第6話 初乗り


 馬に会いに行こう、と決めると、急に楽しい気分になってきた。

 だが、ここでにやにやしていると、シズクに気付かれてしまう。

 ぺし、と両手で頬を叩き、顔を引き締める。


「シズクさん。出てきます。ここを頼みます」


 出来る限り、きりっとした顔をしたつもりだ。


「・・・気を付けてね」


 シズクのいつものにやにやした笑顔はない。

 上手く誤魔化せたようだ。

 すたすたと廊下を歩き、送りに出てきたカオルには普通に話す。


「ちょっと厩舎に行ってきますね。皆の顔を見てきます」


「ご主人様、厩舎なら私も・・・」


「一緒に行ったら『私が戦いたい』って言い訳が立たないでしょう。

 少し後で、買い物でも行ってきます、とかって出てきて下さい」


「そうですね。では厩舎で」


「では、お先に」



----------



「お、トミヤス様。いらっしゃい」


「こんにちは。皆、元気ですか」


「ええ、そりゃもう。蹄鉄も着きましたから、いつでも」


「ちょっと今、町から出られませんので、ここで歩かせてみてもいいですか?」


「構いませんとも。さあ、どうぞ」


 馬屋と厩舎に入る。

 入り口から、大きな馬が4頭も並んでいるのは、やはり壮観だ。


「いやあ、こうして見ると、私達の馬って大きいですねえ・・・」


「そうですとも! この黒影を見た時の驚きと言ったら」


「ははは! 覚えてますよ! 『ありゃほんとに馬か!?』って、大声で驚いてましたね」


「今でもほんとに馬か分かんなくなりますよ! ははは!」


 おっと、クレールの事を話しておこうか。

 きっと驚くだろう。


「おお、そうだ。すごい話があるんですよ。

 実は、私の知り合いの魔族の方で、馬の言葉が分かるって人がいましてね」


「なんですって? 馬の言葉が分かる?」


「ええ。馬だけじゃなく、犬とか猿とか、賢い動物なら大体分かるらしいです。でも動物っていつも鳴いてるって訳じゃありませんし、読心術に近い能力なんでしょうね」


「へえ・・・そりゃすげえ・・・」


「鳥とか虫なんかも、感情くらいなら、ぼんやり分かるらしいですよ」


「虫までですか? それじゃ、毎日やかましくて仕方ありませんね」


「ははは! 確かにそうだ! 生まれ持った力らしいですから、もう慣れてるのかもしれませんね」


「是非、そのお人とお知り合いになりてえもんだ。

 良かったら、ここにお連れになって下さいませんか」


「ええ、そのつもりです。

 何を言ってるのか分かれば、ファルコンとも仲良くなれるかも」


「おお、ファルコンと・・・こいつは好き嫌いが激しいからなあ・・・

 すげえ馬なのに、何とも仲良くなってくれませんで・・・」


「私も嫌われてますからね・・・

 アルマダさんには、あんなにべたべたするのに」


「こいつと仲良くなって、少しでも乗せてもらえたら・・・

 それだけで、もうこの世に未練はありませんよ」


 まるで夢でも見るように、ファルコンを見つめる馬屋。

 この馬は、それほどの馬なのか・・・


 ごそごそと懐から角砂糖を取り出し、手前の白百合に食べさせる。

 ブラシを取って、ゆっくりと梳いてやる。

 なんとなく、気持ちよさそうにしているな、という感じが分かる。

 言葉が分からなくても、こうやって仲良くなれる・・・

 しばらくブラシを掛けてやって、ぽんぽん、と首を叩く。


 黒影の前に立つ。

 やはり大きい。迫力がある。

 この威圧感は、大きいというだけではないだろう。群れの頭をしていた馬なのだ。

 角砂糖を差し出すと、べろん! と舐めて舌で口の中に放り込む。

 満足だ、という感じが伝わってくる。

 ブラシでゆっくりと梳いてやる。

 こうやって触れていると、何となく分かる。この馬も誇り高さを持っている。

 だが、マサヒデを舐めている、という感じはしない。

 度量がある馬だ。乗るのを拒みはしないだろう。

 だが、乗った時にだらしない所を見せると、すぐ言う事を聞かなくなりそうだ。


「うん。気持ちよかったか」


 ぽんぽん、と首を叩いて、黒嵐の前に立つ。

 黒嵐。

 誇り高い馬。

 乗せてくれるだろうか。乗ってみたい。

 角砂糖を取り出し、食べさせる。美味しそうに食べている。

 ゆっくり、艶のある黒い毛を梳いてやる。

 何となく、マツの髪を思い出す。

 あれだけ怖かったマツとも、今は互いに心を開いている。

 きっと、この馬とだって・・・


「よし」


 厩舎の隅で、馬屋はブラシを掛けていたマサヒデを見ていた。

 マサヒデの「よし」という声を聞いて、察したのだろう。


「トミヤス様、黒嵐にお乗りで」


「はい。お見立て通りなら、もしかしたら、庭で暴れるかも・・・」


「構いませんとも。町中に飛び出されちまうと大変ですが」


