16.人間じゃない私たち

 感受性が高く周りの気持ちにという共通の悩みを待つ友人が、急に退院することになった。




 先読みして、周りに気を使いすぎて、自分の気持ちは押し留めて、溜め込んでしまう “似た者” 同士。


 あの患者さん、こっちに来ようとしているけど私あの人苦手なんだよな、話しかけられたくないし。でも私もさっきここに来たばっかりで、もう少しここから窓の景色見ながら本読みたかったんだけど……いいや、私が我慢して動けばいい話だもん。


 あの子、いま沈んでるんだろうな。でも話しかけていいタイプなのかな? 話しかけられたくなくてそっとしておいてほしい感じだったらどうしよう。私が話しかけて余計にストレスになるかも。というか慰めるのにも体力使うんだよな。でもこの前、慰めてくれた恩もあるのにここで見て見ぬフリするのは……


 と、いつも脳内で勝手に会議が始まり、大体が「自分が我慢すれば〜」という結論に着地する。

 他人ひとと関わるのが嫌だから、なるべく関わらずスムーズに事が済むように、針に糸を通すような感覚で道を選ぶ。

 そのために、周りの感情や気配を察するアンテナを張り巡らせ、余計な衝突を予測して回避する。

 万が一衝突があっても、ゴタゴタするくらいだったら自分が我慢してしまう方が早い。

 他人と正面から対峙するのが面倒くさい。

 そういえば、働いていた頃に「申し訳ございません」を連呼して終えた日もあった。


 こうやって過ごすうちに、いつからか無意識でも他人の感情に気づきやすくなってしまって、頼まれてもいないのに周りに気を使うのが癖になってしまった。

 こんなところで必要なんてないのに。




 彼女と私が合言葉のように使っていたのが、

『うちらはそもそも人間じゃないから』

という台詞だった。


 私が好きな曲に出てくる歌詞に由来するのだが、精神科の閉鎖病棟こんなところに来る時点で私たちは人間まともじゃないのだから、この『気づいちゃう』悩みも個性として抱えていこう、という諦め半分の言い訳。だからこそ、人間じゃない者同士でいる時は少しでも気を使わずに、アンテナの感度を下げて過ごせたら。


 “相棒” の退院後は特に、この友人と支え合って過ごすことが多くなった。

 お互いに悩みを共有できる唯一の存在だったのに。彼女は回復を前に個人的な事情で退院せざるを得ない状況になってしまった。


 そうしたらもう、私が本音をこぼせる相手は居なくなってしまう。

 私にはまだあと1ヶ月残っている。


 彼女の退院後のことを心配するべきなのだろうが、自分にとっての支えがなくなることへの不安の方がずっと大きかった。

 でもそれを伝えて彼女に重荷を背負わせたくない。自身の心身を一番に過ごしてほしい。


 彼女に何と声をかけていいか分からず、彼女が信頼していると言っていた看護師さんに相談してみることにした。

 私からはほぼ初めて話しかけたので、最初は向こうも驚いている様子だった。


「(友人)さんのことが心配だけど、雨季さんも(友人)さんの居ない今後の入院生活が不安なんですね。それをそのまま伝えてあげればいいんじゃないですか?」

 その看護師さんノーネームは何を悩んでいるんだとでも言うように答えてくれた。

「2人がそういう共通した悩みを持っているからこそ、変に気を使って回りくどい言い方をして伝わりづらくなってしまうより、ストレートに言ってあげた方が(友人)さんも嬉しいと思いますよ。それで、俺だったら、『がんばれ、応援してる』って伝えるかな」


 「ありがとうございます」とお礼を伝え病室に戻る途中、結局また “気使い病” で勝手に悩んでいただけだったと気付かされた。

 自分たちが思っているより、ずっと世界は単純なんだろうな。

 もっと単純に考えられたら楽に生きられたのかな。




 彼女の退院前夜、紅茶とスイーツで『お別れティーパーティー』をした。

 外は例年よりも早く大雪の予報で、夜勤に入っていたノーネームが気を使って

「皆さん、この病院の雪景色はもう見ましたか? ぜひ一度見てくださいよ」

と、ホールにいる私たちを窓の方へ誘ってくれた。


 カーテンを開けると、暗くてよく見えないが想像以上の雪が積もっていて、思わず「わぁっ!」と声をあげた。まだまだ積もりそうな降り方をしている。

「俺これ明日帰れっかなー…… 俺が夜勤入ると高確率でこうなっちゃうんだよね」

「明日の朝、(ノーネーム)さんの車埋まってそうですね」

「そうだよなー、掘り起こすところからだよ。本当に俺って『雪男』だからさぁ」

「『雪男』って(笑) それってイエティとかの方ですよね」




 翌朝も雪は降り続いていて、朝日に照らされた景観はまさにあたり一面の雪景色だった。


 この雪国の地元で過ごしていた頃は雪が好きだったが、病棟の窓から眺める雪は嫌いだった。

 日中もドカドカと降り積もる雪を眺めて、自分はもう東京に居ないこと、自分の心だけが夏の未練から進めていないのに季節は残酷なほど次々変わっていることを痛感するのが嫌だった。


 あと1ヶ月。

 私は『医療保護入院』でこの病棟に来たので、3ヶ月が入院期間の目処だった。

 回復の具合からしても、ちょうど3ヶ月あたりで退院を目指していこう、と最近は先生とも話している。


 そんなことより、今は12月の半ばで、あと1ヶ月で退院となったら……

 年明けの真冬に私は外の世界に放り出されるのか。

 なんだかんだ地元でまともに冬を越すのは6年ぶりだ。

 ……いや無理無理。死んじゃうって。


 再び社会に溶け込む云々の前に、凍え死んでしまわないかと心配になる。

 ただでさえ、ここはいつでも暖かくて優しい空間なのだから。

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