1-3 紀田教授への依頼(2/2)

 集中するために一旦図書室へ移動した。

 もう古びて黄色くなった原稿用紙を丁寧に捲る。

 

――人は理想を真実だと思いたがる。

 理想を具現化したがる。

 それが世界に共通する宗教の根本だ。

 しかし日本の民俗信仰は少し独特だ。

 理想ではなく恐ろしいものを神として祀る。

 そして熱心に供物を贈り許しを請う。

 どうか災いをもたらさないでください。

 その最たるものが死喰い人信仰であろう。

 

 死喰い人の祀られた神社は全国各地にある。

 死喰い人。

 それは姿のない幻影、つかみどころのない存在、ときに人々に恵をもたらし、ときに人々に害を成してきた超越的な存在だ。

 

 

 奥州のとある地域には墓石が山のように積まれ、今も作物が実らない場所がある。

 その地ではかつて、長く引き継がれる生贄の儀式があった。

三十年に一度村からいちばんの衆目美麗で頭脳聡明かつ純潔の若い人間を選び土地神に生贄として差し出す。

 その者を土地神が気に入れば作物の実りが良くなり、取りやすい獣が自然と罠にかかる。沢の水は穏やかで天候に恵まれる。豊かな村は外敵からも度々狙われたが、土地神に力を授かった村の兵士は決して負けない。

だが気に入らなければ、三十歳以上の村人を全員殺す。

村人は生贄にする為だけに優秀な男女を選び人間の品種改良をする努力をしていた。

村はこの土地神のおかげで繁栄していたのだが、あるときにとんでもない失態を犯してしまう。

 生贄として育てていた若者が不埒を犯していた。

 これを隠して儀式に望んだが土地神の千里眼で見抜かれた。

 盟約通りに三十歳以上の村人は全員殺された。

 このとき村では近親相関が進みすぎていたため、もう子を産む能力のある人間はわずかになっていた。

 村にはもう未来がないと見切りをつけた土地神は村から去ってしまった。

 以後、村は衰退して今のような姿になってしまったという。

 

……もうひとつ。海沿いの集落に「白焔神社」という社がある。

 この神社には不思議な縁起が伝わっていた。

 修験者道玄は山奥で不思議な集団に歓待を受けた。

 彼らはみな美しく赤い目と白い肌をしていた。

 そして道玄は彼らに依頼された。

「仲間のひとりがいなくなった。その仲間が帰ってこられるように白い肌に赤い目の像を作り、我らがいいうまでその像を祀り続けて欲しい」

 それに従って道玄が建てた社が白焔神社だ。

 ところが、この白焔神社はいちど神主が途絶えてしまい、毎年行っていた祭りを忘れたたことがあった。

 その年、村は大洪水に見舞われて村人の半数近くが犠牲になったという。

 若しかするとこれは、像を祀ることを蔑ろにした村人への罰だったのかもしれない。


 祀られている災の神は決まって美しい。

 怒らせなければ恵みをもたらす。

 彼ら死喰い人が今も存在するなら我々は国土の平穏のために彼らの存在と彼らへの信仰を決して忘れず、後世へ語り継いでいかなくてはならない。


 ⚪︎ ⚪︎ ⚪︎

 

 私は図書室を出て、再び教授室へ行った。

 

「教授、読みました。それで質問なんですが」

 

「おう、いま筆が乗ってきたとこなんだ。後にしてくれるか?」

「紀田教授、この白焔神社行ったんですよね?場所と行き方を教えてください」

「ん、行きたいのか?」

「はい、白い肌に赤い目の神像を実際に見て確かめたいんです」

「その神社、もうないよ」

「えっ」


 紀田はペンを一旦止めて、彰人の方を振り向いて答えた。

 

「数年前の大地震で村が壊滅状態になった。神主も行方不明になっちまったんだと」

「冗談ならよしてください」

「これは本当だ。災害のことは記録に残っているし、白焔神社が無くなったというのもちゃんと地元の新聞に載ってある」

「まさか。これも死喰い人がもたらした災い?」

「むーぅ……俺もこの案件もっと調べたいんだ。十二、三年前に学士論文を書くため行ったきりになってるけど。……死喰い人は国のためにはならんって研究費用が下りなくて。なんせ国家神道に逆らう行為だからな。つまらんが他で研究成果を出していつか認めてもらえる努力してるんだ。案外他の場所でも死喰い人の話は聞けるしな」

「他に死喰い人の研究をしている学者はいますか?」

「うーむ」

 

 教授はしばらく顎に手を当てて考えた。

 

「いるにはいるが……俺とは目の付け所が違っててな。奴がしてるのは死喰い人の不老不死を医学的な観点で解明することだ 」

「医学」

 

 そっちの方がより現実的に事象を解明してくれそうだ。

 

「だけどさ、馬鹿馬鹿しいって学者仲間から相手にしてもらえなくて、いつのまにか大学から追い出されてたよ。実際頭のおかしいやつなんだ。死喰い人を捕まえるとか言って俺と組んでた時期もあったが……死喰い人と関係なさそうな人間まで捕まえて血を抜き取って検査しまくるんだ。許可なくやろうとするから警察に捕まったこともあって。とばっちり受けたくないから俺はもう研究では関わらないことにした」

 

 その話を聞きながら思い出していたのは葉月が囚われていたらしい研究施設。

 火災で焼けたが医療機器がたくさんあったという。

 もしかして彼みたいな人間が絡んでいたとか?

