第2話 あの老人、何者・2


「只今戻りました」「ただいまー」「只今戻りました!」


 マサヒデ、シズク、クレールの3人が訓練場から戻ってきた。


「おおおお帰りなさいませ! ご、ごご、ご主人様!」


「む、どうされました?」


 カオルの様子が只事ではないことを語っている。

 シズクもクレールもはっとして、顔が引き締まる。


「はっ! も、申し訳ありません・・・まずはお上がりを!」


 居間に上がると、カオルが急いで入ってきて喋り出した。


「つい先程、怖ろしい者がご主人様をお訪ねに!」


「怖ろしい者? ははは、父上ですか?」


「いえ、初めての方です。老人です。50半ばから60くらいの、小柄な方で」


「ふむ?」


「あ、あれは、カゲミツ様並の腕の方かと!」


「お父様並の方が!?」「嘘だろ!?」


 シズクもクレールも驚いて顔を上げる。


「・・・父上並の・・・立ち会いの所望で?」


「いえ、カゲミツ様とお知り合いで、ご主人様の顔を見に来た、と」


「ほう・・・父上の知り合いですか・・・

 では、年齢からして、父上が若い頃にお世話になった方かもしれませんね」


「レイシクランの忍まで全て看破されておりました!

 ご主人様、あれは只者ではありません!

 間違いなく、カゲミツ様並の腕の方です!」


「そうですか。まあ、立ち会い所望じゃないなら、そんなに驚くこともないでしょう。話の流れでそうなったら、負けを認めれば良いだけの話」


「ご、ご主人様!? そんな悠長な! もう間もなく来ますよ!?」


「そうですか。じゃあ、良い茶と菓子をご用意しておいて下さい」


「ご主人様!?」


「大丈夫ですって。別に、殺気満々で来たって訳じゃないんでしょう?」


「そうですが! あれは尋常ではありませんよ! 万が一にでも!」


「まあ、そうなったら、そうなった時です。

 みんなして逃げて、マツさんに吹き飛ばしてもらえば良い」


 すー、と襖が開く音がして、マツが出てくる。

 なんの騒ぎだ? と胡乱な顔だ。


「何を吹き飛ばすんですか?」


「ああ、先程、何やら腕利きの方が来られたそうですよ。

 それで、カオルさんが慌ててしまいまして」


 カオルの顔は真っ青。シズクもクレールもぴりぴりしている。

 だが、マサヒデはいたって落ち着いている。

 全く平素と変わりがない。


「はあ?」


「さあ、カオルさん。お茶とお菓子の用意をして下さい」


「は、はい」


 カオルは立ち上がり、台所に行った。


「随分と腕の立つ方のようで、レイシクランの方々まで看破されてしまったとか。年配の方で、父上とお知り合いらしいですし、おそらく、父上が若い頃にお世話になった方では、と思うのですが」


「はあ・・・そうですか。特に立ち会い所望というわけでも?」


「ええ。で、まあ話の流れでそうなってしまったら、私の負けです、で済ませれば。

 済まなかったら、マツさんに吹き飛ばしてもらおうかなって」


「うふふ。カオルさんも心配しすぎですよね」


「目の前で、自分だけでなくレイシクランの方々まで、皆が看破されたとなれば、カオルさんが驚くのも無理はないと思いますが」


「職業柄、仕方ないですね」


「ええ」


「マサちゃん、ほんとにそんな人と立ち会いになったら、どうするのさ」


「そうです! マサヒデ様、危険です!」


「私の負けですって、頭を下げればいいじゃないですか」


「ええー? 何もせずに?」


「そうですよ」


「何それ?」


「じゃあ、私の代わりに、シズクさんがやってもらっても良いですよ。

 あなたが負けたら私の負けって事で」


「カオルがカゲミツ様並って言ってたじゃん。私じゃ負けちゃうよ」


「ええ。私もです。だから、勝負って言われたら、負けですって言います。

 ラディさんもいませんし、怪我なんかしたら大変じゃないですか」


「なーんか納得いかないなあー」


「負けなんですか?」


「そういうもんですよ。ねえ、マツさん?」


「私には剣は分かりませんけど、そういうものではありませんか?」


「そうかなあ」


「そうなんですか?」


 からからから。


「失礼」


 男の声。


「あ! 来たよ!」


 マサヒデは立ち上がり、玄関に向かう。

 「ご主人様!」とカオルの声がするが、自分の客なのだ。

 それも、父上並・・・剣聖並の。自ら迎えねば。


「マサヒデ=トミヤスです。先程は不在で、申し訳ありません」


 ぺこっと頭を下げる。


「や、そのような・・・頭をお上げ下さい。

 こちらこそ、急に押しかけて申し訳ございません」


「どうぞお上がり下さい」


「では」


 居間に通し、座布団に座ってもらう。

 少しして、真っ青な顔のカオルが茶と茶菓子を運んでくる。


「ど、どうぞ・・・」


 マサヒデ達の前に、茶が並ぶ。

 カオルの手が小さく震えている。


「むう・・・」


 老人は、マサヒデ達の顔を静かに見回す。

 部屋に沈黙が降り、緊張が高まる。

 じっと待っていると、突如老人は大声で笑い出した。


「はっはっは! や、これはこれは、皆様美人揃いで!

