第20話 アンリエッサと呼んでくれ
「あ、アンリエッサ嬢? 大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です……先ほど、鼻をぶつけてしまったもので」
ウィルフレッドの着替えを見て鼻血を噴いてしまったアンリエッサ。
今度は幻術では隠しきれず、部屋の椅子に座ってハンカチを鼻に当てていた。
テーブルを挟んで対面の椅子には着替えを終えたウィルフレッドが座っており、心配そうにアンリエッサを見つめている。
「そうか……大丈夫だったら、良いんだ」
「お気遣い、ありがとうございます……ウィルフレッド殿下の方こそ、起き上がって大丈夫なんですか?」
「ああ、うん。今日は朝からとても気分が良いんだ。いつもは執事やメイドに手伝ってもらうんだけど……今日は自分一人で着替えることができた」
ウィルフレッドがニッコリと嬉しそうに笑う。
向日葵のような笑顔に鼻血がぶり返しそうになるのを、アンリエッサはどうにか堪える。
「それは良かったです」
「昨日もそうだけど、今日はもっと体調が良い……もしかして、アンリエッサ嬢が幸運を運んできてくれたのかな?」
「光栄です……!」
冗談めかして言うウィルフレッドに、アンリエッサは胸が満たされるのを感じていた。
(ああ……あの女、ウィルフレッド殿下を呪っていた側妃を殺して本当に良かった……!)
「今から朝食を運んできてもらおうと思っているんだけど……もしもまだだったら、アンリエッサ嬢もどうかな?」
「いただきます」
本当は朝食をすでに食べているのだが……アンリエッサは一も二もなく頷いた。
「それじゃあ、アンリエッサ嬢の分も頼んでおくね」
ウィルフレッドがベルを鳴らして、メイドを呼び出した。
やってきたメイドはウィルフレッドが起きていることに驚いていたが……すぐに朝食を運んできてくれる。
「それじゃあ、いただこうか」
「はい、とても美味しそうですね」
しばらくして、テーブルの上に朝食が並べられた。
アンリエッサにとっては二度目となる朝食の時間である。
(ウップ……さすがに、二回目はきついですね……)
アンリエッサはそれなりに食欲旺盛であるものの、さほど間を置くこともなく二度も朝食を摂るのはさすがにきつかった。
それでも、目の前でウィルフレッドが嬉しそうな表情で食事を食べているのを見ると、不思議とスプーンが進む。
(この光景だけでごはん三杯はいけますね。本当に可愛らしい……!)
改めて、ウィルフレッドはとても可愛い。
西洋人形のように端正な顔立ちをしており、瞳に宿った優しげな色がアンリエッサのことを癒してくれる。
こうして向かい合わせで座っているだけで、鼻血を出したことによるダメージが回復していきそうだった。
「いつもはこんなに食べられないんだけど……不思議だね。アンリエッサ嬢と一緒だと、いつもより食が進むよ」
スープをスプーンで掬いながら、ウィルフレッドが穏やかに微笑む。
「昨日は突き放すようなことを言ってしまったけど……本当に、アンリエッサ嬢と会えて良かったよ」
「そう言ってもらえると興奮……ではなく、とても嬉しいです」
アンリエッサは感極まりながら、「ところで」と言葉を続ける。
「いちいち、『嬢』などと付けずとも構いませんよ? 私達は婚約者になったのですから、どうぞ気軽に呼んでください」
「えっと……良いのかな。それじゃあ……アンリ」
「ブホッ……」
呼び捨てどころではなく、愛称で呼ばれてしまった。
アンリエッサが椅子に座ったまま身体をのけぞらせ、またしても鼻血が出そうになる。
「アンリ?」
「だ、大丈夫です……はい、大丈夫ですとも……」
「フフッ……嬉しいなあ。実はこうやって、同年代の友人を愛称で呼ぶのに憧れていたんだ。アンリが初体験だね」
「グブブ……」
どうして、この王子はアンリエッサの弱い部分をピンポイントで付いてくるのだろう。
アンリエッサはたび重なる連続攻撃にノックアウト寸前になっていた。
「アンリも僕のことを『ウィル』って呼んでくれないかな?」
「そ、そんな……恐れ多いです……」
「いいから。さあ、呼んで」
「で、では……」
アンリエッサは胸に手を当てて呼吸を整えてから、要望通りにウィルフレッドを呼ぶ。
「ウィ……ウィル様……」
「うん!」
「はうッ……!」
ウィルが太陽のように笑った。
その笑顔の破壊力に、アンリエッサは耐えることができずにノックアウトされたのである。
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