13.踏ん張るためでもダメですか?

 入院初期からいつも一緒にいた女性患者の友人が、いよいよ退院することになった。


 彼女は私よりも年下で(なぜか)よく懐いてくれて、睡眠導入剤を飲むと『酔っ払って』しまうので有名だった。

 ハイテンションになり、病棟内を無邪気に駆け回ったり、お気に入りの看護師さんにダル絡みしたりする。


 私もよく標的にされて、ホールのど真ん中で急にハグされたまま5分くらい動きを封じられたり、夜な夜な私の病室にしにきて私のベッドで一緒に寝たいとグズられたり、いちばん意味がわからなかったのは、

「歯磨きの音聴く!?(シャカシャカシャカシャカ)」

と耳元で歯磨きしてくれたことだった。4日連続で。


 妹のような年齢差だが、私は勝手に相棒のように思っていて、音楽の趣味やコスメ、(女子同士の下世話な)恋バナなど一緒にたくさん喋った。


 私が諸々のことで落ち込んでひとりで泣いていると、黙って隣に座り背中をさすってくれた。


 「なんで死んじゃいけないんだろう」と一緒に悩んで、消灯間際にPに尋ねて、返ってきた答えに納得できずに2人で頭をひねらせた。


 退院前日、2人で売店に行き、ダイエット中だと言う彼女にありったけのお菓子を買い与えた。


 退院の朝、2人の好きな合唱曲『証』の伴奏を私が弾き、それぞれパートに分かれてハモってみた。


 私は年長者として自分の弱っている姿を彼女にあまり見せたくないと思っていた。

 そんな責任を持つ義理はないが、まだ前途ある若者に社会人になって落ち込んでしまった人間の小さい背中を見せたくなかった。

 彼女の存在があったから、力強い私でいられた。


 でも彼女の前でだけは弱音を吐いて涙を流すことができた。


 これまでにも何度か仲良くなった患者さんの退院を見送ってきたが、彼女が抱えるものも聞かせてもらっていただけに、『退院=明るい未来』とは言い切れない歯痒さもありながら、

「さようならかわい子ちゃん、また後でね(スペイン語)」

と別れの言葉を贈った。




 この頃の私は、祖父の納骨の一件から苦しい時にリストカットに頼るのが癖になってしまっていた。

 同じところを何度も抉っては血を流し、暫くして痛くて後悔し、看護師さんに処置をお願いしに行く。その繰り返しだった。


 なぜリストカットをすると苦しみが紛れるのか、と言われると自分でもよく分からない。

 脳内でナンタカカンタラが分泌されて……という難しい話は文系の私にはさっぱりだが、傷痕が消えてしまったら苦しんできた今までのことも記憶から消えてしまいそうな気がして、消えないように何度も同じ箇所をなぞった。


 担当医の診察の日、思い切って

「死ぬのがダメなら、せめて踏ん張るために自傷行為をすることくらいは許されないのか」

と尋ねてみた。


「なぜ自傷行為がダメなのか、納得させられるような明確な理由は僕にも説明が難しいけれど、その矛先を自分に向けるのはよろしくない。他の発散方法があるといいですね」


 私の担当医は優しく丁寧な診察が評判で、落ち込んで泣きじゃくっていた日でも(看護師さんから報告が入っているだろうに)問い詰めずに「今日はどうでしたか?」とこちらの意見を尊重してくれる、とても心地が良い人だった。

 だが、『自傷行為はダメなこと』と然るべき時にはこちらの考えを正し、断言してくれる。今まででいちばん信頼がおける先生だった。


 なぜダメなのか、説明はできないけれど、良くない。

 なら、やめなきゃ。


 うつ病を患って悶々と悩んで過ごす日々だが、正直、こんな風に言い切ってくれるだけで救われることが多い。

 考えすぎてしまう性格の私だからこそなのかもしれないが、周りの大切な人が苦しんでいたら理路整然と説明するよりも、ポンと背中を押すような軽い一言が案外助けになることがあるのを思い出してほしい。


「そんな風に簡単に言わないで!!」

と火に油を注ぐ結果になることも無きにしも非ずなのだが、、




 また、診察の中で、病室に働いていた当時を思い出す備品があって気が滅入ることがあると打ち明けてみたら

「じゃあ撤去しましょう、多分できるんで」

と、その日のうちに撤収されていった。

 言えばなんとかなるもんだなあ、無くすって選択肢あったんだなあ、と感動した。


 実際、病室で過ごす時間がすごく楽になったのだが、現実から目を背けてばかりでいいのか、という罪悪感もあった。

 いずれはまたあの業界に戻りたいのなら、いつかは正面から向き合わなきゃなのに。


 でも、『いつか』でいいのだ。今じゃない。


 私も少しづつだが、自分を追い込みすぎない考え方ができるようになっていた。

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