21.救ってくれる人はいる

 退院2日前になっても私は『ストーカー』や『ばあちゃん』に付き纏われることに悩んでいた。


 その日の午後も例の如く、ホールで本を読みたいのにストーカーから逃げ惑いながら過ごしていた。

 彼も病状が悪くてそうしてしまうことは知っているから看護師に逐一報告するものの、これまでに何度

「あの方にしつこく付き纏われていて……」

と看護師に言っても、面倒臭そうに対応されるのがオチだったし、私が荒ぶって『自分で自分を救うしかない』と結論を出した一件から看護師が救ってくれることにはもう期待していない。

 だから、半ば諦めつつもナースステーションの中にいた一匹チワワにSOSの視線を送ってみた。


 彼はすぐに私の『助けて』アピールに気づきステーションから出てくると、事情を聞いて

「じゃあ一緒にホールに戻ろう」

と着いてきてくれた。


 ホールに戻り、私はストーカーから離れた隅の方の席に座り一匹チワワがどうするのか様子を見ていると、彼はストーカーと私のちょうど真ん中あたりの椅子に何気なく座った。

 暫くして、ストーカーが私に向かって来ようと立ち上がり歩き始めたところで、一匹チワワおもむろに

「(ストーカー)さん、どうされました? お部屋戻ります?」

と話しかけ、ストーカーがまごまごしているうちに私から引き剥がして病室に誘導してくれた。


 もう誰も気づいてくれない、助けてくれないと諦めたのに。

 他人は “使う” ものとして、私自身も同様に “使われる” ものとして。そういう恩義とも言えないような冷たい互助で社会は成り立っているのだと。結局は、自分一人で進んで生かなければならないのだと、腹を括ったのに。


 自分が信頼できると感じた人たちに助けを求め続けていれば、その中に救ってくれる人は必ずいるのだと、最後の最後に気付かされた。

 ――まだ諦めるには、早いのかもしれない。




 退院までの数日を使って、特に頼りにして何度も相談にのってもらったり、仲良くなったりした看護師さんや職員さん数名に感謝のお手紙を渡し(“入院あるある” をやってみたかった!)、その見返り(笑)として『激励のメッセージ』を一筆「最後にわがまま聞いてくださいよ〜」とお願いした。

 この『一筆』は、神戸ショコラによって『寄せ書き』と命名された。ただのルーズリーフだったのだけれど。

 皆さん、特に男性陣は、それぞれとっても個性が強く、とっても温かいメッセージをくれた。署名入り。

 額縁に入れて、自室のいつでも見える位置に飾ってある。ふとした時に、皆さんの優しさや苦しみ抜いた入院生活を思い返して踏ん張る活力剤になっている。




 退院当日は、午前のうちに病棟を出る予定だった。

 いつも通り朝4時ごろに目を覚まし、日課のストレッチと筋トレをした後、身支度を整えてまだ暗いホールで明かりが点くのを待った。

 朝食後はホールで紅茶を飲みながら本を読み、『こちら側』から見る最後の窓の景色を楽しんだ。


 誰にも気づかれず、埃のようにスッと居なくなりたかった。他の患者さんにもあまり伝えずにこの日を迎えた。


 ――のに、読書中に急に担当医がやって来て、

「雨季さん、いよいよ今日で退院ですねぇ!」

と、ご丁寧に挨拶してくださった。ホールの真ん中で。わりと大きめな声で。最悪。

 ホールに居た他の患者さんの視線が痛くなり、いそいそと病室に戻った。


 病棟を出る直前、振り返ってみたが、そこは “何も変わらない” いつもの病棟だった。

 私の病室は掃除され、すぐに新しい患者が入るのだろう。

 そしてまた、その患者も怯えながら病棟の一部となり、ここの生活は続いていくのだ。




 今日もあの病棟で、患者が泣いたり叫んだり怒鳴ったり、看護師がSECOMしたりポイズンしたりすっとぼけたりして、変な夢のような世界が営まれている。


 それは決して遥か縁遠い世界ではなく、社会の端っこに確かにある場所だ。

 いつ誰がどんな理由で足を踏み入れることになるかなんて、分からない。

 苦しんでいる人たちは身近にいる存在であり、その苦しみは今まさに自分に迫ってきているかもしれない。

 

 電車の中で、お店の中で、歩いている道端で、「なんて非常識なヤツだ!」と腹を立てることは今後数え切れないほどあるだろう。

 その相手も苦しんでいるのかもしれない、その苦しみが自分の身に起こるかもしれない、ということを、ここまで読んでくださった方がほんの少しでも思い出してくれたら嬉しいと思う。

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