1-4 葉月の自立(3/4)

 定時に退社し家に帰ってきた。

 玄関扉を開ける前に懐中時計を確認した。


 (六時十五分。今日は何事もなく戻れたみたいだな。良かった)

 

 安心してパチンと時計を仕舞った。

 彰人だって記憶もなく葉月に恥ずかしい姿を晒すようなことはもう二度と御免である。

 

 真っ直ぐに二階の奥の部屋へ行き扉を開けると、葉月は相変わらずソファに座って本を読んでいた。

 昨晩のことなど無かったかのようにいつも通り。

 無口で無表情だった。

 

 (安心していいやらどうしていいやら……)


 自分が十三、四のときのことは忘れたが、世間一般の子は友人と遊んだり外へ出たりするものじゃなかろうか。

 

 葉月は四年間ずっと部屋に篭っていたせいで家にある本は一通り読んでしまったし、興味がありそうな新刊を手当り次第買って与えているが、それもひと月もあれば読み終わる。

 読了した本がどんどん積み上がり今や葉月の部屋はちょっとした図書館になっていた。

 

 今日は家政婦に借りた料理本を見ていた。

 自分は食べないのに何故だろう。

 昨日言っていたように彰人を太らせて美味しい食糧にすべく勉強しているのだろうか。


「食べられない訳では無いのですが満腹にならないのです。食べ物を無駄にするみたいで勿体ないし、家政婦さんに作って貰うのも申し訳なくなるし……」

 

 と話したのは十歳ぐらいの時だった。

 ふつうならそのくらいの子は成長期の食べ盛りだからとても残念な気持ちになったのを憶えている。

 家政婦には葉月の体質の変化を知らせていない。

 心優しい彼女は自分が葉月を見失ったせいで神隠しに遭ったことをもうずぅっと気に病み続けていたし、これ以上負担をかけるようなことを言えば老齢の身体が心配だと考えたからだった。

 

「なら余計な心配をかけないように家政婦さんの前では食べるフリだけでもしような」

 

 という決め事をしたものの、やはり腹の足しにもならないものを口に入れるのは気が進まない。

 愛想で「美味しい」と嘘をつくのも気が咎める。

 次第に食事のときの会話はなくなり気まずい時間になってしまった。

 彰人がひとりで食事を食べるあいだ葉月は茶を飲んで静かにしている。

 

 おもむろに葉月が口をひらいた。

 

「お父様、ニワトリを飼いたいのです」

「ニワトリ……?」

「卵を産むし上手くいったら増やせる。小さいから屠るのも簡単です」

「ほふる?」

 

 彰人も知らない言葉に首を傾げた。

 どこでそんな言葉を憶えたのか。

 まだ十三歳なのに語彙力は既に父親より高そうだ。

 

「それにニワトリは私も美味しく食べられるので」

「そうか。それなら嬉しいよ」

 

 ちょうど今夜の食事は鶏肉を焼いたものだった。

 昨日もレバーとかなんとか言っていたし、そんなにニワトリに興味が湧いたのだろうか。

 同じ年頃の子と同じことができないぶん、葉月がやりたいと言ったことはなんでも叶えてあげたいと彰人は常日頃から考えていた。

 

「養鶏場にでも頼んでみよう」


〇 〇 〇


  ニワトリを飼い始めたら葉月は毎朝外に出るようになっていた。

 トウモロコシや玄米などを撒いてニワトリに与えている。

 朝の鳴き声のおかげで彰人も寝坊することがなくなった。

 本当にいいことだ。

 

 けれど彰人の方は疲れが溜まってなかなか良くならない。

 今朝などは起きたら熱と咳があった。

 最近寒の戻りで急に冷え込んでいたが油断して薄着していたのが悪かっただろうか。

 

 葉月がいつものように彰人の首筋に口をつけ吸血しようとして、直前で突き放された。

 

「もしかして、風邪ですか?」

「うーん、少し熱っぽい。風邪というほどじゃないと思うんだが」

「伝染ったら嫌です。早く病院に行ってください」

 

 息子に汚い物のように拒絶されてしまった。

 

 葉月も大人に近付いている年頃なのだからこういうのが健全な反応なのだろうが、彰人は少し落ち込んでしまった。


 仕事を半日休んで言われたとおりに病院へ行き、夜は早めに帰ってきた。

 

「朝を抜いたぶん腹が空いているだろう?もう熱も咳も治ったし夜はいっぱい……」

 

 彰人が意気込んで帰ってきたというのに葉月はというと

 

「外で済ませました」

 

 とケロリと答えた。

 

「え、まさか……私以外の人のを?」

「別にお父様じゃなくてもいいですよ。待つのも嫌だし」

「いや……でも…………ああ、確かにそうだよな」

 

 複雑な気持ちになってしまった。

 葉月がそうできるならそれでいい。

 そろそろ親離れしなければならない年頃だし。

 だけど。

 

 ――(この前まで外にも出なかった子だぞ。この数日間でどうして)

 

 次の日は葉月のことが気がかりでならず、仕事中も上の空になってしまった。



 

 紀田から帰ってきたと連絡があり、さっそく自宅を訪ねた。

 相変わらずのタバコのヤニとホコリに塗れた獣のねぐらみたいな場所だ。

 

「いよいよいい報告ができるぜ。論文に書いた白焔様がついに見つかったんだ。神主が白焔様を連れて駿河の山奥に避難していた。地震が起きたときに、不思議な空飛ぶ人物がいたことも分かった。それで次は駿河に行こうと思ってる」

「そうですか」

 

 紀田はかなり浮かれていたのだが、彰人は思うところあって直ぐに賛同することが出来なかった。

 

「……それでコッチの方を用立てて欲しいんだが」

 

 親指と人差し指で丸を作って示す紀田に、彰人は意を決して話を切り出した。

 

「紀田さん、今まで黙っていましたが、私の息子は死喰い人なんです」

 

 紀田は驚いた顔をした。

 それから後ろ頭をガリガリ掻いて、混乱した思考を整理していたようだ。

 

「気前よく研究資金を出してくれるのはそういうことか。なんかあるんだろうとは思ってはいたが」

「次の調査旅行には私の息子を同行させてください。あの子が自立する用意をしてやりたいんです」

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