18.外泊①

 担当医から、年明けの退院を見据えて年内に一度『外泊』をしてみないかと話があった。一時帰宅だ。

 12月23日の朝から24日の夕方までの1泊2日を実家で過ごすことになった。

 狙ったわけでは全くないが、世間はクリスマスムード一色の日にちになってしまった。




 退院後の生活について担当医、家族ともに心配していたのが、私と祖母との接触だった。

 私も何度かの診察を経て冷静になってから気づいたのだが、入院前に自傷行為や自殺未遂を犯した “トリガー” となっていたのは、いつも祖母からの言葉だった。


「ずっと家にこもっているから良くならないんじゃないの?」

「あんな仕事に就くから病気になってしまったんだ、おばあちゃんは初めからあんな仕事は反対だった。今度はもっと仕事を探しなさい」

「〜さん家の〇〇ちゃんもウツビョウになって、仕事を辞めたらしい」

「同級生の〇〇くんは結婚したらしいけど、そのお嫁さんがろくに働きもしないで毎日家にいるらしくて……」


 私が祖母から言われた言葉の数々だ。実際には方言で話すのでよりストレートな言い回しだった。

 私は確かにうつ病で仕事を辞めてしまったけれど、仕事は大好きだった。今でも、たった1年ちょっととはいえ憧れの業界の一員として働いていたことは誇りに思っている。

 とはいえ、就活の時からずっと祖母には反対されてきたのでこれは予想ができていた。

 問題は最後の世間話だ。精神病で仕事を辞めて社会復帰の目処も立たない孫娘にどうしてそんな話ができるのかと耳を疑った。そして、私はこれを言われた数時間後に意識不明となり救急車で運ばれることとなる。


 祖母の世代の方々(安易に一括りにするのは申し訳ないが)がうつ病をはじめとする精神疾患に関して理解が浅いのはよく聞く話だ。

 私の祖母の場合、それに加えて『病気=医者に診てもらって薬を飲めば治る』『うちの孫は他の子よりもしてるから、した仕事(公務員、銀行員、弁護士、etc...)に就けば大丈夫』というゴリゴリの固定観念で頭が固まっている。しかもそんじょそこらの武器では到底破壊できないような鉄壁の要塞を誇る。自分が納得できない理論は一切認めない。というか聞く耳を持たない。

 

 東京でよく分からない仕事を辞めて実家に戻ってきて、ずっと医者にかかっているのに直らないなんておかしい。となるようで、とにかく毎日近づいてきては「外に出ろ」「身体を動かせ」「何か話してみろ」と言われていた。


 その結果、私は祖母と話すのを毛嫌いするようになり、向こうも向こうで私が何をするか分からない(祖母の中では自分の言葉がきっかけで傷つき自殺未遂をして救急車で運ばれた、という事実が結びついていない)から私を怖がるようになっていた。

 入院中、電話で祖母と話そうとしても、すぐに会話を切り上げようとされる。このまま祖母とのコミュニケーションがなくなってしまうのは悲しいと思っていた。


「お祖母様には僕からもご説明する機会をいただけたらと思うんけど、雨季さんの口から自身の病気について話すことができるといいですね」

 いつかの診察で担当医がそう言っていた。

 そんなに甘い相手じゃないぞと思いつつも、「頑張ってみます」と答え、今回の外泊での目標に掲げた。


『祖母に自分の口でうつ病について説明する』

『完全に理解を得ることはできなくとも、会話の機会にしたい』




 外泊前には一匹チワワに事情を説明して、祖母に話す内容を綿密に練り上げた。

 あの頑固ババアに立ち向かうために助けてくれ、と。


 まず大前提として、祖母が私の病気を心配してくれる気持ちはとても嬉しいのだが、元気になるには自分で自分と向き合うしかないのだということ。自分のペースで進んでいきたいから、余計な心配は不要だということ。


 そして、うつ病という病気について、『寛解』はするが『完治』は非常に困難であること。

 一般的な風邪などの病気は抗生物質を使って病気の根源を断つことができる。それに対して、うつ病治療で用いられる抗うつ剤は症状を抑えることはできても原因を治すことはできない。これは私も入院して参加した講義で学んだことだ。