「振り落とそうとはするかもしれませんが、飛び出しはしないですよ」


「なぜお分かりに?」


「何となくです」


「じゃ、どうぞ」


 きー、と馬房が空いて、馬屋が手綱を取り、黒嵐を外に出す。

 カオルもちょうど来た所のようだ。冒険者姿。

 庭先で、果物が入った袋を持っている。


「やあ、カオルさん」


「黒嵐」


「はい。ちょっと庭を借りて、乗ってみようかと」


「見ても」


「ええ。もちろん」


 少し歩いた所で、馬屋が手綱をマサヒデに渡し、離れてカオルの横に並んだ。

 ぽんぽん、と首を叩いて、しゃ! と跨ってみる。


「うぇ!? 何だあの乗り方!?」


 うん、暴れない。

 軽く足で挟み、くい、と足首を動かす。

 常歩。

 やはり、サクマの馬とは違う。大きさが違う分、揺れが大きい。

 だが、揺れているのに安定感がある。変な感じだ。

 大きいから安定感がある、というのではない。

 白百合も大きいが、こんな感じはなかった。


「・・・」


 がさ、とカオルが袋からりんごを取り出して、マサヒデに放り投げた。

 ぽんと受け取って、ぐいっと黒嵐の首にもたれかかり、口の前に差し出す。

 黒嵐が、もしゃもしゃとりんごを食べる。


「はは」


 ぽくり、ぽくり、とゆっくり庭を回る。

 この馬に乗っていると、安心感がある。

 安定感ではなく、安心感。安心感があるから、安定を感じる。


「いい馬です!」


 走らせたい! という気持ちを抑えながら、そのまま回る。

 黒嵐にも気持ちが伝わっているのか、何かうずうずしている感じがする。

 しばらく庭先を回って、馬屋とカオルの前で降りた。


「トミヤス様、どうでしたか」


「うん、すごく良い馬です」


 言葉を切って、黒嵐の顔を見上げる。

 表情は分からないが、俺はどうだ! という顔をしている気がする。


「すごく安心感があるんです。揺れているのに、安定感というか・・・

 揺れてるのに安定してるって、変な言い方ですけど。

 何というか、どんなに揺れても平気な感じです。安心感です。

 白百合には、こんな感じはなかった」


「へへへ。やっぱり、この目に狂いはなかったようですね。

 初めて見た時に分かった。こいつは、きっと名馬になるって。

 トミヤス様、大事にしてやっておくんなせえ」


「はい」


「私も、黒影に乗りたい」


「お! ついにあの化け物馬を出しますか!」


「ははは、じゃあ、こいつは厩舎に戻します」


 マサヒデは厩舎に黒嵐を戻し、カオルが黒影を出してくる。


「走らせないで下さいよ? 間違ってこんな馬が町中に飛び出したら大変だ」


「大丈夫だよ」


「そんなでかい馬にまたが」


 しゃ! とカオルも跨る。


「・・・トミヤス様達は、この乗り方を誰に教わりました?」


「ああ、サクマさんという方です。熟練の騎士の方です」


「サクマさん・・・一体どんな方なんだ・・・すげえお方だ・・・」


 ぽくり、ぽくり、と黒影も歩く。

 大きいから、どすん、どすん、と音がしそうだ。


「すごい! 高い!」


 カオルから預かった袋からりんごを出し、放り投げる。

 振り向きもせずに受け取って、前屈みになって顔の前にりんごを差し出す。


「おお、さすが黒影。いい食いっぷりだ!」


 馬屋も笑顔を浮かべている。


「ははは!」


 カオルが興奮しているのか、大きな笑い声を上げる。

 しばらく回って、黒影はマサヒデ達の前に止まった。


「いい馬だよ」


「やっぱり迫力がありますね。ふふふ、小便ちびりましたか?」


「ははは! トミヤス様、そりゃあねえや!」


「しばらくしたら、クレールさんも連れてきましょう。

 クレールさん、馬の話が分かるんですって」


「え!?」


 色々な力があるとは聞いていたようだが、動物の言葉が分かるとは知らなかったようだ


「馬と喋れるの!?」


「ええ。賢い動物、犬とか猿とか、馬とかはほとんど分かるそうで。

 虫も、感情くらいは感じられるそうですよ」


「知らなかったよ・・・」


「肖像画が終わったら、また連れてきましょう。

 馬がいるって話した時のあの反応、きっとクレールさんも馬が好きなんです」


「いいね」


「ですけど・・・ひとつ心配事があって・・・」


 マサヒデは腕を組んで、眉を寄せて黒影を見つめる。


「黒影が、どうかしたの?」


「ええ・・・心配なんですよ」


「何が?」


「こいつに・・・頭をかじられないかって! ははは!」


 ぷー! と馬屋もカオルも吹き出してしまった。


「ははは! いや、こいつならやるかもしれねえ! ははは!」


「あはは! 美味しそうだもんね!」

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