——陰の者と申します。

 『申します』こと男性看護師Wさんは、その堅苦しさや真面目さ(悪く言えば、融通の効かなさ)、滲み出る陰のオーラで、苦手だという患者さんが多かった。


 ——が、私はそんな申しますが大好きだった。

 

 気を使っているのか何なのか、朝のバイタルチェックでお通じの確認をする時、彼は急に小声になり、

「ちょっと聞きづらいんですけど……、お通じって今日ありましたか?」

とご丁寧に前置きしてくれる。

 逆に気まずいし、ここ個室だし。


「言いづらいんですけど……ありました」

と小声で返してみたかったが、それが叶うことはなかった。


 それに、彼はたまにこちらが心配になるほど負のオーラを纏っている。

 本人も言っていたが、典型的なネガティブ思考なのだそうだ。

 それで空回りして、患者さんへの対応でうまくいかない様子もちらほら見かけた。


 ある日、友人の1人が彼のことが苦手だと別の看護師さんに相談していて、フォローも込めて

「私は(申します)さん好きですけどねぇ〜」

と言ったら、次の日からほぼ毎日彼がバイタルチェックに来るようになった。

 あてがわれちゃった。


 翌日の勤務表を見て、日勤に申しますの名前があればほぼ確で私のところにやって来る。

 さすがに「〜と申します」の挨拶もなくなり、「今日も僕ですよ〜」と言いながら入ってくるようになった。

 そうじゃないんだよなぁ。なんかおもしろくない。




 ある時、申しますが「病棟での仕事が辛い」とぼやいていたという噂を耳にした。

 いつものようにバイタルチェックをしに来た申しますに、私はにこやかにこう告げた。

「本当に仕事が嫌なら、なる前に辞めた方がいいですよ」


 申しますは、

「雨季さんが言うと説得力が違いますね……」

と苦笑いしつつ、自分の真面目に考えすぎる性格を憂い始めた。

 やはり根が真面目な人は、気に病みやすいのか。


 だが、申しますは「それでも、」と続け、

「そんな考えすぎちゃう自分が好きです」

と言った。

「それなら安心です」

と私も答え、バイタルを図り終えた申しますは病室を出ていった。

自分を否定しだしたら、それこそなってしまう。


 


 そんなやりとりがありつつも、実際に彼は私が退院する少し前に病院を辞めてしまった。別の病院に転職するらしい。

 最後の勤務日はそんな雰囲気を全く感じず、私ともう1人、申しますと仲の良かった患者さんに教えてもらって私もギリギリ気づけた。

 いや、本当に仲のいい患者さん少なかったんだな……(笑)


 退勤しようとする彼を見送りに行くと、

「ちょっとは良くなりましたか?」

と尋ねられた。

 何度もバイタルチェックを担当しておいて、めちゃくちゃ他人事なのが彼らしい。

 私は笑いながら

「んー……あんまり?」

と答えておいた。「そっか」と申しますも笑いながら肩を落としていた。




 前に申しますに好きな曲を聞いてみたことがある。

 友人とピアノ楽譜を片手にクラシック音楽について話していたら、「あ、それノクターンですね」と申しますが話しかけてきたことがあった。

 だから、古典とかレコードとかそういう類の音を愛する人かと思ったが、返ってきた答えは『サカナクション』だった。

 私に勧めてくれた2曲は今も私のプレイリストに入っていて、聴くたびに彼のことを思い出す。


 彼は不器用な奴だったが、新しい地で元気にしているだろうか。

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