 また、『うつ病』と一言で言っても症状やその対処法は千差万別を極め、私の場合は以下の5点を特徴として挙げた。


・他人の怒ったり悲しんだりしている負の感情に敏感で、大きな音(特に悲鳴や怒鳴り声)が苦手

・苦しくても周りに気を使いすぎて伝えられない結果、溜め込んでストレスになる

・落ち着かないときはクローゼットや押入れなどの他人の視線・音を感じにくい場所に1人でいたい

・落ち込むとすぐに食欲が減退し、無理に食事をとりたくない

・真面目で責任感が強い性格から、自分を責めて限界まで追い込んでしまう


 そして何よりも、入院時に比べれば症状も安定してきており、病院での生活を楽しめるようになってきている。これは担当医のお墨付きも得ている。

 ただし、今回の一時帰宅は病気が治って調子がいいから、というわけではなく、退院後の生活のリハビリのために様子を見る機会だ、ということ。


 ここからは、私がどうしても家族に伝えたかったこととして挙げた。

 辞めた会社や上司への嫌悪感はあるが、業界への憧れや働いていた自分への誇りがあるから、『たとえ私のためを思った言葉でも業界や仕事に対する悪口を聞きたくはない』ということ。

 自分の中でもまだフラッシュバックの要因やそうでないもの、許せるもの許せないものの線引きが曖昧で非常にデリケートな部分だ。だからこそ、安易に悪く言って欲しくない。私は私に誇りを持っていたい。




 一匹チワワは私がまとめた紙を読み終えて細々としたアドバイスをくれてから「それにしても」とこちらを見て、

「あの雨季さんが、自分の気持ちを伝えるのが苦手な雨季さんがここまでするなんて、すごいことだよ」

 私は虚を衝かれて「へ?」と間抜けなリアクションをしてしまったと思う。

「こうやって俺の力も借りてしっかり対策立ててさ、上手くいってほしいなぁ」


 確かに、自分の気持ちを伝える、周りを頼る、どちらも私が苦手としていることであり、どちらもできなかったことで精神科の閉鎖病棟に入院するまで追い込まれることになった。

 知らぬ間に私は、克服しつつあるのか。少しづつだが着実に。自分の足で。


「でも」

と一匹チワワはしっかり釘を刺してくれた。

「上手くいってほしいけど、マイナスなリアクションが返ってくることも想定しておかなきゃだよ。期待しすぎちゃダメ」


 この言葉を受けて私は目標のハードルを少し下げた。

 完全に理解してもらうことも、今回の外泊だけで全て説明するのも難しいのは承知の上で、せめて、分かろうとする姿勢を見せてほしい。




 外泊の日の朝、両親が迎えに来て、私は2ヶ月ぶりに外の世界に出た。

 なんて清々しいシャバの空気! ……いやさっっっっむぅぅぅ!!!!!

 信じられないくらい寒かった。雪国の冬、恐るべし。


 自宅へ戻り、昼食の後にまずは両親に話した。

 私は祖母に自分の口で病気のことを説明したい。そのために協力してほしい。

 3人で、この言い方は伝わりづらそう、ここはお母さんから言った方がいいかも、と作戦を立てて、決行は祖母も揃っての夕食後にした。

 戦地に赴く兵士のような心持ちだった。それだけ我が祖母の鉄壁要塞はとんでもなく固いのだ。


 そして夕食後、「ばあちゃんに私から話がある」と私が切り出し、両親にも緊張が走る。

 ——いざバトル!


「私の病気について、ちょっとでもばあちゃんに知ってもらいたくて、」

「あーいいよ聞かなくて、ばあちゃん聞いてもどうせ分からないし」


 ——【雨季に100のダメージ】


 まさかの交渉拒否……?

 面食らって固まっていると父がすかさず、

「せっかく日向ひなたが考えてきてくれたんだから聞いてやって」

と助け舟を出してくれて、ようやく説明がスタートした。


「私は真面目で責任感が強い性格だから自分を追い込みすぎちゃうところがあって、」

「うんうん、ばあちゃんもそう思ってた」

 お? いい感じのリアクション?


