1-4 葉月の自立(1/4)
「はあ」
ついうっかり仕事中にため息を吐いてしまった。
最近疲れが貯まりやすい。
紀田に死喰い人の調査を依頼して、あれから早四年が経っていた。
息子葉月は今年十三歳、もうすぐ十四歳になる。
葉月は成長する毎に血を飲む量が増え、油断したら気絶しそうだ。
葉月が食べ物を食べない代わりに彰人が二人分食べた。
それでも足りずに滋養強壮の漢方薬を飲んだりしている。
気を使った家政婦が「精がつくように」と鰻を焼いたり卵酒を出したりしてくれるのだが胃がもたれるばかり。
スッポンの生き血を飲まされたときには葉月の気持ちが分かる気がした。
「なんというか……ふつうに食べてふつうに満腹になりたい……」
無意識に愚痴が漏れるし、無意識にいつも鳩尾のあたりをさすっている。
気が晴れない理由はもうひとつあった。
紀田のことだ。
紀田の調査は一向に実を結ぶ気配が無かった。
彰人が支援した資金で行った調査を元に、死喰い人にはあまり関係ない副産物ばかりがどんどん出来上がり、論文を何本も完成させた。
うちひとつは立派な賞をうけたらしい。
得た報奨金で「一緒に飲みに行こう」とも誘われたが「息子が家で待っているので」と言って断った。
成果は出ていないのに費用はしっかり請求してくる。
払えない額でもないし葉月のためだと思えば惜しくない。
のだが……しかしなんだか釈然としない。
いいように利用されている気がしてならなかった。
「社長、彰人社長!」
「えっ」
気が付いたら目の前に秘書の齋藤がいた。
しかも怖い顔で仁王立ちしている。
彼は彰人が社長を務める会社の秘書室長。
歳は彰人と近いが齋藤の方が何倍も優秀だと思っている。
負けん気が強く、気に入らないことがあれば隠さず敵意を顕にする。
彰人が仕事を終わらせるまでは絶対にそばを離れない。
付いたあだ名は「社長室の番犬」だ。
部屋の主である彰人も彼が怖くて頭が上がらなかった。
「なんでしょう?」
「捺印をお願いします」
「あ、うん」
書類を受け取り、しばらくぼんやりしていたから我慢できずにまた声をかけた。
「それ、逆です」
「あっ」
文字が読めないと思ったら上下が逆だった。
齋藤がサッと取り上げて正の向きに直す。
隣接している秘書室からクスクスと笑い声が聞こえた。
これも疲れているからやってしまった失敗であって、決して彰人が惚けている訳では無い。
「それから。社長、なんですかこれは?」
「うん?」
彰人の荷物の整理をしていた齋藤が鞄の中にあったものを指摘してきた。
「あっ」
齋藤が持っていたのは紀田が送ってきた研究費用の請求書だ。
使った分を一覧表にまとめ、それを後で彰人から手渡す約束をしていた。
今週末には紀田が帰ってくると手紙で知らせがあったから銀行で下ろしておこう、と鞄に入れていたのを運悪く齋藤に見つかってしまったのだ。
「資料代に宿泊費に交通費、食事代、衣服、酒代まで……それも結構な額。いったい何なんですか?」
「いや、えっとぉ……」
動揺を隠せず目が泳いでしまった。
「もしかして誰か怪しいひとに貢いでるとかじゃないでしょうね?」
齋藤は勘が鋭い。
だいたいその通りだ。
「社長は人がいいから簡単に出しちゃうんでしょうけど、こういうの積もり積もったら大変なことになるんです。いつの間にか借金までしちゃったら会社にも迷惑が掛かるかもしれないんです!そうなる前に誰にどういう目的で出している金なのかを僕に言ってください!」
ここまで責められなら何も言わない訳には行かない。
齋藤は気になったらどこまでも詮索してくるタチだ。
「私的なこと」と言ってもおそらく引かないだろう。
彰人は観念した。
紀田は肩書きだけはちゃんとしているし、名目もあるんだから話すくらいは構わないだろう。
「研究者の先生の支援をしているんだ。個人的に調べたいことがあって」
「……ふぅん、そうですか。具体的にどなたですか?所属は?」
「帝大郷土史研究室の紀田教授」
「……」
齋藤が腕を組んで押し黙った。
沈黙が怖い。
「なら教育機関への寄付ということで経費で落とせないか申請しておきましょう」
「えっ……さすがにそんなことは。本当に私的なことだし」
会社の金を私的流用することはできない。
それに研究内容を教えろなんて言われたら困る。
「死喰い人」なんて最近はオカルト好きの好事家しか興味をもたない存在のことは。
「いいんです、税金対策ですから」
と言って有無を言わせずに明細書を取り上げられてしまった。
深くため息を吐く。
(また会社に迷惑をかけてしまったなあ)
でも齋藤に話したことで胸のつっかえが少し軽くなった気がした。
***
紀田は彰人からの依頼を受けてすぐ、まず真っ先に白焔神社のあった集落に行っていた。
神社の跡地には墓石が無数に並んでいた。
一族がみんないなくなり参る人もいない墓はまとめて合祀され大きな鎮魂碑があった。
紀田は鎮魂碑に花を供えて手を合わせた。
近くの田畑で農作業をしていた少年に声をかける。
「ちょっと今いいかね?私は郷土史の本を書くためにこのあたりで昔話の蒐集をしているんだ。きみそういうの好きかい?」
「好きだけど。たぶんそういうのは俺の父ちゃんの方が詳しいよ」
「なら親父さんを紹介してくれるか?」
「うん!」
余所者にも物怖じしないしっかりした少年だ。
気前よく家に案内され、話を聞かせてもらうことができた。
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