 あの真剣師殿が怒ってしまう訳じゃ! はっはっは!」


 かくん、とマツとクレールの肩が落ちる。


「あ、トモヤから聞きましたか」


「マサヒデ殿は、爪を隠して女を口説いてばかり、と言っておりましたぞ!

 はっはっは!」


 シズクが茶菓子をごくっと飲み込み、老人に目を向ける。


「爺ちゃん、私も美人なの?」


「それはもう。鬼族の方と聞いて驚きましたが、こんなに美しい方とは思いませんでしたな」


「そ、そう? そうかな? はは、照れちゃうな・・・」


 シズクは顔を赤くして、頬をかいて庭に顔を向けてしまった。


「して、本日はいかなるご用件で」


「ああ、カゲミツ殿のご子息と聞いて、お顔を見られればと」


「あ、そうでしたか。まあ、茶でも飲んで、ゆっくりしていって下さい」


「では、頂きましょうかな」


 なんだ、カゲミツの知り合いか。

 マツもクレールも、ほっとして湯呑を取る。

 ずずー・・・


「む! これは・・・」


 ぴく! とカオルの動きが止まる。


「いかがされました?」


「ブリ=サンクの、サン落雁では・・・」


「ああ、ちょっとした縁がありまして。たまに分けてもらってます」


「おお、やはり! 私、このサン落雁には目がありませんでな」


 ぼりぼりと落雁を食べる老人。


「カオルさん、まだありましたよね」


「は・・・」


 す、と落雁が差し出される。


「や、これはありがたい。遠慮なく」


 にこにこと落雁を食べる老人。

 その様子を、笑顔で眺めるマサヒデとマツとクレール。


(カオルさんの言う通り・・・この老人、只者ではない)


 一見、脇差を差している、ただのご隠居。

 見た目は隙だらけだが、剣気が全部外される。

 カオルもそれを感じているのか、真っ青な顔で汗が幾筋も流れている。

 先程照れて庭に顔を向けたシズクも、額に汗を垂らしている。


「カオルさん。落雁、いくつか包んで差し上げて下さい」


「は」


「おお、お土産まで。これはこれは。お急がずとも『いつでもよろしいですぞ』」


 とん、と老人が指先で脇差をつつき、にやりとマサヒデに顔を向ける。

 ぴりぴりと警戒しながら、台所に下がっていくカオル。

 庭からも、警戒心をはっきり感じる。

 レイシクランの忍も、気配を隠せないほどに緊張しているようだ。


「カオルさんは、申し訳ありません。職業柄どうしても・・・」


「いやいや。構いませんとも。まだお若いようだ。あれくらいでちょうど良い」


 す、と湯呑を取って、ゆっくり茶を啜る老人。

 カオルが戻って来て、老人の前に小さな包を置いた。


「や、これはありがたい。良い土産が出来ました。

 では、そろそろお暇しましょうかな」


「よろしかったら、今度は私の知らない父上のお話でも聞かせてもらえますか」


「はっはっは。カゲミツ殿も、お若い頃はやんちゃ坊主でしたからな。

 いくらでもお話がございますぞ」


「ははは! やんちゃ坊主ですか! 父上は昔も今も変わりないんですね」


「今もお変わりありませんか! はっはっは!」


 老人は立ち上がり、マサヒデも玄関まで送りに出る。


「おお、そうだ」


「何か」


「うむ、私の息子が小さな道場をやっておりましてな。

 良かったら、顔を出してもらえませんかな。息子を叩きのめしてやって下され。

 あの真剣師殿がおられた寺の道を、ずっと行った所に」


「分かりました。近日中に、必ずお伺い致します」


 老人は「では」と軽く頭を下げて、去って行った。


 居間へ戻ったマサヒデは、がくっと座り込む。

 続いて、シズクがふうー・・・と長く息をつく。

 カオルは真っ青な顔のまま、玄関の方を向いている。


「何者だったんだ・・・あんな方が、この近くにいたのか・・・」


「ご主人様、調べておきますか」


「いや、やめておきましょう。きっと、若い頃は名を馳せた方のはず。旅のご様子でもないし、引退したのか、何らかの理由で、この町か、町の近くに隠遁しておられるのでしょう。知りたければ、父上に手紙を送れば良いだけです」


「は」


「別に敵意がある訳でもないご様子。

 お近くに住んでおられるようですし、また会うこともあるでしょう」


 マサヒデは険しい顔で腕を組んで、しばらく黙った後、顔を上げた。


「ご子息が道場をやっておられるとか・・・行ってみますか」


「どのようなお方でしょうか・・・」


 たらたらと汗を垂らす3人を見て、マツとクレールが「何だったんだ?」という顔で皆の顔を見回し、湯呑を口に運ぶ。何もなかったではないか。


 世には、まだまだマサヒデの知らない強者がいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る