 

「その彼に会いたいんですが連絡先を教えて頂けますか?」

 

 私の頼みを紀田教授はふっと鼻で笑った。

 

「やめとけ。いきなり注射針持って襲いかかってくるぞ」

「構いません!」

「まあ、教えるだけなら構わんかなぁ。アイツも暇してるだろうし。名前は岩波誠二という。俺より二つ下の学友だ」


 紀田教授の言ったことは正しかった。

 その人物からの熱烈な歓迎に驚かさることになる。

 彼のいた場所は精神病院だった。

 紀田教授の言うとおりに注射針に見たてた棒を振り回して喚き立てていた。

 

「血をください!僕の研究は正しいんです!認めてください!」


 目が完全に逝っている。

 彼にはまともな研究どころか会話すらもできないだろう。

 歳は紀田教授の二つ下と聞いたが、その割には教授よりずっと老けて見えた。

 肌はボロボロに黒ずみ白髪混じりの髪をボサボサに振り乱している。

 

(かわいそうに、心労が溜まりすぎているんだな)


 彼を見ていたら胸が痛んだ。

 自分も葉月のことを気に病みすぎて、いつかああなりそうな気がした。

 

 しかし彼が此処にいて生きているということは件の研究施設とは関係ないということか。

 研究所も研究員もみな火事で焼けたのだから。

 ずっとあの病院にいるというから出入りどころか情報のやり取りすらしてないだろう。


 彰人は再び紀田教授の元へ戻った。

 

「誠二は元気だったか?」

「ええ、とても。聞いたとおりの出迎えでした」

「そうか。変わらないようでよかった」

 

 紀田教授はケタケタと笑っていた。

 

「紀田教授、お願いがあります。死喰い人に関して知っていることを全て私に教えてください。それから必要なことをもっと調べてきて欲しいんです」

 

 教授は後ろ頭をガリガリ掻きむしって

 

「むう。とは言っても研究費がなあ。不死者研究という名目では許可が降りん。それに俺には他にもやることがある。講義とか学生の論文の直しとか、政治パーティとか、学術会議とか……仕事は山ほどあるし。」

 と愚痴った。

「大学教授って研究ばかりやってられんのだよ」

「なら大学を説得すれば可能なんですね」

「あ?説得?どうやって?」

「私が出資します。不死者研究に専念してください。そのあいだ大学を休んでも咎められないよう取り計います。必要な費用は幾らでも出しますから。私はこれでも権力と財産はあるんです」

「ひゅー、男前だね君」

 

 紀田教授は私を揶揄うように口笛を吹いた。

 

「ところで君の名前をまだ聞いていなかったな。なんて呼んだらいい?」

「あっ、すみません。失礼なことを……私は三ツ谷彰人みつや あきとといいます」

「彰人さんか。俺は教授と呼ばれるのはむず痒いんだ。気軽に紀田と呼び捨てにしてくれ」

 

 ***

 

 青年は海に面したバルコニーに立ち、冷たい風に吹かれていた。

 痛いほどの冷たさだが、彼にとってはなんでもないことだった。

 水面に反射した月光が昼間のように明るい。今夜は一点の曇りもない満月だ。

 

「この場所の良いところは、いくら寝てても咎められないこと、実験材料も十分あること、そして食糧に困らないこと」

 

 彼の足元には幸福な笑みを浮かべた骸が落ちていた。

 彼の真っ白な浴衣にも返り血がべったりついている。


「紀田先輩、面白いことを始めたみたいだね。久しぶりに会いに行こうかなぁ。それに、あのひと」

 

 昼間面会に来た三ツ谷彰人の顔を思い出す。

 

「腰の形が僕の好みにバッチリだ」

 

 手すりに背を預けて天を仰ぐ。

 月明かりに照らされた彼の顔は陶器のように青白く滑らかで、シミもシワもひとつもない。

 二十歳前後の無邪気な青年にしか見えなかった。

 少し長い髪は月の色と同じ美しく輝く銀色。

 爛々と輝く瞳は鋭い紅だ。

 

「楽しいなぁ。この身体になってから少しも退屈しない。僕は本当に運がよかったよ」

 

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