17.私なりの結論

 ある日の午前、診察で担当医に私は尋ねた。

「ここでの入院費や、退院後も通院費は決して安くないし、そのお金をかけてまで生きる意味に疑問を感じます」

 先生は悩むそぶりなど全く見せずに

「お金をかけてでも生きる意味はあります」

と即答してくれた。


 その理由こそ説明はなかったが、言い切ってもらえたことに安心した。

 まだ納得はできないけれど、先生がそう言うのなら退院までもう少し頑張ってみよう。

 もう少し生きてみたら、その意味が分かる日が来るのかもしれない。


 しかし、そう思いながら迎えたその日の午後に、私の入院生活で最も事件が起きた。




 いつものように、ホールでアフタヌーンティーを嗜んでいると、男性の患者さんが看護師さんに向かって大声で怒鳴り始めた。

 あ、やばいと思った時にはもう遅かった。怖い。動けない。

 頓服を飲みに行こうにも、その男性はナースステーションの目の前で怒鳴っているから近づけない。

 耳をふさいで俯き、ひたすら耐えるしかなかった。


 気づいたら泣き始めていた。

 でもここはホールで、昼食後すぐの時間だから看護師さんの行き来も多い。きっと誰かしらは気づいてくれるんじゃないか。

 だってポイズンがカルテに『他の患者が怒鳴りだしたら気にかけるように』って書いてくれてたもん。


 誰も来てくれなかった。こちらに気づく素振りすらない。神戸ショコラも、2個下も、あの看護師さんも、あの人も。私の目にはたくさんの看護師さんが通り過ぎていくのが見えるのに、彼らの視界には私など全く入っていないようだった。

 もう怒鳴り声は聞こえない。でも涙は止まらなかった。易刺激性などもう関係なくて、結局、誰にも助けてもらえなかったという絶望感で溢れていた。


 すると、誰かが私の方に近づいて「大丈夫?」と声をかけてくれた。女性の患者さんだった。

 気づいてくれるのは、同じ痛みを知る患者さんなのか。看護師なんて……。

 その患者さんに支えられて泣きながら病室に戻る途中、すれ違った看護師は号泣する私の方を見向きもしなかった。何度も私を担当してくれた人だった。


 寄り添ってくれた患者さんにお礼を言い病室に戻ると、落ち着いてきたので頓服を頼みにナースステーションに向かった。

 泣いてでも這ってでも、自分で助けを求めないと。

 ノックをして出てきた看護師に頓服を頼んだけれど、戻ってくるのを待っている間にくずおれてしまった。何を支えにすれば立っていられるのか分からない。

 その場でうずくまって泣いていると、女性の看護師が声をかけてきた。

「あれ? どうかした?」

 ヘラヘラと笑いながら。1人でうずくまって泣く私を嘲るように笑っている。


 頓服を頼んだ看護師を待たずに踵を返し、病室へ早足で戻った。そして、クローゼットに飛び込んだ。




 コンコンと病室のドアをノックする音と、今日の担当である2個下の声が聞こえた。もちろん私は返事をしないし、クローゼットからも出ない。

 2個下はしばらく呼びかけた後、クローゼットにぶら下がる『クローゼットにこもり中 1人になりたいので開けないでください』という女神お手製の札を見たようで、

「あー、そっか……。雨季さん、ここに置いとくんで」

と病室を出ていった。

 いつもは気持ちを楽にしてくれる彼の軽さも、今は苛立ちにしかならない。


 気配が消えてからクローゼットを開けて出てみると、頓服が置いてあったのでそれを飲む。

 薬包ともう1つ、封筒が置いてあった。私宛で病院の名が記されていた。

 開いて中身を見てみると、心理検査の結果だった。何週間も前の。それに私はこの結果の紙をもうすでに受け取っている。「これがお前の異常性だ」と突きつけられているようにしか思えず、その場でビリビリに引き裂いてクローゼットに戻った。


 『本人は我慢して言い出せないことが多いので様子を見るようにする』だって。

 信頼していたのに。結局、誰も見てないから気づいてないし、助けてなんてくれない。「看護師を練習台にしよう」なんて阿呆らしい。少しでも信じた自分がバカだった。


 それから2〜3日クローゼットに閉じこもり、食事も拒否した。

 そっちが助けてくれないのなら、私だって生きたくないのだからその努力ももうしない。患者側の意思でしかどうにもならない部分で反抗してやった。

 後日、担当看護師である女神が話しに病室に来たが、私は努めて冷静に、突き放すような返事しかしなかった。


「雨季さん、まだご飯は食べない?」

「はい、もうこちらにも生きる意思はないので」

「もう私たちのことも信頼してくれないかな……?」

「少しでも信頼して助けてもらおうと思ってた自分がバカだったと分かったので。大丈夫なんで放っておいてもらって結構ですよ。手間が省けたとでも思っていただければ」




 ただ、私はクローゼットにこもりながら、ひたすら考えていた。考えて自分なりの答えが出るたびに紙に書き殴り、病室の壁に貼っていった。

 その行動はいかにも精神異常者のソレだが、周りに迷惑をかけていないだけここでは可愛いものだ。

 しかし、その考えている過程を看護師に見られるのも癪だったので、どうせ誰も読めないだろう、と英語とスペイン語で書き連ねた。実際に誰も読めなかったみたいだが、我ながらどこまでも底意地が悪い。


