんの少し上がった剣の下に跳び込んで参りまして。

 恐ろしい速さで下から小手を斬り上げてきまして、上段に上げて、何とか」


「ほう。躱せたのか」


「躱したと思ったら、逆の手でナイフを抜いて・・・完全に剣の内側でした。

 これは躱せない、と、慌てて柄頭を頭に叩き付け、何とか一本」


「ようやったではないか」


「鼻先をナイフが掠めていきました。毛ほどの差しかありませんでした」


「良い立ち会いが出来たな。で、次は」


「トミヤス流の、ハワード殿です」


 コヒョウエが驚いて顔を上げる。


「何? ハワード? アルマダ=ハワードか?」


「はい」


「トミヤス道場の高弟中の高弟ではないか・・・

 マサヒデ殿と1、2を争うと噂される御仁じゃぞ。立ち会う事が出来たのか」


「はい」


「で、さすがにアルマダ殿には取られたか」


「はい。完全に取られました。あれは一足一刀の間合いでした。

 踏み込んで来て、突き入れて来ると思い、私は払い下げようとしました。

 が、踏み込んで来ただけで、剣は残っており、私の払い下げは空を斬りました」


「ほう。で、突き込まれた」


「はい。何とか突きは躱しましたが、皮一枚。袖の上を掠めていきました。

 掠めた私の腕の上から斬り上げが襲ってきて、顎先でぴたりと」


 立ち会いが目に浮かぶようだ。

 腕を組み、コヒョウエが険しい顔で頷く。


「ううむ。見事じゃ。突いた剣を腕の上に置いて、お前の手を封じたか・・・」


「完全に一本取られました」


「して、マサヒデ殿はどうじゃった」


「マサヒデ殿には驚きました。

 無心というか、無形に剣を下げた身体は、完全に力が抜けておりまして。

 向かい合った瞬間、あ、これは負けると感じました」


「ほう。で、参った、降参、か」


「いえ、せっかくの稽古ですし、思い切り打ち込んだのです。

 そうしたら、何と足譚で私の木刀が叩き落されまして」


「何、足譚だと? あの御仁は足譚を使うのか? 滅多に見られる技ではないぞ」


「私も驚きました。前のめりに倒されてしまって・・・

 顔を上げると、無形のままのマサヒデ殿が立っており、一本です」


「ふうむ・・・末恐ろしいの・・・」


「マサヒデ殿は、聞けばまだ16とか。

 私と同じ歳になる頃には、遥かに上を行っておりましょう」


 ずず、とコヒョウエが茶を啜り、ぐいっと飲み切る。

 飲みきった湯呑に茶を足す。


「そういえばジロウ、お主が剣を始めたのはいくつであったかの」


「13です」


「マサヒデ殿は、物心付いた頃から、父に木刀を握らされておったそうじゃ。

 歳こそ若いが、剣の修行の長さは、お主と大して変わらんぞ」


「そんなに幼い頃から・・・」


「ジロウ、足譚を見たのだろう。お主に使えると思うか」


「とても出来るとは思えません」


「向かい合った時、負けると感じたのだろう」


「はい」


「では、今までのお主の修行は、マサヒデ殿より遥かに甘かったということだな」


「はい」


「うむ。そういうことだ。分かっておれば良い。

 で、3本取られたと言ったな。もう1本もマサヒデ殿か」


「いえ、忍の方に取られました。恐ろしい技を見せてもらいまして・・・

 恥ずかしながら、腰を抜かしてしまい・・・顔から血の気が引きました」


「ほう? どんな技だ? 分身の術でも見せてもらったか」


「それが・・・どう説明したものか、見ていた私にも全く・・・

 私の目の前に立ち、薙ぎ払ってくれ、と言われまして」


「で? 霞にでもなったのか」


「それが、確かに当たったのです。当たったのですが、完全に空振りをしたように全く手応えがなく、そのまま壁まで吹き飛んでいったのですが、壁に当たった音もせず、変わらぬ格好で立っておりまして」


「お主の振りに合わせて跳んだ、という訳ではないのか」


「はい。そして、また、私の前に立ち、今度は動くな、と。

 で、跳び上がって私の腕の上に立ったのですが、なんと全く重さを感じず」


「何? お主の腕の上に立った? なのに重さを感じなかった?」


 コヒョウエが驚いて顔を向けた。


「はい・・・一体、どういう技なのか、全く・・・

 腕の上に立った姿を見て、声を上げて驚き、腰を抜かしてしまいました」


「ううむ・・・」


 コヒョウエも腕を組んで唸ってしまった。

 何度か忍とも戦ったことはあるが、そんな技は見たこともない。

 軽身功の一種だろうか・・・


「恐ろしく集中しており、気力も随分と消耗するようで、そのたった2回でばたりと膝をついてしまいましたが・・・まだ体得していないのだ、と」


「まだ・・・か。体得している者もいる、というわけだ」


「マサヒデ殿の身の軽さにも驚きましたが、足譚とは全く違う技術です。

 あんな技を身に付けた者には、とても勝てる気がしません。

 そもそも、技と言っていいものなのか・・・斬れるものかどうかも・・・」


「・・・恐ろしいの。世の中、まだまだ上には上がある、ということか」


「はい。完膚なきまでに叩きのめされました」


「そうか。よい稽古をつけてもらったな」


「はい」

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