2-1 泣き虫な神主(1/2)
富士の山の麓、青木ヶ原。
そこは清々しい名前とは裏腹に鬱蒼と茂る不気味な樹海が広がっている。
山が神々の住まう天界へ向けて伸びているとすれば、樹海は
昼間でも仄暗く、空気は斑な色がついているんじゃないかと思えるほどに生温く淀み、どこまで続くか分からない道無き道。
そこをひたすら進んでいれば、もう二度と明るい世界には戻れなくなるのではと悪い考えで頭がいっぱいになる。
紀田がこの場所に至るまで五年もかかったというのも、実際に来てみて納得できた。
こんなところに人が居るとは誰も思うまい。
そもそも出入りする人もいるか分からない。
生死のかかった余程深刻な用事でもないかぎりこんな場所には来たくないだろう。
「でも、本当にこんな場所に住んでるんですか?白焔神社の神主様が」
「ああ、ここに定期的に出入りしているというやつに聞いた。ニワトリ飼って自給自足生活してる変なやつがいると」
「いったいなんの用事があって……」
葉月がうんざりした顔でぶつぶつゴネていると「コケーッ」と間抜けな鳴き声が響いた。
本当にニワトリがいるようだ。
もう少し足を進めていくと、僅かに開けた木々の隙間にその社はあった。
茅葺き屋根にススキやたんぽぽが生えている地面と同化したようなボロ屋だ。
崩れ落ちそうな鳥居と苔むした手水鉢が辛うじてそこが神社であることを証言していた。
「ごめんください」
声をかけても誰も応えない。
建物の裏手に回ってみる。
神主装束を着た青年がザルを抱えて歩いていた。
足元にはニワトリたちが十数匹。
神主が撒いた餌の麦を啄んでいる。
彼は三人に気が付き、びくりと身を震わせた。
確かに話に聞いたとおり、白い肌に赤い瞳、儚さを強調するような真っ白な髪。
見た目の年頃は十七、八位だろうか。
幼さを帯びた不安定な顔立ちをしている。
その姿は縁日の夜に見かける白塗りの狐面を連想させた。
「白焔様の神主様ですよね?」
紀田が訊ねたら、青年は躊躇いがちに首を縦に振った。
建物の中で茶をふるまってもらった。
野草のヨモギで淹れたものだ。
客人たちが茶を飲むあいだも、神主は火鉢の火をつついて落ち着きがなかった。
社の隅々を観察していたのだが、探していたものが見当たらない。
「御神体に挨拶をしても?」
「燃やしました」
紀田の申し出に、青年は申し訳なく項垂れた。
「あなたはもう気がついているでしょう?私は不死者です」
おどおどしながら葉月に問いかけていた。
神主は葉月を一目見ただけで同族だと見抜いていたらしい。
「白焔様も不死者なんですか?」
「そうです。あの白焔像は私なんですよ。お恥ずかしい」
神主は嘲笑した。
「白焔神社の神主様、どうして神社のある集落から離れてしまったんですか?」
葉月の問いに神主は目を泳がせる。
「えっと……どこから話しましょうか……」
震える声でぽつりぽつりと話し始めた。
「まず白焔神社の由縁について……あの集落へ辿り着く前、元々私は霊山で仲間の不死者たちと暮らしていました。でも若気の至りで外へ出たくなり飛び出してしまいました。あの頃の私はかなりやんちゃでしたから、掟は破るものだと考えていたんです。本来不死者は外へ出てはいけませんから、仲間たちは修験者に代理を依頼して社を建てさせたんです。……私をあそこへ呼び寄せ、反省させるために」
神主がつつきすぎたせいで炭がぼろっと崩れた。
「実際、外に出るのは間違いだったとすぐに気が付きました。力の加減を知らない私は吸血で何人も死なせ、感情に任せて奮った力で生者の住まいを壊し、取り返しのつかないことになって行いくのを見ていても、どうしようもなく逃げるだけでした。だけどもう合わせる顔がなくて仲間の元には帰れません。そのときに、仲間が私のために建ててくれた白焔神社を思い出しました。
白焔神社のある集落はそのとき、ちょうど洪水に見舞われて、村の復旧工事が必要でした。それで私は罪滅ぼしのためにあの土地を守っていこうと決めたんです。白焔神社の神主として。
まず私がしたのは、この身体に与えられた不死者の能力を使って土砂を取り除き、地盤を整えたことでした」
神主はまた溜め息を吐いた。
「しかし、村は十数年前の大地震と火災ですっかり壊滅してしまいました。……虚しかった」
「……ん、地震は死喰い人の祟りではなかったのか?」
紀田の指摘に、神主は両手を降って否定する。
「いいえ、そんなことしません!」
しかしまたすぐに表情を暗くした。
「……まあ、尖っていた頃のむかしの私ならやったかもしれませんけど」
紀田の無神経な言葉も責めずに受け入れていた。
この神主の応対は謙虚というよりも、自虐的に思える。
一種の自傷行為なのかもしれない。
神主はまた溜息を吐いて話を続けた。
「あんなに氏子さんたちが汗を流して直したのに、一瞬の自然災害でまた壊れてしまうんですね。私にできたのは、私の手の届く範囲にいた村人を安全な所へ移動させたこと」
紀田は老いた父親が話していた「死んだ魂が天に召されるようだった」というのを思い出した。
あれはやはり不死者が起こした神力だったのだ。
「それでも、既に手遅れでした。ほとんどの人が既に息絶えていて、助からなかったんです。せめて地震で家が壊れることを防げたら良かった。……私にはその力が与えられているのですから」
神主は手のひらを見つめ、握りしめた。
「罪滅ぼしがなにも出来ない。私は本当に何のために力を持っているんでしょうか」
――なんのために。
その言葉は葉月の胸に響いた。
血を啜ってまで得たこの不死の身体は、本当に何のために授かったのだろうか。
「話してくれてありがとうな。元々お前さんのことを教えてくれたのは白焔神社の氏子だった爺さんなんだ。爺さんに頼まれたんだが、あんたがした村人の救出劇を本に書いて世の中にしらしめて欲しいって。あんたからは何か注文はあるか?」
紀田の提案に神主はなおさら卑屈になってしまった。
「恥ずかしい。できればなにも書かないで欲しいです」
「そっか?爺さんががっかりするぞ」
「あれは
神主はくたびれた表情で嗤う。
それは白焔神社の氏子だった老人より、よほど年老いて生気がない。
紀田がさらに問いかけた。
「あれから村を見に行ったか?」
「いいえ、私が何も出来なかったのが申し訳なくて」
「なら一緒にいこう。罪滅ぼしがしたいなら、あんたがその目で見ることがいちばんだ」
「……」
神主は渋々ながら従った。
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