『I have nothing say to you. Nothing changes for better, if I say something.』

(あなたたちに言うことは何もありません。私が何か言ったところで何も良い方向にいかない。)

『It was my mistake that I depended on you to help me here as the last resort.』

(最後の頼みの綱としてあなたたちに頼ったのがこちらの間違いでした。)

『I'm in the wrong because I cannot live alone.』

(1人で生きていけない私が悪いんです。)

『I apologize for being so selfish.』

(わがままを言ってすみませんでした。)

『I'm well aware that I'm not even human, and that it's impertinent for me to ask for help.』

(私は人間ですらないのだし、助けを求めるのなんて烏滸がましいことだとよく分かりました。)


 そうして考え悩みながら泣き続け、ある結論に行き着いた。

 気づいてほしい、助けてほしい、などという考え方がそもそも傲慢だったのだ。そもそも私は人間じゃないんだから。

 自分を救えるのは良くも悪くも自分だけであり、それにこの病はひたすら自分と向き合うしかない。

 医者や看護師は “助けてくれる人たち” ではなく、自分で自分を助けるために彼らを “利用” できるようにならなければならないのだ。


 それは社会でも一緒だ。誰かに助けてほしい、気づいてほしいと願っても、周りは残酷なほど分かってくれない。だから他人を利用できるような狡猾さが必要になる。誰もが善人であるべきだなんて糞食らえだ。




 この結論を携えて、女神に『謝罪』と共に自論の説明をしたところ、

「いい結論だと思うよ。他の患者さんにも教えてあげてほしいくらい!」

と言ってくれた。

「私たちも手伝うことはできるけど、『助ける』ことはなかなか難しいから……」


 こうして、私が入院中に最高に荒ぶった事件は幕を閉じた。

 ——となれば、まだ可愛げのある患者だったのだろうが、号泣する私に一瞥もくれなかったり、ヘラヘラと対応されたりしたことはちゃんと根に持っていたので、食事ボイコット(通称『反抗期』)はもう暫く続いた。


 しかしそれも、ある男性看護師が私と話していた時に、話の流れとは関係なく急に

「あの時はボクも近くにいたはずなのに、気づけなくてすみませんでした」

と謝ってくれて、

「でも野菜くらいは食べないと肌荒れしちゃうよ!」

と言ってきたのを機に

「ゔっ……ひどいこと言いますね。じゃあ野菜は食べます……」

という具合に、反抗期も徐々に軟化していった。

 さすが神戸ショコラ、女の扱いに慣れていやがる。


 ちなみに、私が食事を拒否したのは単にムカついたからというだけでなく、「私ってどこまで食べずにいられるんだろう」という素朴な疑問を実験する意図もあった。

 元から食に対してあまり興味がない方で、うつ病になってからは特に食べる量も減っていた。

 結果としては、「食べずにいようと思えばいくらでもそうしていられそう」と実感し、なんだか怖くなったので食事はより意識してとるようになった。





 後日聞いたところによると、この一件で病棟の看護師たちの間でも患者への対応を見直そうという声が挙がったらしく(恐らくというか十中八九、女神のおかげ)、何人かの看護師さんが神戸ショコラのように自ら謝りに来てくれたり、気にかけてくれるようになったりしてとても過ごしやすくなった。

 私も24歳にしてこんなヘソの曲げ方をして大反省したものの、より快適になった入院生活を省みて「荒ぶってみるものだなぁ」と感動した。

 やはり声に、行動に出さないと何事も変わらない。この方法はよろしくなかったが……

 私が荒ぶっている真っ只中、家族に私の状況を伝えた女神の声は電話越しにもわかるほどに震えて半泣きだったらしい。本当に申し訳ございませんでした。

 でも必要な経験だった。


『I'm not even human. Estoy solo una estorba. It's impertinent for estorba to living, muere rápidamente.』

(私は人間ですらない。私はただの邪魔者だ。が生きるなんて烏滸がましい、早く■んでくれ。)

『It is not that they help me, but I use them to help me. Sólo yo puedo salvarme.』

(彼らが私を助けてくれるんじゃない、自分で自分を救うために彼らを使んだ。自分を救えるのは自分だけ。)


 『私なりの結論』に至って、英語とスペイン語混ぜこぜで書いたこの紙だけは、退院するまで部屋の見えやすい位置に貼っておいた。

 自分自身への戒めとして。

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