19.外泊②

 私がうつ病になり、一時は生きることを諦めて閉鎖病棟に入院した、という実情を知って度々連絡をくれる友人が何人かいた。


「退院したら〇〇に旅行に行こう」

「早くそんな場所から出てこい!」


 などなど、電話やSNSで話して元気をもらっていたが、やはり本当に苦しい時に助けを求めることへの罪悪感は簡単には拭いきれない。


 苦しい。誰かと話したい。苦しんでいることを伝えられるだけでいい。でも昨日も電話してもらったじゃないか。人は毎日働いていて忙しいんだ。私なんかのために時間を削って暗い話を聞かせるなんて申し訳ない。私なんかここでずーっと何もせずに過ごしているだけなのだから……


 笑い話にできるような愚痴は周りに言えるけど、本当に苦しい時にその苦しみを他人にも背負わせてしまうのは申し訳ない。

 「助けて」という言葉の呪いに囚われてほしくないし、助けないという選択をすることでの罪悪感も持たせたくない。

 「助けて」という言葉は追い込まれた時に発するが、その言葉は投げかけた相手のこともまた違う意味で追い込んでしまうのではないだろうか。


 今もこの考え方は自分の根底にあるし、その正誤は分からないけれど、この時期は特にこのが強くなっていたのだと思う。


 『考え方のクセ』というのは入院して学んだ最も大事なことの一つだ。

 人の感情や行動は自身の考え方に大きく影響される。

 「きっと上手くいかない……」と勝手に先読みしたり、「あの人に嫌われているんじゃないか」と深読みし過ぎたり。「〜すべき」や「〜しなきゃ」という “べき思考” は多くの人が持っている『クセ』ではないだろうか。他にも完璧主義や自己批判、思い込みなど、考え方にはさまざまなクセがある。

 これの厄介なのは、ストレスなどで心身の調子が悪い時にクセが強くなってしまうことだ。

 講義では、ちょっとした心理検査に答えて自分の考え方のクセをチャートに表してみる作業があったのだが、私の結果はとても綺麗な正多角形だった。大きめの。

 はい、トンデモクセつよ人間でした。


 しかし、大事なのは、この『クセ』は『個性』と言い換えることができ、“治さなければいけないものではない” ということだ。

 私なんかはよく、完璧主義的な考え方で自分で自分の負荷を大きくしてしまうクセが大嫌いだったが、これも私の愛すべき『個性』なのだ。

 考え方のクセを自分自身のアイデンティティとして理解し、上手く付き合っていくことが大切なのだと教わった。

 これを学んでから、私も自分が落ち込んでいる時など

「私ってこういうことを〜と捉えて落ち込むのか」

と俯瞰して興味深いと思えるようになった。


 ——とはいえ、入院中の本当に苦しい時なんてそんなことは頭に残っていない。


 やっぱり辛い。人様に迷惑をかけるくらいなら自分を傷つけたほうがまだマシだ。どうせもう痕は付いているし痛いのは自分だけだから……


 祖父の納骨以来、リストカットに頼ることをやめられなくなっていた。


 自傷行為をしてしまう人間の思考が分からない、という考えは多いと思う。私も以前はそうだった。なんでわざわざ目立つような傷を付けるんだろう。痛いだろうに。将来、その傷痕で悩むのは自分だろうに。


 今でもふと、カッターに手を伸ばしたくなってしまうことがあるが(退院後は一切しておりませんのでご安心ください。そして絶対に真似しないように!)、「なぜ自傷をしてしまうのか?」と聞かれたら上手く答えられる自信はない。

 強いて言えば、心の痛みを具現化することで自分がどれだけ傷ついているのか再認識できるから、という感じ。

 これで伝わっているのかも分からないし、あくまで『私の場合』なので、全ての人に当てはまるわけではないのだと思う。経験者でも「全く共感できん」という方は多いだろう。

 だから、傷口を周りに見てもらいたいわけではないけれど、傷つき苦しみ耐え抜いた証として傷痕が消えてほしくない気持ちもある。結局、『中二病』『かまちょ』と言われてしまえばそれまでなのだけれど。


