第3話 あの老人、何者・3


 翌朝早く、同心のハチが魔術師協会の門を叩いた。


「おはようございます!」


 庭で素振りをしていたマサヒデが、玄関に回る。

 ここに来たということは、殺しの件は解決したのだろう。


「やあ、ハチさん。おはようございます」


「あ、これはトミヤス様。早くから申し訳ありません」


「構いませんよ。ここに来られたということは・・・」


「はい。全て解決しました。昨晩、勘定方が全部引っ捕らえたと報せが」


「おお、そうですか。良かった」


「で、こちらタニガワ様からお預かりして参りました」


 ハチがすっと袱紗に包まれた包みを差し出す。


「これは、わざわざお気を使って頂いて」


「今回は私共も大変お世話になりました上に、トミヤス様には危うい事に・・・

 本当にありがとうございました」


 深くハチが頭を下げる。


「いや、そんな。頭をお上げ下さい」


「は・・・」


「む」


 ちらりとマサヒデに昨日の老人の顔が浮かぶ。

 ハチはこの町の同心。当然、ここらには詳しいだろう。

 尋ねれば、あの老人の事が分かるだろうか。


「ハチさん、ちょっとお時間ありますか。

 この件には全く関係ないのですが、お聞きしたいことが」


「私で分かる事でしたら、何でもお答えしましょう」


「では、お上がり下さい」


 ハチは一歩踏み出し、


(あ! しまった!)


 そうだ。ここは魔術師協会だ。

 あの恐ろしい魔術師・・・マツがいるのだ・・・


「い、いえ。ここで・・・」


「ご遠慮なさらず。茶など出しますので。良かったら、一緒に朝餉でも」


「さいですか・・・では失礼を・・・」


 つつー・・・と、ハチの背中に冷たい汗が流れていく。

 マツの話は色々と聞いている。

 人の国にいる魔術師では、3本の指に入る魔術師だそうな。

 音もなく人を消してしまうとか、山も軽く更地に出来るとか。

 恐ろしい気を放ち、その気に触れただけで、正気を失うとか・・・


(気を付けなければ・・・)


 玄関をからからっと開けて、マサヒデは中に入っていく。

 恐る恐る、通された居間に座る。


「?」


 縁側の向こうの庭で、鬼族の女とメイドがゆっくりと素振りをしている。

 動きがすごく遅い。


「トミヤス様、あれは・・・」


「ああ、ちょっとした素振りです」


「素振り?」


「ははは。ちょっと上の素振りってやつです。ハチさんも一度試してみて下さい。

 ゆっくり振るのって、ものすごくきついんですよ」


「へえ・・・そんなもんですか。今度やってみましょう」


 鬼とメイドが一緒に素振りをしている所に驚いたのだが・・・

 す、と黒髪の女が入ってきて、茶を差し出した。


「おはようございます。朝早くから、ご苦労さまです」


 ぎく、とハチの身体が固まる。


「! ・・・お、おはようございます」


 マツだ・・・この女が・・・

 タニガワ様は寛大な方と仰っていたが・・・

 ごく、と喉が鳴ってしまう。


「あ、マツさん。これ、お奉行様からのお土産だそうです」


「まあ、お奉行様が? 何かしら。

 お奉行様は粋な方ですから、期待してしまいますね。うふふ」


「・・・で、トミヤス様、お聞きしたいこととは?」


「昨日、見たことのないご老人が訪ねて来たのですが、これがまた尋常の腕ではない方でして。ハチさんなら知ってるかと」


「尋常の腕ではないご老体・・・」


 はた、とハチが膝を叩く。


「あ、もしかして、背の小さい?」


「ええ、そうです」


「で、何か仰っておられましたか?」


「息子が道場をやっているから、叩きのめしてくれと」


「ははは! そうでしたか! いや、あの方らしい!」


「ご存知の方ですか」


「ええ。何度かお世話になったことがあります。

 悪い方ではございませんので、ご安心下さい」


「お名前はご存知ですか? 歳からして、父上が若い頃にお世話になった方かと」


「ははは! 道場に行ってみて下さい! トミヤス様ならすぐに分かりますよ!