「でも自分があの仕事をしていたことには誇りを持ってるから、あんまり悪いように言って欲しくないんだよね」

「いいや、ばあちゃんそんなこと言わないよ」

 ん?


「いや、ほら、ばあちゃんよく私に『あんな仕事よくない、もっとちゃんとした仕事しろ』って言ってたじゃん」

「そんなことばあちゃん言わないよ、日向のことはずっと応援してる」

 ……あ、あれぇ???


「……とにかく、自分のペースで進みたいからあんまりかまってほしくなくて、」

「じゃあ、ばあちゃんが出かける時も日向に声かけなくていいの?」


 ——【K.O.!!】

 さすがの両親も肩を落としていた。

 コンナコトアル?


「そんなことより日向、ずっと病院にいて飽き飽きしないの?」


 この祖母の一言で場の全員が凍りついた。

 私の中のリトル雨季は「グハァッ!」と血反吐を吐いてオーバーキル。

 そんなことより……? どんな思いで精神科への入院を決めたか考えたことはないのか……? 私がどんな思いで病棟の窓から降り積もる雪を眺めていることか……


 いや、考えてすらいないのだ。祖母は私の心情を想像しようとすらしていなかった。

 自分の世界観の範疇を超えることに関して想像が及ばない。想像しようとする必要性すらきっと感じていない。


 というわけで、雨季V.S.祖母のバトルは完全なる敗北を喫した。

 一匹チワワさん、「いいリアクションじゃないかも」っておっしゃてましたね、想像を遥かに越えられちゃいました。




 翌日の夕方、両親と一緒にいる間はアドレナリンでなんとか持ち堪えていたが、病棟に戻って1人になった瞬間に泣いた。

 あの夏から私は心の整理が追いつかず、離れられないまま季節だけが変わっていく。窓から雪を見るたびにそれを痛いくらいに感じさせられる。


 後日、一匹チワワに結果報告をしたところ、彼も文字通り頭を抱えた。

「おばあちゃん……。その一言余計すぎるよ……」

 私も隣で苦笑いしていると、彼は顔を上げて

「でも先にご両親に説明して協力プレイができたっていうのは驚いた。すごいね雨季さん、頑張ったね」


 一匹チワワとの振り返りをまとめると、

 本心を伝えられたことをまず、一歩前進したと評価していいと言ってもらえた。自分としてもかなり頑張ったと思うし、その反動もそれなりのものだった。

 祖母との対話は惨敗だったが、祖母の理解に対してのハードルを下げることができた、と捉えてはどうか、と。

 そして、こちら側も『言ったつもり』にならず、自己満足で終わらせない意識が大切だと指摘された。確かに、私も祖母に合わせてボキャブラリーのレベルを下げなければならなかったと反省した。

 今後の祖母との関わり方について、今回は無惨な結果に終わったけれど私としてはもう少し理解に繋げるアクションを試みてから『近寄らない』という最終手段をとりたい、と告げた。これには一匹チワワも賛同してくれて、

「おばあちゃんの良いところにも目を向けてみて、自分にとってのメリットを冷静に探せるといいね。まだ頑張る余地はあると思うよ」

とのことだった。


 正直、祖母のリアクションに対してかなりショックを受けていたが、彼の言葉でかなり救われた。それに、冷静になれた。

 やっぱりこの人に相談しておいてよかった。




 ちなみに、数日後の診察で主治医にも成り行きを話すとやっぱり苦笑いされた。


 先生が一番興味を示していたのは、祖母が私の入院生活などすっかり棚に上げて

「風呂に入れてもらう(介助浴)ようなところ、普通じゃない人が行くところだから私は行きたくない」

と言っていたという部分だった。


 祖母は最近、デイケアを検討しているらしく、あちこち提案してもらって見学に行ってみては文句を言っている。

 私はその文句を「私が入院してる病棟ってめちゃくちゃ介助浴してるから、その理論でいくと私は『普通じゃない人』だな」と思いながら聞いていた。


「お祖母さん、言いますねぇ(笑)」

先生は笑いながら、

「お祖母さん、ちょっと認知(症)も入っていると思っていいかもですね」

と、とっても医者らしい冷静な分析をなさってくれた。


 そういう問題じゃないような気もするけど……

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