 とにかく、その人に助けを求めてもいいのか。自分は他人ひとに助けを求めるに値する人間なのか。——お前はまた自傷に頼ってしまうんじゃないのか。

 他人にしても自分にしても、『信じる』ってすごく難しい。




 ともあれ、先日の外泊では祖母とのバトルで時差ダメージはあったものの、実家で過ごしている中では大きく取り乱したり落ち込んだりすることはなかった。

 そして、両親がお正月を一緒に過ごしたい、と二度目の外泊に対して積極的だったこともあり、担当医から「今度は2泊3日で行ってみては?」と提案された。

 

 1月1日〜3日の三賀日でスケジュールを組み、今回は「頑張らない」ことを目標にした。いずれは戻る私の家なのだから、肩肘張らずにリラックスできるのが理想だ。

 そして、この日程は兄が帰省するタイミングにもわざと合わせた。


 兄妹が疎遠というのはそれほど珍しくもないと聞くが、我が家の場合は疎遠のレベルが桁違いだった。

 仲が悪いわけじゃない。でも仲が良いかと言われたら、そんなはずはない。関係性を一言で表すなら、『他人』。

 それこそ何年か前のお正月に3年ぶりに帰省が被って顔を合わせ(実家を出た後も一時期はわりと近いところに住んでいたくせに)、交わした会話は

「いまどこ住んでんの?」

「中野」

 以上。


 そんな兄に、こんな風になってしまった状態で会うのはかなり緊張するが、親づてに私の病気や入院について心配しているとは聞いていた。こんな状況でも直接のコミュニケーションがないあたりが私たちらしいのだが……

 それでも退院後に家族として頼れる存在になってくれたら心強い。あわよくば周りの兄弟姉妹みたいに仲良くなりたいな、と思っていた。

 だから思い切って、病棟から家に戻ったその日に兄に突撃してみた。


「(急に振り向いて)ねぇ彼女いんの?」


 我ながらコミュニケーション下手すぎかと思うような話しかけ方。

 兄も「うわビックリした……!」と若干引き気味だったが、答えてくれた。

 その後も流れで自然な会話ができたので、ちょっとだけキョリが縮まった気がした。

 

 かなり久々に家族全員揃ってのお正月となった外泊中だが、不安視していた祖母との会話は意外にも兄が会話相手を引き受けて壁役になってくれたことで、かなり気楽に過ごすことができた。

 1月3日に家族で空港に兄を見送りに行った時にも、別れ際、兄は私にだけ目を合わせて「じゃあね」と手を振ってくれた。


 うつ病で閉鎖病棟に入院してみて、兄妹愛が芽生えるとは思わなかった。

 世間一般の兄妹くらいの仲にはなれたんじゃないか……?




 そんな二度目の外泊を終えての感想は、

「実家最高!!!!」


 病棟に戻って来て自分を取り巻く環境の劣悪さを認識し、「こんな地獄から早く出してくれ!!」と思うようになった。

 担当医に伝えると、

「退院に前向きになったのならよかったです(笑)」

とのことだった。




 ちなみに、私は『おみくじ』というものが大好きで、この外泊中にももちろん引いた。

 毎年初詣に行く神社で引いたのが『大吉』だったのだが、私は半信半疑で顔をしかめていた。

 というのも、昨年同じ神社で引いたおみくじが『末吉』だったのだ。去年の下半期なんて下降の一途を辿りまくっていたのに。信用ならん!

 だが、外泊の最終日に地元で最も名のある神社に参拝し、おみくじの “セカンドオピニオン” を頂戴したところ、これまた『大吉』。

 えー! じゃあ信じちゃーう!!

 すっかりご機嫌で終えたお正月だった。

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