 ついでにご子息と稽古でもしてきては。ご子息もすごい腕ですよ」


「ほう・・・すごい腕ですか・・・」


 むくむくとマサヒデの胸に興味が湧いてくる。

 すごい腕の者がいるのか・・・


「ええ。きっと良い稽古が出来るはずです。こう言っちゃなんですが、小さな貧乏道場ですし、町からも遠いですから、今まで知らなかったのも無理はありませんね。きっと、カゲミツ様もこんな所にあの方がいるなんて、ご存知ないでしょう」


「やはり、父上がお世話になった方でしょうか?」


「おそらくそうでしょう。若い頃は、そりゃあもう名を馳せたお方です」


「ううむ・・・やはり・・・」


「後でカゲミツ様にお知らせになってみては?

 きっと『あの人がこんな所に!?』って驚くに違いありませんよ! ははは!」


「父上が驚く程の方ですか・・・恐ろしい腕の方だと思いましたが」


「そりゃあもう! トミヤス様もきっと驚きますよ!」


「道場は、ここから遠いのですか?」


「ええ、ちょっと離れてますね。

 歩きだと、今すぐ発ったとして、トミヤス様の足で急いでも昼は過ぎましょう」


「そうですか。じゃあ、慣らしも兼ねて、馬で行ってみましょうか」


「おお、馬といえば、トミヤス様はそりゃあすげえ馬をお持ちだとか。

 タニガワ様からお聞きしました」


「運良く捕まえられたんです。自分で言うのもなんですが、良い馬ですよ」


「よろしければですが、お見せ下さいますか?」


「良いですとも」


 かちゃかちゃと音を鳴らし、マツが膳を運んでくる。


「些細な物ですけど、お口に合えば」


 う! やべえ・・・

 機嫌を損ねたらまずい!

 ハチがぐっと頭を下げる。


「これはマツ様みずからとは。恐縮です」


「さ、マサヒデ様」


「ありがとうございます。さ、ハチさん、どうぞ」


「すいません。じゃ、遠慮なくいただきます」


「いただきます」


 落ち着いて膳を見て驚いた。

 あのマツ様の朝餉とは、こんな素朴なものだったのか。

 飯に、汁に、漬物だけ。

 前に座るマサヒデも普通に食べている。

 この素朴な朝餉が、あのトミヤス様とマツ様の普段の食事・・・


 椀を開けると、根深汁。

 ずずー・・・


「お、こりゃあ・・・」


 たっぷりの、大きく切られた白ねぎ。

 味噌はあわせか。ねぎは軽く焼いてあり、焦げ目が付いている。

 口に入れると、味噌の味。じんわりと広がる、ねぎの香り。

 だが、この旨味とまろやかさは・・・


 正面のマサヒデも、まるで子供のように無邪気な顔で、根深汁を口に運び、がつがつ飯をかきこんでいる。


「むう、美味い・・・マツ様、こりゃあただの根深汁じゃありませんね。

 この焼いてあるのがまた・・・」


「あら、お分かりになりますか。さすがハチ様。

 軽く焦げ目をつけておくのがコツなんです」


「ううむ、こりゃすげえ。この根深汁だけで、いくらでも飯が腹に入りそうだ」


 すんすんと鼻を鳴らし、うん、と頷いて、ハチも飯をかきこむ。

 マサヒデもハチも、夢中で根深汁をすする。


(あ)


 ねぎを次々と放り込んでいった所で、小さな物がハチの目に映った。

 たっぷりのねぎの下、椀の底に、小さな鶏皮。

 旨味とまろやかさの秘訣はこれだったのだ。


 多くの食事は、肉が主役。

 この根深汁では、肉はただの小さな脇役。ねぎの引き立て役なのだ。

 香ばしいねぎの香りで、この鶏皮に気付かなかった・・・


「やあ、マツさん。美味しかったです。ごちそうさまでした」


「ふーう! こんな根深汁は食ったことがねえ。飯が進むったらねえや・・・

 っと、失礼しました。さすがマツ様です。

 ふふふ、分かりましたよ。この美味さの秘訣はもう一つ」


 ハチは、ちょい、と小さな鶏皮を箸でつまみ上げる。


「これですね?」


 マツがにこやかな顔で、手を合わせる。


「さすがハチ様! 獣人族の鼻は誤魔化せませんね!」


「いや、見るまで分かりませんでしたよ。ねぎの香りですっかり騙されました。

 飯はタニガワ様に鍛えられたつもりでしたが、こりゃ一本取られました」


「ははは! 一本ですか!」


「うふふ。お褒めいただき、ありがとうございます」

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